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「富士日記」 7 (旧)七月十九日(つづき)

(散歩道のミツバオオハンゴンソウ)

午後、「古文書に親しむ(経験者)」の講座に行く。今日は久しぶりに全員参加であった。二宮尊徳の講義録という、珍しい古文書を読む。尊徳先生の生の声を聴くようで面白い。遠州には、掛川に報徳社の本社が現在もあるように、尊徳さんの思想が現代でもまだ色濃く残っている。

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「富士日記」の解読を続ける。

この二人も同じ家に宿りて、いと狭(せば)き蚊屋(かや)に臥したるに、かの聖の語らく、我が寺に斎(いつき)祀れる八幡の御神は、その上、源義家朝臣、東の蝦夷を向け給いしとき、調伏し給える神にて、調伏の八幡宮と申し奉(たいまつ)て、その上は、寺も伽藍づくりにて、いと大きかりしを、在原業平卿、武蔵野を焼き給いし折りに、寺はもとより、ふるき鐘も焼け失せぬ。
※ 語らく(かたらく)- 語ることには。
※ その上(そのかみ)- 当時。そのころ。
※ 向ける(むける)- 従わせる。服従させる。
※ 申し奉る(もうしたいまつる)- 申し奉(たてまつ)る、と同じ。
(原注 寛治九年、源義家朝臣、奥(州)藤原武衡、家衡等を滅す。)
※ 在原業平卿、武蔵野を焼き給いし折り -「伊勢物語」の中の、
   武蔵野は 今日はな焼きそ 若草の
        つま(夫)もこもれり 我もこもれり


伽藍が焼けた話は、この一首にからめて作られた話と思われるが、業平が野焼きをしたわけでもなく、また、時代が随分隔たっている。

野寺の鐘の、と詠める歌も、我が寺の鐘を詠みしなりなど、いと(ひが)たる事どもを、したり顔に語るは、中々可笑しくて、足の痛気(いたげ)も、かつは慰みけり。
(原注 瑠璃壺 峰遠き 巓(てん)のあたりに 夜は明けて 野寺の鐘は 松の木隠れ)
※ 瑠璃壺(るりつぼ)- 室町時代の医僧、允能(いんのう)の著書。
(原注 新古今集 前大僧正慈円
   有明の 月の行方を 尋ねてぞ 野寺の鐘は 聞くべかりける)

(原注 延喜式、于蘭盆供養料、七寺の内、野寺あり。)
※ 僻む(ひがむ)- ゆがんだ考え方をする。考え方がまちがっている。


すべて東路に、八幡の御社の多くありて、何れも/\義家朝臣の勧請と云えり。先に大なる仇を控えて、討てに向かえる軍(いくさ)の道すがら、五町、十町ばかり隔てつゝ、勧請し給わんこと、あるべくもあらずと、新井君美の書き置かれしことさえ、ふと思い出せば、それだに受け難きをや。
※ 新井君美(あらいきんみ)- 新井白石の本名。江戸時代前期~中期の儒者。著作に「折たく柴の記」「西洋紀聞」。
※ 主(ぬし)- 人名などの下に付けて、敬称として用いる。
(原注 新井君美の説「新安壬筒」に見えたり。)
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