日直に日直日誌として日々いろいろなことを書いてもらっています。
3学期なので、この1年の振り返りを例年させています。
ある生徒が日直日誌に書いてくれたこの1年間の振り返りです。
~自分の中の勉強のあり方~
私の勉強のあり方は、入学当初は中学のままだった。
宿題の有無が家庭での勉強時間を左右していた。
「勉強」というものは私の中では入試に必要だからするしかないという
義務の意味での存在であって、機械的にしていた。
だが、1学期の中間テストでその概念が崩れ去った。私は気づかされた。
高校からの学びは「義務じゃないんだ。」と。
日本国憲法第26条に、『すべて国民は、法律の定めるところにより
その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。』と書かれている。
義務教育が終わって、これからは教育を受けてもいいのであって義務ではなく権利なのだ。
すなわち、自分自身で学ぼうとしなければ意味がない。私はそのことを考え、
ゆっくりと噛み砕いた。そして勉強スタイルを変えると同時に、私の勉強の在り方は変わった。
急には何も変わらないが、私の中の勉強のあり方はこれからの人生観にも関わる大切なことだと思った。
反転授業には生徒との人間関係が鍵になるとはよく言う言葉ですが、
これをしたから人間関係ができたというものはありません。
しかし日々の教育活動の中でどのような声掛けや接し方をすることの積み重ねが
人間関係を構築していくものです。
3学期なので、この1年の振り返りを例年させています。
ある生徒が日直日誌に書いてくれたこの1年間の振り返りです。
~自分の中の勉強のあり方~
私の勉強のあり方は、入学当初は中学のままだった。
宿題の有無が家庭での勉強時間を左右していた。
「勉強」というものは私の中では入試に必要だからするしかないという
義務の意味での存在であって、機械的にしていた。
だが、1学期の中間テストでその概念が崩れ去った。私は気づかされた。
高校からの学びは「義務じゃないんだ。」と。
日本国憲法第26条に、『すべて国民は、法律の定めるところにより
その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。』と書かれている。
義務教育が終わって、これからは教育を受けてもいいのであって義務ではなく権利なのだ。
すなわち、自分自身で学ぼうとしなければ意味がない。私はそのことを考え、
ゆっくりと噛み砕いた。そして勉強スタイルを変えると同時に、私の勉強の在り方は変わった。
急には何も変わらないが、私の中の勉強のあり方はこれからの人生観にも関わる大切なことだと思った。
反転授業には生徒との人間関係が鍵になるとはよく言う言葉ですが、
これをしたから人間関係ができたというものはありません。
しかし日々の教育活動の中でどのような声掛けや接し方をすることの積み重ねが
人間関係を構築していくものです。