goo

鮭は菊川を遡ったか

(菊川宿内の菊川)

地区の秋祭り、祭り当番の慰労会の席で、隣りに釣り好きのOさんが座った。今年の川の様子を聞くうちに、ふと気付いて、昔は菊川を鮭が上ったことがあったのだろうかと聞いた。Oさんの話は否定的であった。鮭が上るには生まれた川であることが必要だが、水温が低いことも条件になる。昔であっても菊川では水温が低かったとは思えず、鮭が上って来る条件はなかっただろう。なるほど、溯上は無理かと思った。

そんなことを話題にしたのは、先々週の「島田金谷の考古学と歴史」で、「吾妻鏡」に次のような一節があり、かなり有名な話だと聞いたからである。

建久元年(1190年)10月、天下の平定を終えた源頼朝は、征夷大将軍への任官を求めて上洛する。(征夷大将軍の任官は2年後)その途中に、菊川宿に泊った折り、上洛に随行していた佐々木盛綱との交流を記した部分である。その部分を記してみると、

十三日、甲午、遠江国菊川宿に於て、佐々木三郎盛綱、小刀を鮭の楚割に相副え(折敷に載せ)、子息の小童をもって、御宿に送り進ず。申して云ふ、只今之を削りて食しむるの処、気味頗る懇切なり、早く聞食す可きかと云ふ、殊に御自愛あり、彼の折敷に、御自筆を染められて曰く、
   まちえたる 人のなさけも すはやりの わりなく見ゆる 心さしかな


※ 楚割(すわやり)- 昔、魚肉を細長く切って干した保存食。削って食べる。
※ 折敷(おしき)- ヒノキのへぎで作った縁つきの盆。多く方形で、食器などをのせる。
※ 気味(きび)- 心持ち。気持ち。
※ 聞食 - 賞味
※ 自愛 - 珍重すること。
※ わりなく - ひととおりでなく。格別に。


この鮭の干物は旅に携行して来たものなのか、菊川宿で手に入れたものなのか。携行していたものなら、初めて口にする訳ではないだろうから、「只今之を削りて食しむるの処、気味頗る懇切なり」という記述にはそぐわない。きっと菊川宿で手に入れたものと思う。だから最初に戻って、菊川に鮭が遡って来たのだろうかという疑問になる。

「サツキマスなら遡って来たかもしれない」Oさんがヒントをくれた。長良川河口堰で自然破壊問題になったサツキマスである。最大体長50センチになるサケ目サケ科の、川と海を行き来する回遊魚で、サケによく似ているという。神奈川県西部以西本州太平洋岸、四国、九州の一部に生息している。陸封型はアマゴと呼ばれる。

サケによく似ているから、干物をサケといわれても区別できないに違いない。頼朝が賞味した鮭の楚割は菊川で獲れたサツキマスの干物だったというのが真実なのかもしれない。ともあれ、サツキマスの干物、現在では菊川産とはいかないが、菊川の里の名物にしてみてはどうだろう。流行るかもしれない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )