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「壺石文」 上 13 (旧)六月廿日、廿一日

(お寺の駐車場脇のハハコグサ/昨日)

午後、掛川古文書講座に出席する。新年度、最初の講座である。受講者の登録は60名を越していた。

講座の最初では、新聞報道にもあった新発見の古文書で、直虎は男だったとの説について、その古文書の解釈と講師の考えが示された。それは、次郎法師(女)と、井ノ次郎(男)の二人いて、次郎法師(女)は井伊家の当主で、今川の後ろ立ての井ノ次郎(男)は井の郷の領主だったのではないかという考えであった。不幸なことに、ほどなく、井伊家及び井の郷は徳川と武田の間にあって、戦乱の中で消えてしまった。唯一残ったのが、家康の家臣となった井伊直政であった。

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「壺石文 上」の解読を続ける。

廿日、夕つ方、人々団居して歌詠まんとするをりしも、気色許りうち注ぎて雷、時鳥の鳴ければ、「晩夏郭公」という題を出して、
※ 気色許り(けしきばかり)- ほんのわずか。
※ うち注ぐ(そそぐ)- 降りそそぐ。
※ 時鳥、郭公 - ともに「ほととぎす」


   雪と見し うつぎ垣根の 夕顔に
        ほのぼの名のる 山ほととぎす

※ うつぎ(空木)-アジサイ科ウツギ属の落葉低木で、卯の花とも呼ばれる。花期は5~7月。枝先に円錐花序をつけ、多くの白い花を咲かせる。

また「学者知夏」という題を出だして、詠めと人の言いければ、

   宵々に すだく蛍を 窓に入れて
        夏を時にや 書
(ふみ)は見るらん
※ すだく(集く)- 群れをなして集まる。むらがる。

廿一日、夜深く起きて見るに、有明月夜、いとおかし。厠(かわや)の何邊(いずへ)に下り立ちて、口濯ぎ手洗う。心地さばらか(爽やか)なり。主(あるじ)の翁の乞えりしまゝに、書きて与えける。道別の屋の詞
※ 道別(ちわき)- 進路を開く。
※ 道別の屋の詞 -(翁から、6月、12月の晦日に読む、大祓の祝詞を作るように頼まれた。)


  天(アメ)の八重雲伊頭の千別きに千別き、津々の先に
  立たしてあもりましゝ神もありきとこそ。
  ここに石裂の神の社(やしろ)に仕えまつる中臣の真龍の
  翁を以って、皇国(スベラミクニ)の古(いにしえ)
  なお/\雄々しき道を深くおむがしみ給うと見て、
  こゝらの人をも導きにきとぞ云うなる功(いさお)は、
  いとも/\おむがしきことよ。ともしきかもよ。
  そじしの空(から)の蝦夷の々の、代々の賢しら人どもの
  拙(つたな)き悟りもて、作りなしゝ道は、種々(くさぐさ)
  多かるを、今ゆ後もいや清く、いや(なお)く、伊頭の
  千別きに千別きて、すべらみくに(皇国)の大道(おおみち)
  美(うま)し道と人もうまらにうべなひおむがしみ給うと
  むがに、教え道びき諭(さと)してよとこそ。

※ 八重雲(やえぐも)- 幾重にも重なる雲。
※ 伊頭の千別き(いずのちわき)- 威厳を持ち堂々と道を押し開いて進むこと。
※ あもり(天降り)- 天下る。神や天人などが,天上から地上におりる。
※ おむがし -(「うむがし」に同じ)よろこばしい。めでたい。
※ ともしき(羨しき)- 心ひかれる。
※ そじしの空国(そじしのむなくに)- 肥沃でない土地。
※ 賢しら人(さかしらびと)- 利口ぶる人。おせっかいな人。
※ 今ゆ後(いまゆのち)- 今より後。
※ いや(弥)- いよいよ。ますます。
※ うまらに(旨らに)- うまく。快く。
※ うべなう - もっともであると思う。同意する。
※ がに - …ほどに。


   雲霧を 千別き/\て 人皆なの
        まどう山路の 道しるべせよ
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