山麓

関八州の名山「大山(おおやま)」の麓で季節の移ろいを写真と俳句とエッセイで綴っています。

「初恋」早春の妖精(7)

2017年04月21日 | ショートストーリー

後片付けを終えて、洋介をあらためて座敷の椅子に案内する。
「コーヒーと紅茶どちらにします?」
「ではコーヒーをお願いします」と言いながら、これから何が始まるのか洋介はどきどきしていた。
コーヒーを入れて翔子も向かい合って座った。
あの時は、博に生き写し見えた洋介だが、実際にこうしてよく見るとそっくりというほどは似ていなかった。
翔子は話しのきっかけを掴みあぐねていたが、意を決したかのように、あの日、湖畔で泣いていた訳から語り始めた。
事故を報道した新聞記事も見せた。あの時のことを人に話すのは初めてで、信頼している叔母の澄江にも話していなかった。叔母が聞かなかったからでもあるが。
洋介は時に悲しそうに表情を歪め真剣に翔子の話を聞いていた。そういえば小学生の頃、ダム湖で人が溺れ死んだという話しを思い出していた。
翔子は体の中にある重たいものを全て吐き出すかのように喋り続けた。
話しながら鎧のようなものが剥がれ落ちていくような感覚の中で一気に続けた。
「私は覚悟してここで一人暮らしを始めたことを後悔はしていないけど、博君との楽しい思い出がほとんど無いの・・・」
「段々薄れていく記憶の中で暮らしていくのが怖いの・・・だから」翔子は一息ついて洋介を真直ぐ見ながら続けた。
「洋介君が嫌でなかったら、今夜此処に泊って私を抱いて欲しいの!それで私はその思い出で生きていけます!」
「私ね、湖畔で洋介君に出会ったとき運命を感じたのね。博君がね、こいつとなら許すと言ったような気がしたの」
「・・・・」
「勿論洋介君の将来の邪魔は絶対しません。今夜一回だけと約束します」
「・・・・」
洋介は気が動転してどう返事をしていいのか戸惑っていた。頭の中でもう一度、翔子の言葉を反復しながら身代わりなんて嫌だと思いながらも、なんと可愛い人だろうと翔子から目が離せられなかった。
翔子も自分は何を言っているんだろうと恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、もう後には引けないと思い直して言葉を繋いでいく。
「何だかとても身勝手なお願いだよね、めんなさいね」
「でもお願いだから嫌いにならないで、私は真剣なの、だから・・・」最後の方は言葉にならず顔を赤くし、この先どうしていいのか判らない翔子だった。

翔子は眠ってしまったようで、目覚めたときは洋介の腕に抱かれていた。
「よ、う、す、け君・・・」翔子が目覚めたときに自分の名前を呼んでくれたことが嬉しかった。
翔子は初めてで洋介も初めてのようなものだったから、お互いに戸惑いぎこちなかったが翔子は何度も洋介にしがみつきねだってきた。そんな翔子が可愛くて、この人のことは一生忘れられないだろうと力いっぱい抱きしめながら先のことも誰かの身代わりの事もどうでもよくなっていった。

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