今日のころころこころ

2014・7・11 おばさんの道 かながわの古道50選・塩つけ道(八王子道)

あぢい・・・まいった。
でも、梅雨が過ぎたら10月まで毎日がこんなんになるんだからなぁ・・・倒れない程度に行こう。靴マーク一個のところ。

かながわの古道50選・塩つけ道(八王子道)。

この道は、近世、金沢の六浦海岸で採れた塩を遠く八王子まで運搬するために使われた道だそうです。また荷駄賃による生計の道であったといわれてます。現在は、東名高速道路に架かる水頭橋から南側に『塩つけ道』の一部が残ってます。付近には、全国の霊場への巡礼を成しとげた記念に建てられたと思われる廻国供養塔があります。
ふむふむ( ..)φ

相鉄線・相模大塚駅下車。南口に出る。

県道40号線を目指して歩き出す。

もう数歩歩いただけで後悔しはじめる。あぢ・・・
40号線を渡る。

なんだかわからない線路を渡る。

東名につきあたる。

右に曲がる。

次の橋が水頭橋と、なぜだかそこに待機していたおまわりさんに教えていただく。業務妨害してしまったかもしれない。東名沿いに歩く。

あそこ左かな?

お!あった。柵に囲まれて廻国供養塔。

ここがスタート地点。

歩き出す。出す・・・って、シュールだな・・・

公園墓地にラブホ・・・人生全部網羅してるといえば言えなくもないが・・・ま。
水頭橋を渡る。

下を流れるのは車だが。元々は水が流れていたのかな???

橋を渡って右。

お!東名の防音壁の下に地味にあった。

ここかとふり返った瞬間、わお!!!と声をあげてしまった。誰かいたら恥ずかしいじゃないのと思わず周囲をみてしまった。
そう。忽然と古道が現れた。

道をはさんで、山口家と橘川家が軒を連ねる。どちらも大きな旧いお屋敷だ。

かながわの古道50選って、チョイスの基準がよくわからない感じもしたが、なるほどに、これは納得。

両家を過ぎると、タイムスリップは終る。

ついでだから、蓼川神社様に寄っていこうか。
蓼川公園前を右に曲がる。
お!あれだな。

狛犬様まんがちっく♡

合祀のようだが、それにしてもいにしえだな。

こちらもだ。

これは・・・なんだ水準点じゃないの。こういう場所だとなにやら意味ありげに見えるから不思議。

ついでに弁天様にも寄ろう。

お!あった。

そうか。養蚕が盛んだったのか。・・・ここもなかなかに人間臭い。

地蔵様にも寄ってみよう。

あそこかな?

ここも移転してきたようだが、やはり、公民館と地蔵様は良く似合う。

今のたつきは基地と不動産ということなんだろうが、この古道はずっと残っていてくれたらいいな。

あぢくてなにも思い浮かばないから、今夜はカレーだ。

7・12付記。
翌12日に出社して、たまたま綾瀬から来てる同僚と話をした。
えーとね。ヤマグチさんというお宅とタチバナカワさんというお宅の間の道なのね・・・
ヤマグチさんは知らないけど、そのタチバナカワさんってキツカワさんって読むんですよ!大地主さんですよ。幼稚園も経営しておられて、ウチの旦那も娘も通ったんですよ。とてもいい幼稚園ですよ!そんな歴史がある道だったんだ。知らなかった・・・
そうだったのか。
両家の努力がなければ、とてもあの道は維持できない。代替わりとかでもうやめたとなれば、あっという間にのっぺらとしてしまう。
感謝です。

コメント一覧

うさぎ
かなが様よかったです!!
かなが様は、やっぱり寒川なんですね(^^♪
相模川(馬入川)をはさんで、茅ヶ崎と平塚の湊はなかなかにはりあっていたようです(^^♪
茅ヶ崎は柳島湊、平塚は須賀湊。。
そうでしたか・・・
須賀湊から厚木を通過して八王子に向かうも「さかな道」なら柳島湊から寒川を通過して八王子に向かうも「さかな道」!(^^)!
同じ海域に生息してるんだけど水揚げされた港で値が違う関サバなんかが有名ですけど、この場合どっちのブランドが八王子では値が付いたんでしょうかね(^^♪
八王子でも、平塚贔屓と茅ヶ崎贔屓であーだこーだとはりあっていたかもしれませんね(^^♪
今は、住宅地としては、平塚より茅ヶ崎の方のイメージがいいみたいです。と平塚に橋を渡りに行った時に地元のご婦人が嘆いておられました。。
茅ヶ崎駅のはサザンだけど平塚駅は七夕キラキラという東海道本線の発車メロディーも一因ではないかと密かに思っていたりなんかして^^;^^;
かなが様のHPの更新楽しみにしております!(^^)!




かなが
さまざまな八王子道
探していた八王子道が見つかりました。
残念ながら「かながわの古道50選」ではありません。
明治以降は「さかな道」「逓送の道」とも呼ばれていたそうです。
寒川町中洲稲荷にある天保7年(1836)の庚申塔他に「八王子道」と彫られているので、江戸時代から八王子道があったと思われるのですが、その頃の呼び名は不明です。
茅ヶ崎市今宿から寒川町を通過して八王子へ向かう道で、県道46号に沿った旧道のようです。
「八王子道」茅ヶ崎の轍(わだち)
http://www.townnews.co.jp/0603/2014/10/24/256971.html
かなが
ご親切・痛み入ります
八王子道について深いお話をありがとうございます。
うさぎ
かなが様新情報です???
昨日は、厚木に橋を渡りに行ってました。
厚木市郷土資料館に寄り、色々なお話を伺いました。
八王子道の話題になって・・・
平塚の須賀湊から八王子までの道も八王子道と言ったそうです。
「魚の道」!
早朝に水揚げされた魚は数時間後には八王子に届いていたそうです(^^♪
絹の道・塩の道・魚の道(^^♪
まだまだありそうですね(^^♪
ご報告まで。。。
うさぎ
かなが様すいません(T_T)
かなが様すいません(T_T)
でも、金沢文庫に一度行ってみてください。古文書の閲覧がどの程度可能かはわかりませんが、ヒントがあるかもしれません。
称名寺様は素敵な古刹ですし(^^♪参道には喫茶店もあります(^^♪
朝夷奈の切り通し・鎌倉道・鎌倉海道・金沢道とかがキーワードになるかもしれません。
それから、武蔵風土記はなかなかに面白いです。図書館にあると思います。横浜市は閲覧のみの貸出不可な場合が多いですが。。
かなが
そうですか
やはりwebでは難しいですか~。一通り探してみたのですが、なかなか見つからず、うさぎさんに助けを求めました。これはこれとして、引き続き、うさぎさんのブログを楽しみにしています。
うさぎ
かなが様お久しぶりです!
かなが様お久しぶりです!
なりゆきでテキトーに歩いていただけですので冷や汗が出ます^^;
「古道 八王子」でいろんな方々の研究を見ることができます。無論私のクソブログは無視してください。
八王子道で一番研究が進んでいるのは「絹の道」かと思います。津久井や愛甲で生産された絹は一度八王子に出荷され、八王子から鑓水峠を越えて原町田鶴ヶ峰を経由して芝生村から横浜道に入ったそうです。国道16号に添った道と言われてます。厚木の絹は矢倉沢往還経由厚木街道で鶴ヶ峰で八王子道に合流したそうです。
塩に関しては、六浦庄で製塩され相武各地に運ばれたそうです。鎌倉古道の世界ですね^^;当時の軍事も絡んでいますよね^^;
古道は、大変ですね(@_@;)
行政区分を越えますので、八王子道なら、最低でも八王子・町田・横浜の図書館やらで資料を漁らなければなりません^^;そして自分で歩いて^^;Webで簡単には行きませんよね^^;
私には無理です^^;
頑張ってください!
楽しみにしております(^^♪
かなが
教えてください
塩つけ道(八王子道)は、どこから、どこまで、どんなルートで通っていたか、web上に載っていたら、教えて頂けませんか?
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