波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「新年ー2017」

2017-01-02 11:54:05 | Weblog
元旦の朝、私は日曜の礼拝を守るためにだかけた。町は静かであり、人の数も少なく華やいだ雰囲気は全くなかった。いつもの日曜の朝であり、いつもの休日の朝出あった。電車も歩いている人の姿にも華やかさはなく普段着のままであり、お正月といわれなければ分からないほどである。この現象は何時からだろう。元旦に出かけることがなかったので分からないが、おそらくここ数年こんな状況だったのかもしれない。
嘗て私の小さいころはお正月が近づくと眠れない夜が続き、元旦の朝は家族そろってのお雑煮のお祝い、羽子板、凧揚げ、初詣、お年玉と恒例の行事が続き、町へ出ると華やかな和服姿の男女の姿であふれ、にぎやかな獅子舞の姿などを見ることが出来た。
今はその面影もなく、消えている。(一部の神社仏閣、そして商店街は特別)時代は21世紀に入り日本のそれらの風習を変え、新しい時代を迎えている。
日本もまた世界の国々と共に新しい時代に即して新しい風習が生まれつつあるのかもしれない。それはそれで素直に受け入れ、その新しい時代に即して生きなければいけないのだろう。
さてともあれ、新年を迎えた。2017年は始まったのである。この年がどんな年になるのか、またどんな年にするのか、それは各人の「生き様」であり、誰の影響でもない。各人がどのように生きる覚悟があるのか、それが決めるのである。従ってそれは人それぞれであろう。
80歳を過ぎた私にとって今年は更なる大事な年、(時間)になる。日々何時、何があってこの世の生活が終わるかもしれない時間を過ごしていく事は極端に言えばあるようでないものかもしれないのだ。そんな思いを年々強く感じる。そしてこの貴重な時間を無駄にしないように、できるだけ公開のない時間にする事を願いつつ過ごして生きたいと思わざるを得ない。
私の時間は自分で決めることが出来ない。それゆえにその時間は貴重でもある。その時間を
有意義に、すこしでも「良かった」と平安に過ごすことが出来る時間にしたいものと願わざるを得ない。何も望むことはない。交わりのある家族をはじめ全ての人の幸せを望み祝福賀ある事を望み、すごしていくことが出来ればそれが喜びである。
そして災害における被害者のない事、争いによって犠牲になる事ない事、正解の平和の中で全ての人が平安に生きる事だできることを名川ざるを得ない。