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「富士日記」 28 (旧)八月二日(つづき)

(かなや会館のセイヨウアサガオ)

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。ラジオの臨時ニュースで、男子100メートルで、桐生祥秀が日本人初の9秒台、9秒98を出したと聞いた。ついに出た。しかもあっけなく。

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「富士日記」の解読を続ける。

ここを出でゝ、信玄僧正の仮殯(かりもがり)の墓に詣でて後、信虎朝臣の建て給いし、大泉寺を過ぎ、愛宕山に近付く頃、雨降り出たれば、暫し憩いて、甲府の町に出でて、伊藤可春という人の家に行く。この可春は、手習わすとて、子供数多集えれば、姦(かしま)しきことこよなし。
※ 仮殯(かりもがり)- 死人を埋葬する前、しばらくその死骸を棺に入れて納めて仮に祭ること。

主、歌を乞えば

   水茎の 清き流れを 堰入れて
        四方
(よも)に分かてる 宿ぞこの宿
※ 水茎(みずぐき)- 筆。筆跡。(手習いの子供たちの筆のことを示すのか)

暫し物語するうち、町の長(おさ)なる、山本昌預(がり)消息(音信)して、我れかく来たれるを知らせたりと覚えて、やがて彼処(かしこ)より人来たりて、とく渡り給わね、藤井守成も来逢いぬ。
※ 山本昌預(やまもとまさやす)- 江戸時代の町人・歌人。甲府町年寄の山本金右衛門。

とく/\と、言い遣(おこ)せたれば、行きたるに、主は初めて逢える者から、歌はさる便り有りて、見せしこともあれば、打ち語らうに、いと睦まじく、守成は一年(ひととせ)、我が家にも尋ね来たれりければ、年頃の怠りを述べ、主の弟も出て、人々珍しがりて、酒さかな、果物など出してもてなしたり。

道すがら読めりし歌どもを、望みければ、書き侍るついでに、

   言の葉の 花の香とめて 岩根踏み
        重なる道を 分けつゝぞ来し


と云えりければ、守成、

   民草の 潤(うる)う雨より 嬉しきは
        思いも掛けぬ 君を待ちけり

※ 民草(たみくさ)- 人民。庶民。(増える民を、繁茂する草にたとえた語。)

かくて主、昌預を始めて、人々詠めりし歌どもを見せて、暫し語らいたるに、
雨も小止みぬれば、またもこそとて、好道は家に帰えり、式穀、案内(あない)して、朝気村てふ(という)所の、馬場徴信と云える薬師も、久しき歌よみなりと聞き置きたれば、畦道をたどりて、暮れ過ぐる頃、訪い行けるに、主、
※ 小止む(おやむ)-(雨・雪などが)少しの間やむ。

   踏み分けて 深き情けの 跡見せず
        浅茅が露は 雪ならねども


と云えりければ、

   大方の 野べと思わば 夕露に
        袂
(たもと)そぼちて 分け入らめやは

かくて、草々物語らうに、夜更けぬれば、今宵はこゝに枕を借る。
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