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丸子富士から朝鮮岩へ


(朝鮮岩からの眺望)

(昨日の続き)
12時40分、満観峰山頂に到着。着いても食べる昼飯はない。ベニフウキのお茶を飲んで、休憩舎で身支度をしているおじさんに声を掛けた。(ちなみに自分がおじさんと呼ぶ人には元気の良いおじいさんも含んでいる)

おじさんは焼津の住人で、花沢の里に車を止めてきたという。日本坂峠から登って来たが、この後、高草山の方に足を伸ばそうかと考えている。この山地にはルートのバリエーションが色々あって楽しめる。ハイキング地図に載っていない道も幾つもある。自分はもっぱらこの山で山歩きを楽しんでいる。などと問わず語りに話す。一つ重要な情報をもらった。花沢山から向こうに尾根伝いの山道が続いて、かんぽの宿まで行けるという。その道は使えそうだと思った。かんぽの宿の温泉に入れてもらい、焼津駅まで帰るというコースが浮かんだ。

この先の丸子富士から朝鮮岩の様子を聞くと、ピストンして来るのは大変だが、向こうへ下るならいいだろう。二時間くらい掛かるだろうかと聞くと、そんなには掛からないと少し歯切れが悪い。あまりそちらへ足を延したことが無いのだろうと思った。

丸子富士は名の通りの斜面の登りが待っていた。山頂への登り下りをパスする迂回路も山腹に通じていた。丸子富士山頂には「金光山蔵王権現」の石碑も建っており、金光山と呼ばれることもあるようだ。

高々標高400メートル足らずの山と侮るなかれ、丸子富士から先にこの日最大の難所が待っていた。谷底まで下ったと思うと、急登が待っているといった繰り返しが続いて、足ががくがくになった。そんな中でも一句浮かんだ。

   急登の 先に木漏れ日 シャガの花

見ただけを詠んだ句で、つまんないとは思うが、ウォーミングアップである。

朝鮮岩は絶好の見晴台で靜岡の市街地から大浜海岸、そして用宗港まで隠すところなく見張らせた。空気が澄んでおれば、その中央に富士山の雄姿も見えたはずである。

朝鮮岩の語源について、「新丸子路考」では、昔、唐に留学した安倍仲麻呂のことを唐名で晁卿と呼んだのにちなんで、文人たちの間で、安倍川を晁水、安倍川の堤を晁堤、駿府を晁陽などと呼んだことがあり、朝鮮岩は安倍川の西にあって目立った大岩の意味で、「晁西(ちょうせい)岩」と呼んでいたのが、一般に伝わって、「ちょうせいいわ」→「ちょうせんいわ」→「朝鮮岩」と変化したとする説が述べられている。

朝鮮岩からは一気の下りとなって、丸子の井尻という集落に出て、それより丸子川に沿って、16時に安倍川駅まで出た。さらに金谷駅から自宅まで歩いた。山道で歩数が増えず、そこまで歩いてやっと33,094歩となった。結局、食事にありついたのは自宅に帰ってからであった。
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