goo

古稀同窓会 城崎温泉 招月庭にて(4)

(散歩道のキダチチョウセンアサガオ)

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。今日のテーマは「高天神城・馬伏城と長浜城・三枚橋城 -駿遠と甲相の戦国史-」。講座の中で、講師から頼まれて、解読した「今川氏真誓状」(9月12日書き込み)が桶狭間後の今川氏の状況を説明する資料として使われた。その際に、解読者として名前を挙げられて、恐縮した。講座については後日触れる。

古稀同窓会の続きである。

二次会の席は、フリーになった。色々な人と話したと思うが、S氏とは、印象的な再会だった。仲が良かったのは小学校の頃で、小学校のそばの豆腐屋さんであった。向うから氏名を述べて声を掛けてくれたから、すぐに解った。家が近くだったこともあり、よく一緒に遊んだと記憶している。その後、接点は無かったが、子供の頃の遊び仲間として、フルネームが浮かぶのは、S氏以外には数人である。聞けば、高校卒業後、故郷出身の実業家の家で、もう一人と、書生をしていたという。明治に世ではなかろうに、虚を突かれた思いである。その実業家はそんな形で若者の学業支援をしていたのだろう。その後、市役所に永年勤めていたという。

M氏は当地の金融機関の要職にあり、未だに第一線にいるという。息子はまだ30代で引き継げないから頑張っているのだろう。自分も長く企業の資金担当だったから、金融機関の実態はよく知っている。話を合わせようと、若い頃は金融機関の宿直室で、麻雀など囲んだものだが、今では考えられないと、話を向けたが、少し話が生々しくて敬遠したようで、会話は弾まず、席を移って行った。後に遠目で見れば、両側へ女性陣(もちろん古稀)を抱え込むように話し込んでいた。まだまだ現役で、古稀になっても枯れる境地には至らず、日々ピリピリするような激務に身を削っているのであろう。

自営業の人は自分が線を引かない限り、仕事に切りがつけられない。その点、サラリーマンは年齢が来ると、きっちりと職場から退場命令が出るから、否応なく第二の人生に踏み込める。第一線のままゴールを迎えてしまったり、老いてから陥穽にはまり、晩節を汚す人を見ていると、早く引退していれば、かような困苦を受けることもなかっただろうと思う。

城崎のM氏はこのブログの熱心な読者でもある。何年か前に首の筋が骨化するという、症例がほとんどない珍しい病気に罹り、手術を受けて、後遺症もないけれども、モルモットとして医者が手離してくれず、今も年に一回、術後の経緯を観察されていると話した。M氏とは、クラスが一緒だったこともなく、どんなきっかけで親しくなったのか、忘れてしまったが、付き合いの中で、そんな話は初めて聞いた。

Kさんとは最後になってお話した。名前は母や兄からいつも聞いていたが、初めてですねというと、姪の結婚式でお話したという。後で確認すれば、花婿の叔母さんで、顔を合わせていた。あの結婚式は、全国展開のレストランチェーンの社長さんやら、但馬の作家などが参列して、度肝を抜かれたことはよく覚えているが、Kさんと話したことは上の空だったのか、記憶していなかった。失礼を誤って、近況を話した。
(つづく)
下記、「コメント(0)」の数字0をクリックすれば、コメントが書き込めます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 古稀同窓会 ... 古稀同窓会 ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。