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高利な「作徳金」 - 駿河古文書会

(5月3日、ホテルクレメント宇和島の部屋に置かれた、
ミニSL「坊ちゃん列車」の模型)

日付が変わると、ロンドンオリンピック、女子サッカーの予選の第1戦、日本対カナダが始まる。テレビ観戦のため、今日のブログは少し手を抜く。

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7月20日の駿河古文書会ではもう1枚、解読した文書があった。借金証文であるが、幾つか気になる点があった。まずは、解読した文書を読み下し文で示そう。

        手形の事
一 石部村高辻の内、我等名分の田地、高合わせて、右三反四歩地の所、御水帳面に相違御座なく候、その坪付として、別紙書付相渡し申候、
※ 坪付 - 古代・中世、坪ごとに田畑の所在地や面積を示すこと。また、その帳簿。
右の田地、当御年貢納金に相詰り、来る子の三月限りに相定め、代新金弐両弐分に売り渡し、金子只今慥に請け取り、御上納仕り候ところ、実正に御座候、この田地に付、代人は申すに及ばずに、諸親類に至るまで、構い御座なく候、勿論、先質物などにも書入申さず候、然る上は右の金子、来三月に、新金弐両弐分相済まし申すべく候、もし滞り候わば、請人方より急度埒明け、相済まし申すべく候、たとえ如何様の儀出来致し候とも、少しもその割り懸け申すまじく候、もっとも、遠方の田地相渡し申すべく候、金子調い致さず、我等の田地売り申さず候などと、惣じて難題がましき儀、申すまじく候、為後日のため、よって件の如し
                       石部村
  享保四年亥十二月廿八日       賣主 作左衛門
       安西四町目         同村
         五郎右衛門殿       請人 八兵衛
                       廣野村
                         同断 清右衛門 ㊞

右作徳金の儀は月弐割の勘定をもって元金に相添え、相済まし申すべく候、但し十二月より三月まで、四ヶ月の積りに相定め申し候、以上
 
※ 作徳 - 自作農が、年貢米を納めた残りの得分。

単なる借金ではなくて、年貢の納金の金子の準備が遅れ、間に合わなくなったので、田地を担保に借金して、年貢を納める。4ヶ月後には返済する。返せないときは田地を引き渡すという約束をしている。請人が二人付いているが、保証人に近い役割である。

駿河古文書会で、話が出たのは、その利息の異常な高さである。ここでの利息は「作徳金」という名前で扱われているが、月2割、4ヶ月で8割という高額なものになっている。江戸時代といえども高すぎるではないかという発言もあったが、深く検討はされなかった。

自分なりに考えてみた。利息と言わずに「作徳金」というところに、ヒントがあると思う。年貢の割合が、例えば「五公五民」だったとすれば、収穫の50%を年貢として納め、残りの50%は農家に残る。これを「作徳」と呼ぶ。年貢のお金を田地を担保に貸すのだから、田地の「作徳」を貸主に寄越すことは、合理性があると思われていたのではないだろうか。それが「作徳金」と呼ぶ理由であり、50%の8割つまり収穫の40%を貸主に渡す約束の根拠なのだと思う。借金を返さずに、田地を引き渡せば、50%の「作徳」は払わなくても善いわけで、その代わり、翌年からの「作徳」は買主(貸主)の手に入ることになる。(「作徳」の一年のずれが気になるが)
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コメント
 
 
 
御 礼 (M。ONO)
2016-11-26 10:04:38
先日は色々有難うございました。御令室にも親しくご挨拶できムサシ君にも会えて良かったです。戦前はドッグフードも無く犬も猫も短命でしたが最近のペットは寿命が延び幸せですネ 帰路はご子息の運転でお送り賜り有難うございました。20年位前は茶花採集に毎年行きましたがその頃の赤水の滝は水量は今と変わりませんが整備もされず照葉に映える平凡な滝でした。駿府公園のスナップご掲載賜り嬉しかったです
ムサシ君と同じで私も90才迄歩けてボケない限り一年余頑張ります。これからもお付き合いご指導のほどお願いします
末筆ながら御令閨ご子息に宜しくご伝言下さい
 
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