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平戸を訪れる その5 平戸城

(平戸城)

平戸港を隔てて、街の向かい側に平戸城(亀岡城)がある。岬の山上に天守閣が見えていた。最教寺からは車でわずかの距離であった。駐車場から少し登って北虎口門から入ると、入場券500円を取られる。森の中に天守閣を中心に、狸櫓、見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓が点々と取り囲んでいる。天守閣の最上層に登った。平戸の街が一望に出来た。後に宿の女将さんが話していたが、箱庭のような町である。オランダ商館、フェリー発着場、松浦史料博物館などが確認できる。台風の余波で風が強く、まことに気持ちよいが、如何せん風が強すぎた。長くいると寒いほどで、早々に切り上げた。

天守閣やそれぞれの櫓には歴史資料や民俗資料などが展示されていたが、いずれも展示が古くて、天守閣や各櫓の再建が成った昭和37年に展示して以来、手が付けられていないように思えた。この地方の昔のかまぼこの作り方は、かまぼこ板の替りに麦わらを使っている点など、興味深く見たけれども、再現のジオラマが日焼けしてしまって見苦しい展示であった。しっかり料金を取る割りに力を入れていないのはどうかと思った。


(亀岡のマキ並木)

亀岡公園に下って来ると、平戸の街を眺望できる側に、カヤの巨木が10数本、並木状に並んでいた。県指定天然記念物の「亀岡のマキ並木」である。1599年、亀岡城の元になる日の岳城築城の時に植えられたものというから、樹齢は400年を越す巨木である。最大幹周囲5.5メートル、半数は3.6メートルあるという。


(千光寺)

城から降りて、先刻見つけられなかった千光寺を、もう一度カーナビで調べた。今度は地図を出してそれらしい場所を探したところ、千光寺の名前を見つけた。早速目的地に指定し車を走らせた。千光寺は道路脇にある小寺であった。本堂脇で小舎の工事中の人に栄西禅師のゆかりの場所を聞くと、道路の向かい側を下ったところにある、冨春庵跡がそうだと教えてくれる。冨春庵跡に向かう背中に、何も無いよ、という言葉が追いかけてきた。


(栄西禅師座禅石)

道路を渡って、少し入って下ったすぐの所に、しょぼい茶園があった。昔の茶園で、かまぼこ型ではなく、一本ずつ別れた茶園であった。中国から帰ったばかりの栄西禅師が持ち帰った茶の実を植えた冨春園である。茶の木は当時のものではなく、何代か植え替え継がれているのだろう。冨春庵跡はさらに下ったところにあった。冨春庵跡の碑と栄西禅師が座ったという座禅石が残っているだけであった。


(冨春園)

戻って、工事の人に礼を言った。本当に何も無かった、ただお茶に関係しているもので、と話す。春と秋の2回、松浦さんと県茶試が来て、ここで献茶祭がある、その時に来ればよい、と情報をくれた。「松浦さん」は松浦の殿様の子孫なのだろう。

時間は5時前になった。そろそろ宿に入る時間である。平戸の街へ戻った。
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