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「二宮尊徳講義録」 1 - 古文書に親しむ(経験者)

(散歩道のノボタン)

台風18号の前触れの風で、揺れに揺れるノボタンを、風の合間を縫って撮ったのが上の写真である。

台風は明石に再上陸して北東、丹後の方へ時速45キロで進んでいるという。先程、閑散とした城崎温泉の画像が映っていた。コースには知り合いも多いが、雨が心配である。

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受持ちの講座「古文書に親しむ(経験者)」で、教材とした「二宮尊徳講義録」というべき文書を、以下へ解読して紹介する。二宮尊徳といえば、小学校などで、本を読みながら薪を背負う像で知られているが、財政破綻や飢饉に迫られた、藩や村々を立て直した思想家であった。

この文書は、尊徳先生の年譜を見ると、天保9年に、駿河領御厨郷中へ渡されたという注意箇条書か。あるいは、天保11年(1840)11月、54歳の尊徳先生が駿河御殿場村にて行った仕法の際の講義録であろうか。何れにしても、ここで触れられる飢饉は、天保4年から天保10年まで続いた天保大飢饉(天保6年~8年がピーク)のことである。

いずれにしても、難しい報徳思想を、やさしく説く、尊徳先生の語り口が知れて、興味深い文書である。

 報徳駿州御厨郷中へ御申し渡しの写し
     明治九年子二月、これを求む 
          遠州豊田郡常光邑 鈴木雪三郎
※ 御厨郷(みくりやごう)- 静岡県御殿場辺り。

家を保つも、身を治むるも、金銀の出来るも、何も不思議はない。誠の一つを以って、これを貫くのじゃ。まことは天の道。天の道を誠にするは、人の道というのじゃ。

粟を蒔けば粟生え、麦を蒔けば麦が生え、米をまけば米が生え、皆その通りに姓名を正しうする。これを天の道という。

これをおのれ/\が勝手に、朝寝をしたり、遊んで食ったり、寝て居て喰ったり、ぐたついて過ぎようとは、何を蒔いても、麦を蒔いても、米を取ろうとした様なもので、田にも畠にも正直な夫食もなさずにおいて、働かしょうとするゆえ、去年の様なる凶作には、人より先へ、夫食は天より御取り上げじゃ。
※ 夫食(ふじき)- 江戸時代、農民の食料一般をさす。

これが粟を蒔いて粟が生えたのじゃ。田畠を飢えに及ばしたから、己々(おのおの)も飢えに及ぶのじゃ。何も不思儀の事はない。これが天の道じゃ。かようを、善悪ともに報(むく)うのじゃ。さすれば、飢えるとも、くたばるとも勝手次第にしたがよい。平生、田畠へ、夫食をたんとやっておいた人は、去年も今年も、夫食に差支えはない。米を蒔いておいたから、米がとれたのじゃ。皆、銘々精根次第の手細工じゃ。
※ 精根(せいこん)- 精力と気力。

それじゃによって、飢うるものは飢えても、くたばるものはくたばるもよけれども、同じ村に生れ、同じ御百姓同士なれば、家内の肉のけずれるのを、見て居てもすまぬによって、有るものは、この節、融通してやるがよい。五十年に一度の事なれば、この節、人の命の救い時じゃ。救うたものは忘れるがよい。救われたものは、子々孫々まで忘れぬよし。
(つづく)
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