木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

手話通訳士の「中立性」とは?

2009年01月15日 00時28分59秒 | sign language
今日参加した会議で(手話に限らないけど)通訳者の「中立性」とは何かが議論になった。
特に今検討しているのがその集団(団体)としての問題だったので通訳者団体の「中立性」とはどういうものだろうかについていろいろ意見が飛び交った。
聴覚障害者とともにあゆむという意味で今の「障害者自立支援法に反対する」のは「中立」的と言えるのか?
少なくとも制度を作った厚生労働省の役人は「中立」とは見てくれないんじゃないのぉ~、などと私は考えてしまうのだけど、そういう見方は体制迎合的だという批判を後ろから浴びそうだ。
「通訳者 中立性」でググってみたら、鳥飼久美子さんの書かれたものに次のような指摘があった。

「通訳倫理については、会議通訳を含め一般的に「中立」「守秘義務」が基本です。オーストラリアなど多民族社会でのコミュニテイー通訳においても、厳密な規範が定められています。しかし、最近になって、たとえば移民という少数グループの通訳をする際に、単純に「中立」を保つことで良いのか、という疑問が出てきています。通訳者が「中立」を保つことで、結果として「権力者」の側に立つことになり、マイノリテイーの権利を擁護できないのではないか、という反省です。又、「中立」であることは、黒子に徹し、透明な存在であることを意味しますが、通訳者が介入して解説を加えることを回避することが果たして真のサービスになるのか、という問いも出てきています。文化的解説を適宜加える「文化の仲介者」としての役割まで責任範囲に入れるべきかどうか、という議論です。制度としての規範が確立していた阿蘭陀通詞時代と異なり、これからの通訳者は難しい判断を迫られそうです。

ちなみに日本では、「コミュニテイ通訳」という職種は確立されていません。在日外国人を対象にした通訳サービスを各自治体が、「ボランテイア通訳」「善意通訳」を募ることにより、無償で実施するようになっています。しかし海外の状況を見ると、「コミュニテイ通訳」の規範と責任には厳しいものがあり、素人の無料サービスに頼るのではなく、本来はプロフェッショナルが行うべきことだと考えます。」
(『通訳・翻訳ジャーナル』2002年6月号<日本通訳学会特別企画>通訳の世界を広げる-現代通詞考- 第14回 通訳の今・昔 (1/2)より
鳥飼玖美子 (とりかい くみこ) 立教大学大学院 異文化コミュニケーション研究科教授/日本通訳学会 副会長 )


だったら、「死刑制度反対」はどうだろう? 裁判員制度では死刑判決だってありうるのだ。
さらにいえば「憲法九条改正反対」はどうだ?
なんて言ったら「日弁連はちゃんと反対している」とのこと。
へそ曲がりな私は「だから弁護士会は分裂しているのだ」と。それに弁護士は中立が必要条件ではなくて、国家権力たる検察に対抗する立場を取ることができるけど裁判員制度における手話通訳者はどうなの?その手話通訳者の団体はどういう立場であるのが良いの?・・・などと思ってしまうのです。
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