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「壺石文」 上 1 片岡寛光の序文 前

(散歩道のオオツルボ)

夕方、突然暗くなって雷鳴が轟いた。いきなりのかみなりに驚き、ムサシの散歩を途中で切り上げた。ムサシも気付いたのか、おしっこを纏めて出して、一緒に駆け足で家に戻った。どうやら、日本列島をV字型寒気と呼ばれる寒気が高速で過ぎったようだ。地表と上空の温度差が40℃を遙かに超えて、不安定な天候となったようだ。

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本日より、服部菅雄著の旅日記「壺石文 上」の解読を始める。最初の部分は、菅雄の江戸在住の、国学の友人、片岡寛光の序文である。

縣居大人の某の日記、明阿弥陀佛の伊香保の日記などは、時に同じうせざりし事なれば言わず。おのれ、初冠してより、知る人の中に、旅の日記、かい(書き)記されたる文、これかれあり。そは、本居翁の、すが(菅)笠の日記、季鷹縣主の不二の日記、芳宜園織錦の二種のにき(日記)など、皆な知る人の記されたるにて、めでたき巻々なれど、ようように十日、廿日のほどなれば、いみじう飽かぬ心地なむせらるゝ。
※ 縣居(あがたい)- 賀茂真淵の号。
※ 大人(うし)- 学者や師匠を敬っていう語。先生。たいじん。
※ 明阿弥陀佛(みょうあみだぶつ)- 山岡浚明(やまおかまつあけ)の号。江戸時代中期の国学者。幕臣。宝暦9年、賀茂真淵に入門。古典の考証にすぐれ,「類聚名物考」「武蔵志料」を編集した。
※ 初冠(ういこうむり)- 元服して、初めて冠を着けること。
※ 季鷹縣主(すえたかあがたぬし)- 賀茂季鷹。江戸後期の国学者・歌人。京都の人。本姓は山本。上賀茂神社の神官。著「万葉集類句」など。
※ 芳宜園(はぎぞの)- 加藤千蔭(かとうちかげ)。江戸中期の歌人・国学者。江戸の人。町奉行所吟味方を務めながら、賀茂真淵に学び、村田春海とともに江戸派の総帥とよばれた。
※ 織錦(にしきごり)- 村田春海(むらたはるみ)。江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人。号は織錦斎(にしごりのや)。賀茂真淵門下で県居学派四天王のひとり。
※ いみじう - 大変。立派な。
※ 飽かぬ(あかぬ)- 物足りない。


また近きころ、おのがむき/\、何くれの日記とて、刷り巻などにも、ものするは、真(まこと)にうち見る先々にて、記しゝ物にはあらず。皆な帰り着きて後、何やかやと、書ども取り出して、なやましきまで穿ち探りつゝ、物知りぶりて、人靡(なび)かせむの心をもとにて、書き(すく)たるものにしあれば、雅びたる心は失せて、いとこちたく、うるさく、要せぬはなか/\に、拙(つたな)きはらわた(腸)の悪しう香の尽きたるさえ、つと見えすぎて、見る目のみが鼻だにえ耐えぬ心地せらるゝも、時代の移ろいなれば、いみじき功名にこそ。
※ 竦める(すくめる)- 萎縮させる。
※ こちたし - 煩わしい。うるさい。
※ 要せぬ(ようせぬ)- 必要としない。


これは、さる方の冴えまくりて、(さか)しら立ち、問わば答えむと構え、求めたる際(きわ)にはあらず。いかで、おのが名、輝かさむと穿ち求めたる類いにもとらず。
※ 賢しら立つ(さかしらだつ)- 利口そうに振る舞う。物知りぶる。
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