波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡   「山陽路をゆく」

2017-06-20 09:26:12 | Weblog
先日の日曜日を利用して数年ぶりに故郷の岡山を訪ねた。しかし目的は物見遊山ではなく明日をも知れぬ病のうちにあるゆうじんのみまいであった。私にとって40年以上の友人であり、仕事上では信頼関係の上で長年協力し合った中であった。
1月に転倒してそれが致命傷になり、脳死状態が続いているという。私はなんとしても見舞いをするとともに共に助け合い励ましあった友を励まし、できればもう一度語り合うときを持ちたいと願って出かけたのである。
真新しいできたばかりの新しい清潔な病院の個室で彼はいた。最初は寝て板のように目をとじていたが、手をさすり語りかけているうちにその目はかすかに開き始めた。そして体をさすりなでているうちにその目は次第に開かれ(片目だが)大きくなり、開かれた半開きの口は
上下に動き出し呼吸音のような(何か声のような)音が聞こえるようになった。動かない手を震わせ、しきりに声を上げている。
それはまるで私の声が聞こえてそれに対して何かを訴えるようにそして語りかけるように聞こえる。私は家族の方に「何か興奮させて病人には悪い影響はないのでしょうか」と心配したが、「たぶん本人には何かが聞こえているのでしょう。声にはならず、離す能力もないでしょうが、何かが反応しているのでしょう。大丈夫です」といってくださった。彼の手は握ると暖かくさするほどにその肌は地から強く感じるほどで、できることなら手を握り返してもらいたいとそこまでの力はなかった。
彼がどこまで認知できた川からない。しかしはじめの寝ている状態から、声を阿賀まるで何かを訴えるようなしぐさを見て、間を空けている状態を確認できたことは「彼が生きている」それはいつか再生することもあるという予感すら思わせるものもあった。
外国では何十年もの眠りの状態から組成すること症例を何度か見たことがあるが、彼もまた何かのきっかけで脳神経が蘇生し、家族との交わりをもう一度できることを願わずに入られなかった。
帰途、西大寺駅から赤穂鉄道にて単線の田舎路をゆられてみた。途中「長船」の名答で知られる鉄の発祥地であったり、おあだやかな瀬戸の海をながることのできる「日生港」を眺めながら、おそらくこんなたびは二度できないであろうと思いながら電車に揺られて姫路へと向かった。
姫路では台湾からはるばるはじめて訪日した来客を向上へ案内して、ひめっ上を垣間見ることができた。
漆喰作りの美しい城は日本でも個々だけではないかと思われ、その美しさは「白鷺城」と呼ばれるにふさわしいものであった。
暑い中では会ったが、たくさんの外国人が訪れていてにぎわっていた。
二日間の短い駆け足のたびであったが、無事に健康でその任務を果たせたことを感謝すると共に、またとない経験をすることができたことを感謝したい。
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