平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
村々の立場を理解する - 駿河古文書会
入会の権利関係は昔から問題が多く、出入になることも多い。様々な権利関係が入り乱れて、その関連文書を解読するのは、なかなか難しい。この文書も村々の関係を良く理解しないと正しく解読できない。まずは文書を読み下した文で示す。
恐ながら返答書を以って申し上げ奉り候
先だって葉梨谷西方村、北方村両郷山義、山論に付、上薮田村、下薮田村、五十海(いかるみ)村、三ヶ村一同、相手取り御願い申し上げ候に付、右三ヶ村一同、返答書仕り候、然るところ先方再び返答書に申し上げ候は、五十海村の義は、相対にて一丈もや苅り取らせ候積り、書付など御座候ところ、右三ヶ村一同の返答書差し出す義、如何の儀御座候やと申し出候、この義当村の義は、先々より三ヶ村一同に入會山に入り来たり候えば、年々新鍬六枚、多葉粉(たばこ)三斤ずつ差し送り申し候、則ち先方の請取、書付に所持仕り罷り来り候、もっとも両薮田村へ、御上様より下し置かれ候御書付は当村の義は御座なく候に付、よんどころなく出訴の義、差し出し申し上げず候、右の通り申し上げ候、以上
享和弐年戌六月
五十海村
庄ヤ 四郎兵衛㊞
同断 平吉 ㊞
年寄 平蔵 ㊞
同断 十蔵 ㊞
百姓代 仁平 ㊞
田中御役所
※ 山論(さんろん)- 山野の境界・利用をめぐる村落間の争論。江戸時代に頻発し、耕地開発の進展による、山野を供給源とする刈り敷き・秣(まぐさ)などの肥料の不足から生じる場合が多い。
※もや-たきぎ。
問題になっている山は、葉梨谷西方村、北方村両郷の山である。入会山として入らせてもらっているのは、上薮田村、下薮田村、五十海村、三ヶ村である。田中御役所(御上様)がこの出入を取り扱っている。この文書は五十海村が御役所へ出訴しない理由を説明した文書である。
事件の推移を追うと。
1.事の起こりは、山の持ち主の西方村、北方村両郷から、上薮田村、下薮田村、五十海村三ヶ村に対して、山論により御願いの文書がもたらされた。
2.三ヶ村は両郷に返答書を出した。具体的な内容はこの文書では判らないので歯痒い。
3.両郷から再び返答書が出された。三ヶ村の内、五十海村とは、相対で薪取りについて約定の書付があるから、問題にしていないのに、右三ヶ村一同の返答書となっているのはどういうわけかと聞いている。
4.元々三ヶ村一同で入会山に入っていたので返答書に加わったが、五十海村は、年々新鍬六枚、たばこ三斤ずつ差し送って、請取ももらっている。御役所から来た書類には両薮田村だけで、五十海村はなかったから、出訴はしない。
このように、村の立場を理解して読まないと文書の正しい理解が出来ない。
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