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八木洋行氏講演会 前半 「やぞうこぞう」

(民俗学者八木洋行氏)

夜、竹下文化委員会主催の、八木洋行氏の講演会を聞きに行った。八木氏は藤枝在住の民俗学者で、この20年余、地元ラジオで靜岡県の民話を読み聞かせる、「すっとん靜岡昔話」の原稿を書き続けていて、現在1114回を数える長寿番組になっている。

最初、八木氏を見て、大きな間違いを犯していたことに気付いた。実は講師の名前を聞いたとき、同じ靜岡県をフィールドワークにしている民俗学者、中村羊一郎氏と間違えていた。失礼しました。

最初、槙の実の話から始まった。生垣に多く使われている槙の木の実を、この地区では何と呼ぶかと聴衆に聞いた。「やぞうこぞう」とあちこちから答えの声が上がる。実は「やぞうこぞう」と呼ぶのは大井川を境にして西の遠州地方だけだという。大井川の東、駿河では「さる小僧」とか「らんかん小僧」などと呼ばれている。

遠州の空っ風は今の季節の西風をいうが、濃尾、三河では「弥三郎の風」、あるいは「弥三郎婆さんの風」と言われた。昔は遠州地方でも同じように言われていたが、遠州に繊維工業が発展し、遠くから働きに来て、この地に移り住む人たちも増えて、「弥三郎の風」という名前は廃れ、もっぱら遠州の空っ風と呼ばれるようになった。

冬の季節風が伊吹山に当って、湿気を雪に降らせた空っ風が、濃尾平野から三河、遠州まで空っ風として吹いてくる。この風は焼津の高草山(日本坂や蔦の細道のある山塊)に当って駿河湾に出て、西伊豆の海岸まで達する。だから高草山の東の靜岡には空っ風は吹かない。

弥三郎婆さんは伊吹山の山の神で、婆さんが吹き下ろすといわれてきた。実は伊吹山山麓には鉄を生産する職人集団がいて、冬の空っ風をふいごの代わりにして鉄を吹いたと伝わる。どうやらその集団は遠く出雲の安来あたりから流れてきた職人たちで、弥三郎婆さんの山の神も一緒に移って来た。余談だが、安来節のドジョウすくいの踊りの原型は、砂鉄取り作業だったという。ならばドジョウは「土壌」だったのかもしれない。

その「弥三郎の風」が吹き始める初冬に、その風が通る槙の生垣に実る実だから、「弥三郎の小僧」と呼んだのが、なまって「やぞうこぞう」になったのだという。

ここまでが、つかみの話で、自分たちの身近なことを民俗学で説明することで、聴衆の聞く気をしっかりと掴んでしまった。掴みさえ間違えなければ、講演は成功したようなものだといわれる。

その話に関連した少し怖い話。昔、死人が土葬されると夜、弥三郎婆さんがやってきて、墓を掘り返しその着物を奪っていくといって、夜に騒ぐ子供たちをおどかしていた。実は、もっと生々しい話で、良質の鉄の生産に、動物性タンパク質が必要とされ、職人集団では死体を貰い受けて、たたらに入れて鉄の生産がなされたといわれ、その話が巷にもれて、そのような伝説になったのだという。(つづく)
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