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「富士日記」 1 序文

(「富士日記」の挿絵、富士山)

今日より、「富士日記」の解読を始める。

「富士日記」の著者、賀茂季鷹(かものすえたか)は、江戸後期の国学者である。京都に生まれ、姓は山本。有栖川宮職仁親王に歌をまなび、江戸で加藤千蔭ら文人、歌人とまじわり、その後、京都にかえり上賀茂神社の祠官をついだ。

この「冨士日記」は、36歳の季鷹さんが、1790(寛政2)年7月、江戸を出発して、富士吉田の北口本宮富士浅間神社の神官刑部国仲の案内で富士登山し、江戸に帰るまでの日記である。出版の経緯は序文にある。

まずは同時代の国学者三宅公輔の序文である。

山と云う山の中に、富士の山の、世に優れて、尊く秀でたる事は、言うもさらなり。

一日(ひとひ)、わが季鷹縣主の、早く(あづま)に下りし折り、かの山に登りし日記なりとて、取う出て見せ給うを、見もて行くに、その所々、今ただ目の当たり、見る心地せられて、何時のほどにか、旅なる思いをなしつゝ、かくて読み果てゝ、怪しう日ごろを経て、帰り来つるようになんなど、云える折しも、
※ 一日(ひとひ)- ある日。先日。
※ 季鷹縣主(すえたかあがたぬし)- 賀茂季鷹(かものすえたか)。
※ 早く(はやく)- 早い時期に。ずっと以前に。


片方(かたえ)にありつる城戸千楯、かかるものを、ただに置くべきや、果敢のうし惜しも、山川の音にのみ聞くらん人に、こゝながら見せもし、幼きもの、学び人の文(ふみ)書き習はん山口にもなさばやと言いて、菅原雪臣あとらえて、大和(やまと)、唐土(もろこし)の古事(ふること)引き、歌など片方(かたえ)に書かせて、木に彫(え)ことにはなりにたり。
※ 城戸千楯(きどちたて)- 江戸後期の歌人。名は範次。京都の書林紙魚 蛭子屋市右衛門・本居宣長の門。
※ 果敢のう(はかのう)- 果敢ない。甲斐がない。無駄である。
※ 山口(やまぐち)- 物事のはじめ。
※ 菅原雪臣(すがわらゆきおみ)- 垣本雪臣。江戸時代後期の歌人,画家。伊勢出身。菅原は本姓。京都に出て漢学を竜草廬に、和歌を伴蒿蹊に、有職故実を橋本経亮に、画を松村月渓に学ぶ。狂歌、狂文にもすぐれた。石清水八幡宮に仕えた。
※ あとらう(誂う)- 注文して作らせる。依頼する。あつらえる。
※ 木に彫(え)る - 出版する。


言葉の世に目出たく秀でたることは、さらにも言わず。見ん人、見て知るべきなりけり。
 文化十一年九月              三宅公輔(しる)
※ 三宅公輔(みやけこうすけ)- 河本公輔。江戸時代後期の国学者。通称河本文太郎。京都の人、室町丸太町北に住した。

明和九年正月、十九歳にて始めて下りし時、   季鷹

   今日もまた 富士の裾野に 暮れにけり
        明日もかくてや 草枕せん


すべて五度ばかり、登り下りに見しに、また一昨年(おとどし)下りし時、

   東路の 往還毎に 富士の嶺は
        見の眼にも似ず 驚ろかれつゝ


読書:「大晦り 新酔いどれ小籐次 7」佐伯泰英 著
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