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「四国邊路道指南」を原文で読み終えて

(焼山寺奥の院 2012.4.8撮影、焼山寺山標高938m)

「四国邊路道指南」を読み終えるのに、32日掛った。原文はネット上で見つけて、手元に印刷し、そのテキストが状態が良くなくて読めない部分もあり、松山のマメ名人さんに頼み、稲田道彦氏の読み下し文の本のコピーを手に入れた。その本には鮮明な影印もあり、大変に助かった。

自分が、解読する上でいつも留意しているのは、単に活字化し、あるいは読み下すだけではなくて、よく読み込んで、自分が理解出来るまで、まさに「解読」することである。稲田氏の読み下し文は、さらりと読み下しただけで、不明を曖昧なままで読み飛ばされた所も多く、結果的に誤読も何ヶ所か見つかった。

解読する上で意味の解らない言葉は片端から辞書を引き、同じ言葉が何度も出ることも恐れずに、くどい位に「注」を付けた。また、原著には札所ごとに御本尊の像の絵が載せられているが、自分にはどれも同じように見えたので、代りにお遍路で頂いた御影(すがた)を載せた。ついでに納経印も添えた。いずれも2012年当時のものである。

地図も無く、現代のように道路標識や、遍路シールなども全くない江戸時代に、どんな風に88ヶ所のお遍路を案内したのか。読む前にはその点に大いに興味があった。読み進めるうちに、なるほど、このようにすれば確かに案内になると納得した。お寺からお寺の間に、通過する村々の名前が克明に記されている。村と村の間に○印が付けられ、次の村へ移ることがはっきり分かるように意識されている。

江戸時代は、現代のように合併、合併が繰り返されて、大きな行政単位になっておらず、今でいう町内会程度が一つの村になっていたから、お遍路さんは「指南」に記された村を追って歩けば、次の札所へ着けるのである。村の名前のほとんどが、かな表記になっていたから、それを声に出せば、村人の誰からでも、隣り村へ行く道ならば尋ねることが出来たと思う。文字が読めない村人でも大丈夫である。

解読に当って、かな表記では現代の人には読みにくいだろうと、地図帳と首っ引きで、現代の地名と符合する漢字名を拾って置き換えた。一部、かなのまゝで残したのは、符合する地名が現代の地図帳で見つからなかったものである。

八十八の札所には、阿波、土佐、伊予、讃岐の四つの国にそれぞれ配置されたお寺がある。15番国分寺(阿波)、29番国分寺(土佐)、59番国分寺(伊予)、80番国分寺(讃岐)と、それぞれの国の国分寺が入っている。また、関所寺として、19番立江寺(阿波)、27番神峯寺(土佐)、60番横峰寺(伊予)、66番雲辺寺(讃岐)が決められている。さらに、それぞれの国の一の宮が入っていることに、今度初めて気付いた。13番大日寺(阿波一の宮)、30番善楽寺(土佐一の宮)、55番南光坊(伊予一の宮)、83番一宮寺(讃岐一の宮)がそれである。明治の神仏分離で、お寺に名前を変えているので、今まで気付かなかった。

読み終えて、次にお遍路に出るなら、「四国邊路道指南」を手に、江戸時代のお遍路を出来るだけ再現してみたいなどと考えている。
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