九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

あれから1年

2010年02月16日 13時32分36秒 | Weblog
俺の一番弟子が病気で倒れて1年。
色々な事が今でも記憶の中で走馬灯のようにめぐって来る、オーストラリア合宿の時、余りの走れなさに,今すぐ帰れ怒った事がある、相当きつく怒ったが山島は俺に着いてきてくれた。
奈良で行なわれた時のアジア選手権は、予想以上の走りをしてくれた。
レース後、降りしきる雨の中、帰る準備をする俺達スタッフの手伝いをしてくれた。疲れているから休んでろといっても、勉強ですからと山島は笑顔で答えた。
この時、メカの鬼原さんが、あさひの山島は凄いなキョーシ、面倒見る甲斐があるだろと言った。(キョウシ、あさひの社員は皆あんあんかと聞かれ、俺は胸をはってそうですと答えた)
その山島は経験が無かったから、物凄いキツイ練習をさせたが、弱音を吐くことはなかつた。いつも練習が終り大丈夫かな、こんなんで帰れるのかなと心配にもなった。
その山島が何故か調子を崩し始めた時、俺はもしかしてと思い、血液検査を進めた。
しかし異常は無く、ただの疲れから来る物だと思っていた。
そしてカタール、走れないはずがない山島が集団から切れリタイヤ。
ゴルール地点に居た俺に向かって、すみませんでした、迷惑をかけてと小さな声で誤った。
あの時、俺は優しい言葉をかける事は出来なかった。
なぜなら、そこは競技と言う戦場だったから。
その数時間後に病気が発病したのだ。でも運が良い事に、俺の娘がいた、義理の息子やベルギーのドクター、パレスチナ出身のタクシーの運転手、王族とつながりのあるマダム、もしこの中の一人でも居なかったらどうなったのだろうか?寝らずして皆が動いてくれたお陰で、俺は残された選手を無事走らせる事も出来た。
寝ようと思っても寝れない、同部屋にいた健吾と二人、選手の前では不安な顔はするな、元気に行こうぜと励ましあいながらのレースだった。
レース後、宇田を日本に連れて帰る準備をするが、帰れる帰れないでもめる中、娘を置いて帰る事を決断する、この時マダムが色々と働きかけて何とか帰国が出来た。
日本に帰国してからの準備は、チームドクターの新山先生が色々と手配をしてくれたお陰でスムーズにいった。
そして昨夜、1年前の御礼を言う為に、娘が砂漠の国に旅立った。
もし宇田が元気な姿で走っていれば、最強のチームが日本に立ち上がったはず、あさひレーシングチームは宇田がいたからスタートが切れたといっても過言では無いチームなのだ。
俺の中では今でも、宇田がチームのキャプテン、そして萩原がエース、残された萩原は昨年大きな荷を背負う事になった、右も左もわからなかった萩原は今、今力強く荷を背負えるようになってきている。

宇田は早く病気を克服してチームあさひに帰って来て欲しい、その為には病気に打ち勝つしか無い、宇田よ、選手は俺の元からは離れたら自分一人で戦うしか無いんだ、しかし戦える精神力は教えてあるはずだ、自分を信じろ、自分だけでなく多くの人がお前の復帰を望んでいるぞ、これは命令だからな。
さー自分の持てる力で戦って見ろ、心は肉体を突き動かすぞ、健闘を祈る。

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4 コメント

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感謝です (うだ)
2010-02-18 14:57:46
昨年は大変ご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。たくさんの人に支えられ、今、こうして生きていられることに感謝しています。ありがとうございます。
17,18日はもう一人の姉からの移植です。抗がん剤、一度目の移植に続き、第3ステージの始まりです。体力は落ちていますが、気力は落ちていません。チャンスのある限り走り続けます。
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オオッ頑張れ! (錆和田)
2010-02-18 16:59:07
何と宇田さんからのコメントとは驚き!
第3の戦いが開始されたのですね、挫けるな!
例えサドルに跨れずとも宇田さんは凄い戦士ですね!病気に必ず勝つのだー!
頑張れー!\('o")負けるなー!
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元気な顔を見せて (にいや)
2010-02-19 22:29:55
 宇田さん、闘病生活大変でしょうが頑張ってください。
 去年の2月11日、キングから国際電話があり、無理難題を果たされましたが、なんとか入院の手配ができほっとしたことを思い出しました。
 あさひレーシングの方は、萩原君はじめ新入部員が頑張ってくれていますが、一日も早く復帰してください。その節はぜひお目に掛かりたいと思います。
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コメントに感謝 (ふじや)
2010-02-21 21:41:33
あさひのブログも時々拝見させて頂いてます。
上手く書けませんが、
僕たちも待ってます。走る姿を…。
がんばれ!キャプテン宇田。
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