近鉄復古への涯てなき途
2005年、遂にプロ野球の舞台に近鉄バファローズが上がることはなくなった。しかし、必ず復活させる執念を絶やすことはない!
 



この文章はほとんどがフィクションである

 控えめなノックを4回続けたあと中からの声を待つまでもなく大西はドアノブを回した。ドアの壁は厚い。完全防音が施された社長室である。外部から内部の様子を窺い知ることは不可能である。しかし内部からは外部の様子を知ることができる。ドアの上部に仕掛けられたセンサーが働き室内に設けられたモニターに自動的にスイッチが入るのだ。誰が来たかを確認の上、この部屋の主はドアの鍵をデスクに設置されたパソコンのキー操作ひとつで開けることができるのである。この日は施錠の必要がなかった。長い毛足の絨毯に吸い込まれ靴音は聞こえない。しかし来訪者をあらかじめ知っていた小泉はモニターのスイッチが入った音を確認すると同時に外を眺めていた回転椅子を近づいてくる大西に向けた。
「社長のおっしゃったとおりに預かって参りました」
「案外長くかかったじゃないか」
静かな口調ではあるが不満がある時の物言いであるということは大西も重々理解している。
「約5万人の署名がここにあります」
「約?約とはなんだね?実数を言いたまえ」
少し押し殺した声であるが明らかに命令口調である。何事につけアバウトを好まない小泉の気質を思い出した大西は少したじろいだもののそれでも気を取り直し
「申し訳ありません。50,514名分です」
まるで軍隊で上官に敬礼をするように大西は両方の靴のかかとを揃えた。「カツン」という音が聞こえるほどの大げさな姿勢の糾し方であった。
「そうか...ドームが満杯になればそれぐらいの数字にはなるな」
口の端を歪めて小泉は回転椅子を外に向けた。ほくそ笑むその表情が背中越しにも大西にはわかったような気がした。
「あとはどのタイミングでこれを使うか、いや、使わせてもらうか、だな」
小泉は大西に背中を向けたまま独りごちた。
「あの、社長。なぜこのような署名をわが社が...」
大西が発した言葉を愚問だよ、と言わんばかりにさえぎった小泉は素早い動作で椅子から立ち上がり署名の束を重そうに抱えた大西の両手から一番上にある質問状を掴み紙の端を窓の外に向けた。
ちょうど署名団体が後にスカイマークスタジアムと呼ばれることになる施設のゲートを通り抜ける瞬間であった。
「こうして彼らが我々のチームのファン獲得情報を遠路はるばる持ってきてくれたんじゃないか。ありがたく頂戴しないとな。フッフッフ」
最後の笑い声は大西の耳にもはっきりと聞こえるほどの大きさとなった。

 2004年11月15日。この日を以って球界再編の名の下に経営者による悪しき改革を阻止するために立ち上がった新熊をリーダーとする有志十数名の活動には一応の終止符が打たれた...はずであった。
 世論の喚起には成功したものの合併を阻止できず大阪近鉄バファローズが消滅することが決定した後もその決定内容に満足しない彼らが最後まで集めた合併反対の意思表示を示す署名の束を携えてこの日、当事者であるオリックス側に手渡したのであった。本来であれば野球協約上この日も存続していた大阪バファローズの球団事務所にその5万有余名の意思を伝えるのが筋である。しかし、大阪バファローズ、いや、近畿日本鉄道株式会社がそれの受け取りを拒否した結果、球団を吸収することになる経営母体のオリックスへの最後の抗議活動として東京からやってきた有志たちであった。決まってしまったものはこの期に及んでどうにもならないことで決して覆るわけではない。しかし近鉄ファンとしてこの半年近くに及ぶ活動になんらかの形として終止符を打たなければならない。そのためには単に署名を手渡すだけではなく今回の騒動の経緯や今後の球界のあり方についての質問状を作成しそれに回答してもらえれば形として残る。いわば回答状は彼らにとってひとつの勲章となるのだ。この質問状は彼らの活動の根幹となったネット上でも公開されあらかじめオリックス側にも送付してあった。あいまいな回答や回答拒否という態度をオリックス側が表明してきた場合はどれだけ嗤われようがいつまででも合併白紙要求を続けるという覚悟の意思統一までなされた団体であった。
 どういう結果になろうとも彼らの戦いに一旦終止符を打つ必要はあった。このたった半年の間にも仲間内での軋轢や意見の相違は噴出しておりそれを調整することに新熊はくたびれ果てていたのである。近鉄というチームがなくなって新しい年からはどこも応援することができなくなった。それでも野球を愛する気持ちに変わりはない。しかも多くの問題を内部に抱えながらもいまだに行動をひとつにしてくれる仲間がいる。いかにして今後の野球界の発展に手助けができるか、いかにして今回自分たちが味わうことになった悲劇を繰り返さないで済むのかという活動を新たなステージに選ぶつもりであった。そのケジメとしてオリックスとの討論を選んだのである。帰途、新熊はつぶやいた。
「終わった。終わってしまった...」
活動の終わりは彼にとっての近鉄の終焉を意味していた。



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 本日付けのスポーツニッポンによると御堂筋と千日前筋が交差し、千日前筋を挟んで近鉄難波駅を臨む御堂筋グランドビル7階にあった大阪バファローズの球団事務所が閉鎖されたとの記事が掲載された。週明けの17日以降は中村のポスティング申請などの処理を含めた残務整理を同じビルの15階で行うという。球団事務所所属人員は多いときで60名程度であった。今や「元球団代表」という肩書きとなった足高ら数名だけしかいない。すなわち大きなフロアを借りる必要がなくなったのである。私はこの球団事務所を訪れたことがない。間取りはショップバフィ閉鎖の折に室(むろ)氏のデスクに貼ってあった座席表を見ただけのあいまいな記憶しかない。もちろんそこで働いていたそれぞれの人々と面識があるわけでもなく特に感慨が沸くこともない。ショップバフィ終焉を見届けた私はその時に今年の3月までは残務整理会社として存在だけはするということを聞いており、もはやプロ野球運営会社としての機能を失ってしまったとはいえ、あのビルの正面玄関にあるテナント案内板に「大阪バファローズ」の名前があることだけでも「まだ近鉄はある」という思いが私にはあった。その看板にのみ感慨が沸くのである。今日、仕事帰りにその看板の確認に行かなければならない。15階のテナント案内板にまだ名前が残っているのであれば少しだけ気持ちが晴れる。
 そういえばあの時、11月30日、野球協約上名実ともに近鉄が球団運営から手を引いたあの日。私は仲間たちと酒を飲んだ。待ち合わせ場所にはその球団事務所が入っているビルを選んだ。早めに来れる人はそこに集まるよう伝えてあったのだ。10名程度の仲間が球団事務所に集まった。これが騒動の真っ只中であれば7階まで駆け上がり抗議にでも行ったのであろうが、もはやそれをやる理由もタイミングもない。そこには代表者である山口はおろか傀儡の小林でさえもいないことが明らかであったからだ。そこでやろうとしたことは享年55でその身を自ら滅ぼした近鉄バファローズを弔うということであった。しかしその日を私は復活への第一歩と定めた。もう一度、近鉄という名の下にバファローズが再興することを願う集会としたのである。集会には30名程度が集った。悔しさと哀しみにくれるだけでは我々が生きていくには酷すぎる。夢と希望を持って前向きに生きるための誓いの場となったのだ。それは吸収する側となった球団を応援することでも東北に新たにできてしまった球団を応援することでもない。目的はただひとつ。近鉄として悲願の日本一を達成することである。生涯近鉄を応援する決意を固めた仲間の中にはあの友もいた。近鉄の名前を確認し近鉄に手を合わせ存在証明代わりの記念撮影をしてくれたその友はもう亡ない。彼のためにも私は近鉄が復活するその日までこの文章を書き続けるつもりである。


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 今日で近鉄いや、近畿日本鉄道という会社が球団運営業務をストップさせる。ショップバフィに連日詰めた4人の職員がここに来るのも今日が最後である。福家、小川の二人は近鉄百貨店に戻り、球団に雇われていた室は明日から就職活動に入る。この問題が起こった時に室は球団トップに問うた。
「私はどうなるんですか?」
球団トップの答えは単純明快、それでも人間か!という返事であった。
「オリックスに行ったら?」
その対応に室は激怒、をしたかったが落胆を覚えるしかなかった。日々の残務整理に追われながらも就職活動を平行していたが思わしいところは今のところまだない。救いは1年契約の雇用形態であるため12月も給与は出るとのこと。唯一の女性職員であった芦田は人材派遣事務所からであった。彼女も明日からは当面仕事の予定がないという。

 選手やグラウンドに出ることのできる裏方の今後ばかりが新聞紙面を賑わせたが本当の裏方である彼らへのケアはまったくなされていないのが哀しい。福家や小川はとりあえず帰る場所はあるものの、それは組織図的な帰属にほかならず実際にどこの職場でどういった業務に就く、いや、就かされるのかは本日を以ってしても不明という。
 近鉄グループの辞令の出し方は当日の朝という。
 朝、通常出勤をしたもののその足でどこかへ飛ばされるということも多いらしい。企業として大きいかもしれないが全体的な社員へのケアさえも満足にできない経営者が我々の意見をないがしろにして無理やり悪の計画を遂行したこともそれで理解はできる。この期に及んでも私はまだまったく納得していないのが本心であるが...。

球団消滅日のこの日を私は復古作戦始動日としたわけであるが、今日は近鉄の球団事務所を集合場所として集会場所の赤垣屋へ行く。しかしその前にショップバフィの終焉を見届けねばならない。閉店後も福家らが出勤している日を選んで私は連日この場に近鉄号を走らせた。午後1時過ぎに着くと遂に目隠しシートが内部から貼り巡らされていた。裏の倉庫入り口から入店すると芦田が一人ポツンと何もなくなった事務所に座っていた。職員3人は難波の球団事務所に挨拶に向かったという。2時には戻るとのこと。その時間にここの大家である大阪ガスに引き渡すために戻ってくるのだ。第3セクターのため実にややこしい。本来なら大阪市がここの家主であるのだが、もともとの地主が大阪ガスのため、両者が引渡しの立会人になるわけであ
る。壁に貼られたスケジュール表や連絡書を見ると今日の6時半から千日前のミュンヘンで大阪バファローズ解散宴会をやるようである。同じ時刻に諦めの悪いわれわれは近鉄復古を夢見る集団として待ち合わせ場所に指定した大阪バファローズの事務所が入っているビルには職員は誰も残っていない、ということになる。

 ともあれ予定の時刻に福家らは戻った。約1時間をかけて家主側はチェックを続ける。床をきれいにしろ、とかなんとか。こいつらには感傷のかけらも感じられない。大家が帰った後も最後ということもありそれなりに関係者が引きもきらない。タオル等を納品していたメーカーの営業担当は退席する際の決まり文句
「またよろしくお願いします」
を言う相手が明日からはいないことを今更ながらに気付いてなんと私に挨拶をした。私に何の面倒を見てほしいと言うのだろう?

 15時45分。鍵束をクルクル回しながら室がショップバフィの玄関の鍵を内側からかけた。もう二度と近鉄の関係者がここの鍵を回すことはない。
 16時30分。内部の灯りが消された。近鉄バファローズのグッズを照らす灯がここに点ることは二度とない。
虚しさだけが漂う。福家が自嘲気味につぶやいた。
「終わった...全部...」
明日からは近鉄百貨店所属の身となる福家と小川であった。球団採用の室はしばらく職探しに奔走することになろう。派遣社員の芦田はしばらくゆっくりするつもりだと言った。若い女性のことだから旅行にでも出るつもりだろう。
 17時ちょうど。4人と私は一緒に倉庫出口を出た。もう訪れることのないこの門の鍵を福家は慎重にかけた。彼らは地下鉄に乗るために右へ。私はバイク置き場の左へ。もう会うことはないかもしれない。しかし、最後の儀式の見届けにも似たこの1ヶ月、少しずつ近鉄のカケラが剥ぎ取られている様を見届けることができたことを今後どのような思い出にできるのかは今はまだわからない。必ず近い将来、オリックスを買収し近鉄の提供を受け近鉄の名の下にバファローズを復活させたい想いでいっぱいである。その時に初めてこの1ヶ月が有意義なものと感じられることができるのだろう。それまでは虚しい思い出として心の裡にしまっておこう。



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 昨日に引き続いて屋根に上った若い作業員がバファロ−ズヴァレイの跡形を黙々と消していた。1日あれば面積は大きいと雖も2箇所程度の修復など可能なはずなのに時間稼ぎをしながらのんびりと業者はやっているようだ。時間をかけてやることにより少しでも多くの金を延長作業費として近鉄からふんだくってやろうという魂胆が見え隠れする。しかし、逆にそのゆっくりとした動作が近鉄に何の愛着もないはずの彼らの中にある寸分のやさしさを感じるようにも思わせた。
 2日前、福家が私にくれるという約束をした壁面に飾ってあるバフィの立体像、推定20kgはあろうかという樹脂製のものであるが、最後に撤去することにしたらしい。今日もまだ掲げられたままであった。しかし、それほどの巨大なものを私の狭い部屋に飾るわけにもいかない。どこか人目につくところで皆の目に触れるようにすれば伝説を語り継いでいくには好都合である、と思い出されるのはやはり近鉄ファンが集うであろう居酒屋ぐらいであろう。
 既に大正駅傍の火の来間には2種類のBBMのカードパネルを飾らせた。あの狭い店にはもはや収納不可能だ。広さではカウンターのみの店であるが近鉄一筋の店を思いつく。藤井寺で自前でバッファくんや牛のぬいぐるみを作りそれに身を包んで近鉄を応援してきた内藤が経営する居酒屋だ。清水屋という。その店を私に教えてくれたのはとある企業の社長である秦であった。社長と言っても単なる中小弱小零細企業の部類に入る。私は清水屋の連絡先を知らなかったため秦に打診してもらうことにした。しかし事は急を要する。
明日が終わればこのショップバフィには誰もいなくなるのである。今日か明日じゅうにこのオブジェを無事に運び出さなければならない。内藤に連絡するまでもなくとりあえず秦が預かるということにして午前中にここで待ち合わせをした。しかし先述のとおりまだ撤去されていない。夕方、秦はもう一度ここに来ることになった。
 夕方、苦心の末、無傷にて撤去作業終了の報告を秦からの電話連絡にて知る。そのまま車に乗せてとりあえずはオブジェの安全が保証された。

いよいよ明日、福家、小川、室、芦田との別れが待つ。ショップバフィの跡地が何の店になるのかは今のところまったくの未定である。私に金があればオリックスへのあてつけとして、あの場所で近鉄バーでも開店してやるものを...。


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 遂にショップバフィ入り口上に飾ってあった二つのバファローズヴァレイの仲間たちのオブジェは完全に撤去されていた。倉庫に回ってみると無残に叩き折られたオブジェが裏返しにして無造作に放り出されてあった。朝から業者がショップ壁面のオブジェの跡を消している。原状回復作業である。虚しい。8年前の姿に回復して貸主である大阪ドーム即ち大阪市に受け渡すためのものだ。この金額だけでも200万以上かかるという。何につけても金、金、金である。つらい。金さえあればなんとでもなったのか?!金があっても球団を買えなかったヤツもいる。いつの話になるかわからないが府民球団が結成された暁には少なくともファンに金の心配をさせないようにしてもらいたいものであるし、そうしなければならない。

 私は今まで近鉄線を使い実家のある吉野へ帰る時には常に特急に乗車していた。タバコが吸えるという嗜好的な理由もあったものの、野茂の年俸に少しでも足しになれば、という想いからであった。当時吉野までの特急券は800円ぐらいしたと思う。乗車券がやはり800円ぐらい。それに加算しなければ特急の指定席には座れないのである。中高生の頃はキセルの常習で踏み倒していたことも当然のことながらあった。そのうち特急は終点の阿倍野橋までの停車駅が増えてしまいなんら特急の意味を為さないものとなった。特急料金も500円程度に値下げされた。安くなったから継続して乗るのではなく、それでも球団運営に少しでも力になれたら、という気持ちでずっと特急料金を支払っていた。母親は
「何を好き好んで特急を使うのか?急行でも時間的には変わらないではないか」
とよく私をたしなめたものであった。私の真意を明かしてもバカにされるのがオチであったから終に明かさずじまいであったが、今後しばらくは特急はおろか近鉄に乗ることはない。こうした気持ちにさせてしまった近畿日本鉄道経営上層部を本当に許せないし許すことはない。


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 午前9時、無情にもショップバフィのふたつの入り口を飾ったバファローズヴァレイの仲間たちの撤去作業が始まった。福家と小川がそれに立ち会う。二人ともその場にいたたまれずにショップ奥の事務所、もはや机もロッカーもない回転椅子のみが置かれた殺風景な空間に引っ込んだ。福家は唯一の資産価値となる
テレホンカードの整理を始めた。1枚ずつビニールの小袋に入れられたバフィたちが描かれたカードを整理してゆく。500円のテレホンカード。絵柄の種類は4人のキャラクターが丘の上に立つ、今まさに撤去作業が行われているタイプ、バフィとファルルのサイクリング姿、ファルルとカペロットがジェットスキーを楽しんでいる姿、などキーホルダーなどのデザインと共通するものである。特にキャラクターへの思い入れを感じない福家であったが、一枚一枚テープを剥がすたびにため息がもれた。単調な作業を店長自らが行う。合計で資産価値にして25万円分あった。500枚のテレホンカードが売れ残っていたという計算になる。
「なんでこんなことになってしもたんやろ?」
ため息交じりにつぶやく。

 8年前、夢を実現させた男であった。近鉄を応援するようになったのは近鉄百貨店に入社してからである。万年お荷物と呼ばれていた頃にファンにならざるを得なかった。会社の持ち物として球団が存在する。野球を観るのであればその球団を応援するというのはあたりまえのことである。
 しかし、西本幸雄就任以後の近鉄には野球に関心のない者でさえ「近鉄バファローズ」というチームが持つ不可思議な魔力にからめとられてしまう。弱くとも「これがプロ野球だ」という魅力に、である。福家が職を離れ純粋な近鉄ファンになったのも当然であった。
 大阪ドーム移転が決まり近鉄百貨店からの出向としてショップバフィの責任者として彼が抜擢されたのは足しげく日生や藤井寺に通っていた姿を、それが仮に社内後援会の一員という立場であっても、上の人間は見ていたからである。ちなみに大阪ドームにおける社内後援会の入場料金は300円であった。
 近鉄という野球チームを愛せることのできる人間の奇跡的とも言える適材配置であった。しかし、この部署に配属になってからは彼の期待とは裏腹に好きなチームの応援のために観戦に集中することができなくなってしまった。もはや近鉄グループの一社員という立場ではない。株式会社「近鉄野球」の一員としてファンの拡大に努めなければならない立場となったのである。自然と彼の腰の落ち着く先はショップバフィ店内となった。大好きなチームの野球が目と鼻の先でやっているのもかかわらずスタンドからの声援を送ることも叶わずに当時普及しだした衛星放送によるテレビ画面に向かって心の中で声援を送るだけとなった8年間であった。そしてこの球団消滅まで立ち会わなければならない立場となってしまったのである。ため息の中に私は彼のこれまでの想いや悔しさを痛いほど感じることができた。

 ショップバフィ正面のバファローズヴァレイの仲間たちの撤去作業は着実に「無神経に」行われている。色褪せた仲間たち。ぬいぐるみの中に入っていた人々と交流があったわけではない。ぬいぐるみの原案に立ち会ったわけでもない。しかし「同志」として共に闘ったもの言わぬ仲間が粉々にされるのは見るにしのびなかった福家らは事務所内に引っ込んだ。阪神の帽子を被った初老の男がクレーンを動かす。取り付け作業を行った人間がどれだけ慎重に作業を行ったかを彼には知る由もない。破壊者のやることはそれがどのような立場にいるものであっても一種の加虐的快感を伴う。乱暴の一言に尽きる作業を行う阪神帽の男の口元には笑みさえ見てとれた。ふたつの看板が遂に取り壊された。残骸が散らばる。大きな残骸は数人がトラックに運んでいった。遂にショップバフィであった痕跡すらも感じられなくなってしまった。しかしまだ近鉄バファローズは束の間とは言え存在するのだ。


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 昨日、仕事終わってから久しぶりにけんぺーに行ってみた。彼のHPを見てみると近鉄選手会有志による新潟被災者義援活動の一環として大阪の未来を考えるフリをする会が一枚噛んだチャリティオークションに参加したことがわかったからである。ついでにショップバフィから降ろされた特大ペナントを天井に貼ることを要請することにした。例のオークションになぜ参加したのかは彼の店の常連が往復はがきを送って参加申し込みをしたわけであるが予想通り集まりが悪かったようである。返信はがきには
「多数お誘いあわせの上ご来場ください」と書かれてあったそうな。一枚につき一人若しくはペアで、という彼らの浅はかなもくろみはまたしてもくずれてしまったわけである。実際に参加人数は会場の半分も埋めることができなかったらしい。600人募集に対して主催者発表の実数は287人。そりゃそうである。なにしろ告知が遅すぎる。更に準備不足である。あの悪夢のような決起集会が思い出される。1000人集会を行い近鉄本社前にてシュプレヒコールをぶつ、といった一大イベントでさえも600人程度の人数を集め単なるサイン会及び偽「白いボールのファンタジー」制作費カンパの会にしてしまった団体なのである。
 さて、実際に岩隈の「ユニフォーム」を含むセットを21万円である女性が落札したと報道されていたが、実際にはユニフォームはなくスパイクやズボンやトレーニングに使用するものばかりであったそうだ。実際にスポニチには落札した女性が岩隈からユニフォームを受け取る写真が掲載されていたが、それは
とんだ茶番で彼女が持参したユニフォームにサインをして返した瞬間を捉えたというのがあの写真の真相であった。
 それはともかくもけんぺーは可能であれば特大ペナントを天井に貼ることを快諾した。
 もはや私の日課となっているショップバフィ立ち寄りである。遂に今日はショップ表に貼られたユニフォーム姿のバフィのシールを何の感傷もない業者が剥がしている最中であった。きれいに剥がすという感覚は彼らには望むべくもない。まさに引き剥がすといった動作で無造作にバフィのスライディングポーズ
、バッティングポーズ、ピッチングポーズがちぎられてゆく。もはやビニールの藻屑であった。再生はどう考えても不可能である。8年間ここで近鉄の闘いを見守っていた姿が無残な形となってしまった。おととい等身大のバフィはぬいぐるみメーカーに引き取られたということであったが、無事に装飾品として飾られていることを望む。
 特大ペナントの行方はどうなのだろう?もう裁断されてしまったのか?福家課長に連絡を取り中に入れてもらう。かろうじて何もなくなってしまった倉庫の片隅に放っぽりだされて小さく畳まれたペナントがあった。事務所に入るともうそこには机もロッカーもない。回転椅子が社員の数だけ無造作に並ぶだけである。そのひとつに腰を下ろしたままの福家は日を追って無気力になっていくようだ。小さな身体がますます小さく見える。
「バフィのペナントまだいっぱいあったわ。要る?」
否応もない。既に50枚ほど私はそのロゴペナントを入手していたがほとんどをファン仲間に分けてしまい近鉄ファンの経営する店に回らなくなってしまったことを後悔していたのだ。ちょうどけんぺーにもまだ渡していなかったので大助かりであった。20枚ほどのそのペナントを近鉄号の荷台にくくりつけよ
うとすると唯一の女性店員である芦田が
「カレンダー1本見つかりましたよ」
と手渡してくれた。移転したその年のカレンダーであった。当然私は持っているが、それも受け取った。私は福家に話しかけた。
「わし、今までのカレンダーほとんど持ってるんやが、今年まで使たことないねん。それがなんとなく今年の正月に初めてカレンダーの表紙破ったんやわ」
なぜか今年はこのようなことが多かった。去年まではやらなかったことをやってみたりいくら探しても見つからなかったものが見つかったり。いずれも近鉄関連のことであった。何の因果か、と思う。私のその想いに福家は答えることはなかったが言わんとすることはわかってくれたようであった。その間も店内破壊業者は着々と己の仕事をこなしていた。虚しさが募る。こうして日々近鉄魂が破壊され消されていく様を見続けるのはつらい。あと5日しかない。いまだに名目上の大阪近鉄バファローズは存在する。月末に営業を譲渡する。このショップが本来の目的の下に灯が点ることはもうない。


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 今日はショップバフィ裏のミスタードーナッツに隣接した倉庫側の入り口の壁に掲げてあった畳5枚分の大きさのバフィロゴ入りペナントが取り外された。福家課長は言った
「近鉄の幕切れや...」
誰もその言葉には答えることができなかった。横で小川次長も寂しそうにペナントを見上げる。
「このお宝いらんか?」
課長は私に言った。多くの不良品や売れ残り品を私はいただき仲間と分けたが流石にこの大きさのペナントだけはどうしようもない。貼る場所も掲げる場所もない。しかもここに近鉄が移転してから8年間野ざらしだったのだ。汚れも目立つしほころびもちらほらと見える。このペナントの運命は廃材となるしかないのか?思わず私は藤内に電話した。
「棺桶シートにええのんあるけどいらんけ?」
「なに?」
「ショップバフィの店ペナントや」
「あのデカイのんか?あれはいらんわ」
「棺桶包むのにちょうどええで。そのまま燃やしてもろたらええねん」
「それビニールやろ?公害になるからあかんで」
案外冷静である。しかし私は尚も食い下がった。
「そうや、藤内さんとこフローリングの部屋あるがな!あの部屋に敷いたらええねん!ちょうどええ大きさや!」
「でも汚れてるんやろ?いらんわ」
今回ばかりは引き取り手がないようである。私はしぶしぶあきらめた。もしも明日まだ倉庫の片隅に置いてあるようであればとりあえず引き取ろうと思う。


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