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「壺石文」 中 24 (旧)八月廿九日(つづき)、壺の碑

(散歩道のアジサイ)

夕方、お湿り程度の雨。それでも久しぶりの雨に、植物が皆よろこぶ声が聞こえそうだ。

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「壺石文 中」の解読を続ける。服部菅雄さんは、書名の由縁の壺の碑までやってきた。壺の碑と云われるものが、二基現存しているが、その内の一基である。

また大路に出て、二十四里ばかりなりというを経て来れば、右の畑中に壺の碑あり。立ち寄りて見れば、ちさき屋立てり。粗らかなる格子戸にて、錠差し固めたり。されど、大きやかなれば、文字様鮮やかに見ゆ。読みて見るに、
※ 粗らか(あららか)- 大ざっぱなさま。こまやかでないさま。
※ 大きやか(おおきやか)- 大きなさま。大きそうに見えるさま。


  西
   多賀城
      京を去る、一千五百里
      蝦夷国界を去る、一百廿里
      常陸国界を去る、四百十二里
      下野国界を去る、二百七十四里
      靺鞨国界を去る、三千里
※ 靺鞨国(まっかつこく)- 七、八世紀頃の外満州を含む領域を、698年に靺鞨民族が統合した国。後の渤海国の中核となる。

この城、神亀元年歳次甲子、按察使鎮守将軍、従四位上勲四等大野朝臣東人、これを置く所なり。天平宝字六年歳次壬寅、参議、東海東山節度使、従四位上仁部省卿、兼按察使、鎮守将軍、藤原恵美朝臣朝獦、修造なり。
          天平宝字六年十二月一日
※ 神亀元年(じんきがんねん)- 西暦724年。
※ 歳次(さいじ)- 年のめぐり。とし。
※ 按察使(あぜち)- 奈良時代に設置された、地方行政を監督する令外官の官職。
※ 鎮守将軍(ちんじゅしょうぐん)- 古代蝦夷経営の軍政府たる鎮守府の軍政長官。奈良・平安初期までの律令時代には「鎮守将軍」、平安中期以降「鎮守府将軍」と呼ばれた。
※ 大野朝臣東人(おおのあそんあずまびと)- 奈良時代の武将。蝦夷征伐に参加。のち鎮守府将軍・陸奥按察使を歴任。藤原広嗣の乱を平定した。多賀城を築く。
※ 天平宝字六年(てんぴょうほうじろくねん)- 西暦762年。
※ 節度使(せつどし)- 奈良時代、唐制にならい、地方の軍政と防備を任務とした臨時の職。天平4年(732)と天平宝字5年(761)とに2回置かれた。
※ 仁部省卿(じんぶしょうきょう)- 仁部省の長官。「仁部省」は民部省の唐風改称。藤原仲麻呂(恵美押勝)によって改称され、失脚によって元に戻る。
※ 藤原恵美朝臣朝獦(ふじわらのえみのあそんあさかり)- 奈良時代の公卿。名は朝猟、朝獦とも記される。藤原仲麻呂の四男。陸奥鎮守将軍。仁部卿、東海道節度使、参議。藤原仲麻呂の乱で一族ともに殺される。


とあり。
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