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「富士日記」 22 (旧)七月廿八日(つづき)

(夕方の空に鱗雲)

夕方、ムサシの散歩時、鰯雲を見る。この所、ようやく秋を感じる気候となって来た。ただ列島の南に停滞して北風を呼んだ台風15号も東の海上を北上して、明日から少し気温が上がりそうである。

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「富士日記」の解読を続ける。

なお行くに、右の方に、一宮道と記せし石文(碑)あれど、例の急げば、え詣でず。これも浅間神社にて、垂仁天皇の御代に祭り給いしよし、風土記に見えたりとぞ。
(原注 風土記云う、浅間神社、活目入彦五十狭天皇八年己亥、始めてこれを祭らる。)
※ 活目入彦五十狭天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)- 垂仁天皇。


申時(さるどき/午後4時頃)過る頃、いさわの駅(うまや)に至る。石禾と、和名抄にあるは、いしあわの、しあをつゞ(約)めて、いさわとは詠めるを、今は誤りて、石和と書きて、仮名も違(たが)い、理(ことわり)も有らぬことゝなりにたり。大方、諸国にかゝる事多し。嘆かわしき事になん。鵜飼と云える(うたい)にて、人もよく知れる所なりけり。
(原注 石禾、和名鈔には山梨郡なれど、近代八代郡に属せり。正治年中より永正の頃まで、武田氏、こゝに住まれしなり。)
※ 謡物(うたいもの)- 地歌で、謡曲の詞章を歌詞とした曲。


石和川を渡りて、暫し憩う。この川も昔の川筋とは変われりとぞ。さて、上小河原という所に行く道の案内(あない)を問うに、この少し先に、笛吹川という川侍り。そこを渡りて、左の堤に沿いて、二里ばかり行く所なりとも言い、また、国玉道と申し侍り。そこをこそと言えば、
(原注 笛吹川 一名、ねとり川という。子の方より酉の方に流るゝ故の名とも云えり。夢窓国師の歌、
    山あらし 雪の白浪 吹き立てゝ ねとり流るゝ 笛吹の川)

※ 国玉道(くだまみち)- 甲府市国玉町に通じる。側に上阿原という所あり。想像するに、上小河原と間違って道を教わったか?


また一人の翁(おきな)、それらの道は近きは近けれど、日暮れなば、知り給わぬ野路、いとたど/\しく侍るべし。いささか遠くとも、真っ直ぐに甲府に出で給いておわせよと言うを、うべ(諾)とは聞けど、日もまだ高し。いでやとて、笛吹川を舟にて渡り、教えし如く堤に沿いて、一里半ばかりもや来けんと覚ゆる頃、早や暮れかかりたり。
※ いでや - どれ。さあ。


読書:「命のたれ 小料理のどか屋人情帖7」倉阪鬼一郎 著
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