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おばさんのつぶやき

2017・6・22 人生の終末期をどうするかの現実にため息な日・・・

2017-06-22 21:53:01 | 日記
今、私の父は2度目の誤嚥性肺炎で入院している。

といっても、命に別状はなく今回も無事に退院はできる。
が。問題は今後。。。
人の終わり方は様々だが、父の場合は特に癌とか梗塞とかではなく老衰。長い長い傾斜のゆるい下り坂をゆっくりゆっくりと下っている。
前回の誤嚥性肺炎で、生活の質はガクンと落ちた。介護認定4。が、車椅子に乗ることもできれば、基本おむつではあるがタイミングよくポータブルトイレに座ればそれもできた。食事も自分で食べられた。
母がどうしても自分で介護しなければ気が済まず、様々な福祉の支援を受けながら在宅で暮らしていた。写真の介護食のかまぼこのような宅配介護食は実家1件のためだけに業者さんが作ってくださっていた。要は、かなり珍しいケースであった。

今回の入院で、生活の質は更に落ちるのは確実になり、口では施設をさがさなきゃと言いながらその実まったくさがすつもりの無かったさすがの母ももうギブアップとなった。
病院で主治医と面談して一番困ったのが、延命治療をどうするかということであった。父の場合、一番ありそうなのが胃ろう。
ともかくも死を忌み嫌い親の墓参りすら行かなかった父はそういう終末期医療に対してはそっぽをむくだけで本人の意思確認はできていない。かといって、今現在しゃべることはほとんどできない。
母はといえば、母自身は延命治療をしないようにとはっきりと書面にしているが、父に関しては本人の意思確認ができていないからと歯切れが悪い。胃ろうの話題になればとたんに不機嫌になる。要は、胃ろうでもなんでもできるかぎり延命治療をしてほしいというのが本音だなぁ・・・今現在はこれからリハビリでどこまで食べられるようになるか未知数だが、経口で食べられない場合の処置を考えなければならない主治医もそこのところが一番確認したいはずだ。が、主治医との面談ではとうとうそこのとこは先送りで、退院後の介護施設さがしを本気で始めることになった。
以前からケアマネさんからは数か所ご紹介いただいていたから、入所できるかどうかは別として、まずは書類に記入して候補施設に申し込み。
絶対にあれハードルになるなぁ・・・と思いながらも母と一緒に施設まわり。
やっぱりな。。
インスリン注射とか胃ろうとかで受け入れてくれる施設は極めて限られているのである。
今現在は胃ろうの予定はないが、今の母の気持ちではなりゆきではそうなる。そこのところを話すと、やはり受け入れは難しいとなる。
予定の3施設まわって、更には予定外の1施設(高いけど胃ろうでも大丈夫そうな施設)まわって、お金は高くてもそれはまぁだが、母は胃ろうというものの現実を初めて突き付けられた。
更には、施設の空きと退院のタイミングの難しさも知った。仮に空きができても退院のめどがついてなければキャンセルとなりまた順番待ち。退院はできても空きがなければどこかで待機。。
施設まわりを終わった車の助手席で、なにやら母は考え込んでいた。。
今後、母がどういうふうに結論を出していくのかはわからないが。。。
私は今までのように見守るしかない。何か言ってもどうにもならないのはわかっている。母から罵詈雑言浴びせられるのはもういい加減に嫌になっているのである。
世界一の長寿国というが、実は、どこまでがほんとの天寿なのかわからない下駄ばきな長生きなんだよなぁ。。。

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2 コメント

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大変ですね。 (tonnko)
2017-06-23 00:36:04
わたしの父も、少しの間でしたが胃瘻をしていました。
倒れて容体が落ち着いたところで、今後どうする気かを、医師から訪ねられたようです。
大森の自宅に帰ることを拒否し、富士宮での生活を続けたいと言うので困りました。
別荘に建てた土地ですので、頼れる親戚も友人も居ません。

買い物でも病院へ通うのも、車が無いと生活出来ない土地でしたから本当に困りました。
父は、意識はありましたが、殆ど会話が出来ませんでしたし、
両親は延命するか否かのような、話題その物を嫌っていましたので、
直面して困りました。

結果、胃瘻にして有料の施設でしたが、病院で探して下さり、
そちらへ転院する事に決めたのですが、転院間際に急変し亡くなりました。

86歳でした。
母の悲しみを心配しましたが、割に落ち着いていましたので、子どもとして救われました。
独りで父の世話をしていましたから、大変さもありましたし、
武士道を全うしたい父にとってもその方が良かったのでは?と思ったようです。

父が亡くなっても、母一人で富士宮の家に住んでいましたので、東名高速を何度も走りました。
兄弟が多いのでまだ良かったのですが、男兄弟は自分一人で母を訪ねるので、
女性の仕事は、全てわたしの仕事になりました。

子どもは年月で育ち、手が掛からなくなりますが、
年寄りは、その逆です。
最初から全力疾走しますと、続かなくなります。
無理をせず、頑張り過ぎず、お世話をなさるように…。
うさぎさんが倒れると、全てにマイナス要素が発祥すると思います。


tonnkoさまありがとうございますm(__)m (うさぎ)
2017-06-23 00:48:07
いつもありがとうございますm(__)m
私はなにもしていないので介護で倒れる心配はありませんのです(^^;他の原因ではわかんないけど(^^;(^^;
お父様たいへんだったのですね(;_;)
tonnkoさまはほんとうに親孝行されたのですね。頭がさがりますm(__)m
とても参考になりましたm(__)m

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