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「おくりびと」と「母べえ」を観る

(「母べえ」と「おくりびと」パンフレット)

先週の日曜日に島田の “おおるり” で「母べえ」を見たのに続いて、この日曜日は “夢つくり会館” で「おくりびと」を観た。二つの作品を比べながら感想を書いてみよう。

「母べえ」は戦争中、戦争に批判的な文を書いて治安維持法に引っ掛かり、逮捕入獄された文学者とその家族の理不尽で苦難な生活を描いた作品である。その時代を理解していなければ判らない作品であろう。

「母べえ」が分かり難い点は、文学者に体制を批判して死しても曲げない信念があったようにも見えないところである。ただ要領が悪いだけで、獄死まで行ってしまう点に不自然さを感じる。本当に家族を大切に考えるならば、文学者には逮捕されてから処すべき方法がたくさんあったように思う。文学者の恩師が母べえに話したように、治安維持法は悪法であっても法律であって、法律を守っていかねば法治国家は成り立たない。優秀な才能が無駄に失われることに恩師は腹を立てる。もっと上手な処し方があったはずではないか。戦時という時代に、要領の悪いもたもたした男を夫とし、父としたばかりに、その家族は苦難の生活を強いられる。

文学者のモデルとなったのは、野上厳(筆名 新島繁)といい、獄死したという部分だけがフィクションで、8ヶ月の獄中生活後出所し、戦後も大学教授を務めた。ネットで原作の情報を調べて、なるほどと納得させられた。獄死という結論だけ変えるのでは不自然さだけが残る。

一方、「送り人」はオーケストラのチェロ奏者が失職し、ふるさとに帰ってひょんなことから「納棺師」という職業に就く。死者を扱う職業に対する偏見に悩みながら、死者に死装束を着せ化粧をほどこし、死者の尊厳を保って送る納棺師という仕事に、少しずつ誇りを持つことが出来るようになる。偏見を持った周囲の人々(観客も含めて)も、その仕事ぶりに接し、深い感動を受けて、偏見が消えていく。

昔、20代で亡くなった友人の葬式に出て、女房子供を残して若くして死ぬことが如何にも無念だったのだろう。かっと目と口を開けた形相を今も思い出す。もし納棺師の手にかかっておれば、もっと穏やかな死に顔に整えることが出来ただろう。そしてその友人を思い出すとき、もっと穏やかな顔が浮かべることが出来たはずである。納棺師の役割は死者の尊厳に関わることで、残された人の心を癒す仕事なのである。

「おくりびと」の死と尊厳という問題は人類共通のもので、大変理解しやすいと思った。一方「母べえ」はあの時代の日本の背景を理解しない世界の人々には分かり難い作品であっただろう。「おくりびと」はアカデミー賞外国語映画賞を取ったが、「母べえ」はベルリン国際映画祭に出品されたけれども受賞にはならなかった。
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