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志下山から鷲頭山 (沼津アルプス3)

                      (鷲頭山と小鷲頭山)

(沼津アルプス2より続く)
志下坂峠をすぎる。峠から東へ下る道はイノシシのヌタ場(泥浴び場)があるという標示があった。馬込峠を過ぎて志下山(214m)に着いた。この登りは比較的楽であった。登りの途中で自分を抜いて行った男性が休んでいた。地図を見ていたのでこの後の様子を聞いた。大平山へはピストンの道しかないことや、彼は多比口峠から東へ下る予定だと話した。

志下山の向こうには鷲頭山が見えていた。鷲頭山の手前に重なるように少し低いピークが見える。おそらく小鷲頭山であろう。そのピークとの間にはここからは底が見えないほどの低い峠があるようだ。

急速に下った志下峠から再び急登が始まった。この山並み最大の登りである。しかし最初の急登は森林保全のため通行止めになっていて、大きく迂回路を進んだ。迂回路の先に中将宮という巨大な一枚岩の下に祀られた石仏があった。ここで中将というのは平重衡で、東大寺を焼いたとして悪名高い。頼朝に捕らわれて伊豆に流され、非業の死をとげたという。終焉の地が小鷲頭山の先に残っていた。

中将宮の先で直登路に合流し、この後、心臓破りの急登が始まった。志下峠の手前でゆっくり休んでいた中年グループにあっさり抜き返された。何とか小鷲頭山(330m)に達したがヘロヘロになっていた。スタミナ切れであるが、握り飯の残りを食べる気持にもならなかった。それでも何とかこの山並みの最高峰の鷲頭山(392m)に達した。休む中年グループを残して下る。

しかし、多比峠で気力が萎えた。あと、残すは多比口峠と大平山(356m)なのだが、目の前の少しの上り坂に、立ち向かう気持ちが消えてしまった。今朝は早く出てきたので、時間はまだ午後1時過ぎである。

多比峠からの下山道は荒れていて、林道に出て廃屋があった先で、土砂が流れた上に丈の高い雑草が生え、道が失われていた。草を分けて沢に下ったが、進退窮まってしまった。あたりをよく観察すると涸れた沢の向こうの少し高い位置に、自然にしては少し不自然な直線の地形が見えた。涸れた沢を渡って登ってみると林道の続きであった。この道は標識もしっかりしていて、よく使われる道なのだろうから、不通の標示をしておかないと危ない。

戸ヶ谷に降りて中学校のそばで炭酸飲料を飲み、田植えの真っ盛りの田んぼの中をとぼとぼと進む。涼しい東風に頭を下げてかなり歩いた。ほっと視線を上げると目の前50cmにバス停の看板があった。「山口道」バス停、一時間に2本のバスが来るまでに5分の待ち時間しかなかった。

宿題を残した山行になった。また、いつか完全踏破のために来ることにしよう。本日この山域に入った登山者は20人も居なかっただろう。なかなか厳しい山なのだ。歩数は3万歩の大台を越え、31,977歩であった。
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