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八木洋行氏講演会 後半 「大井神社の流着伝説」

(我が家のミニシクラメン)

(昨日の続き)
金谷の日限地蔵の始まりは、一説には、明治14年童子沢(わっぱざわ)から運び出した自然石を開山の日正上人が日限地蔵菩薩を刻んで開いたという。もう一つの説は、大井川の上流から流れてきて掘り出された石の地蔵さんを祀ったのが始まりというものである。これは各地に多く見られる流着伝説の一つである。

かつて川の堤などに数多くの石仏が祭られていて、大水が出て堤が壊れそうになると、石仏を川へ投げ入れて、石仏の力に頼んで洪水を防ぐということが行われていた。洪水が治まれば石仏は引き上げられて堤に戻され祀られるのであろうが、中に流れてしまう石仏もあったのであろう、川下で拾われて流着伝説をなすことになる。

この地域はどちらにしても大井川を抜きには語れない。大井川は天正の瀬替えで大きく変わった。それまで大井川は当地では西に蛇行して、五和地区の大部分は大井川の川底だった。大井川はこれより東へ、白岩寺-岸-青島-千貫堤と、藤枝方面まで流れが蛇行し、駿河湾に注いでいた。これを時の領主、遠州掛川の山内一豊と駿河の中村一氏は同じ家康の家臣で友好的だったので、協議し、牛尾の山を切り崩して大井川の蛇行をまっすぐにして、頻発した洪水を防ごうと、天正の瀬替えを行なった。これにより、遠州側にはこの辺り五加地区に山内一豊の領地が増えることになったが、これより下流では中村一氏の領地が増えることになり、どちらが損得か判らないが、この大事業によって、特に島田辺の洪水が随分減ることになった。

大井神社は大井川周辺にだけある神社で、全部で75社あることが確認されている。その元社は千頭の奥の大沢にあって、大井神社の元社を守っている井林家が現代も存在している。井林の名前も、大井の神様を囃したてる意味の名字といわれている。

いつの時代か、大規模土砂崩れで自然のダムが出来、大沢の大井神社の元社がそのダム湖に浮き上がり、その後の自然ダムの決壊で大井川に流れ始めた。途中、少しずつ壊れながら大井川を流れ下った。田代、神座などでは漂着した材を拾って大井神社の分社が各地に出来た。その最後に流れ着いたのが、現在の島田市の大井神社であると伝えられている。

三年に一回、天下の奇祭と云われる大井神社のお祭り、帯祭りでは、その最初に大沢の井林家を招いてお祭りを始める伝統が現在も残っている。これもスケールの大きい流着伝説の一つである。

大井神社75社の内訳は、井川8社、本川根7社、中川根8社、川根10社、金谷5社、島田12社、藤枝10社、焼津8社、吉田1社、榛原1社、大井川1社、岡部1社、さらに安倍川流域にも3社となっている。
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