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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・

2012-01-20 22:05:07 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・

阪神・淡路大震災17周年にあたって「しんぶん赤旗」に特集記事が組まれました。
それを2回にわけて紹介します。


その① 棄民政策 復興住宅退去迫られる

 死者6434人、家屋全半壊(焼)約47万世帯という阪神・淡路大震災から17日で丸17年。昨年の東日本大震災後の復旧・復興策をめぐって、被災者の生活再建・公的支援の拡充を第一に置くのか、政治的対決点が鮮明になっています。阪神・淡路の誤りをくり返さないためにも、あらためて教訓を考えてみます。
(兵庫県・喜田光洋)

 神戸市兵庫区にあるUR(都市再生機構)住宅「ルゼフィール中道」の一室。能勢治実さん(74)は怒気を含んだ声で語りました。
 「この年で引っ越しなんか無理や。金も気力もない。通っている医者にも行けなくなる。それでも出うとゆうなら切腹したるわ」
生まれも育ちも兵庫区です。阪神・淡路大震災で被災し、マンションを購入しましたがローンが払えず、6年前、復興市営住宅として神戸市が借り上げた同住宅に入居。
ところが市は2010年秋、URからの借り上げが20年を迎える2018年までに退去するよう通告してきました。



(右から)能勢さん、北村さん、黄さん。UR借り上げ市営住宅「ルゼフィール中道」の前で=神戸市兵庫区

平均年齢78歳
 「ここに来たときは期限の話なんか一切なかった。愛着のあるこの地で永住できると思っていたのに…」
 同住宅は高齢者用で、59世帯が入居し平均年齢は78歳。99歳の人もいます。
 同住宅に住む北村昌子さん(76)も「私たち年寄りを追い出すのはどう考えてもおかしい。みんな助け合って何とかやってきた。バラバラにされたら生きていけません」と声を張り上げます。
 阪神・淡路大震災で復興公営住宅が約4万2000戸供給されましたが、そのうち、兵庫県や神戸市などがURや民間から約6600戸(昨年10月末)を借り上げています。借り上げ契約期間は20年で、2015年度から23年度にかけて順次契約期間終了を迎えます。
 県や神戸市はそれを理由にいま入居者に期間終了までの退去を迫っており、避難所、仮設住宅をへて“終(つい)の住み家”に落ち着いたはずの被災者が追い出されようとしています。
 一方、入居者のたたかいが広がっています。各地の借り上げ住宅で借り上げ継続を求める署名、「市長への手紙」提出などがとりくまれ、昨年12月15日には「住み続けるために力を合わせよう」と、「借り上げ住宅入居者連絡協議会」が結成されました。

市長に嘆願書
 「ルゼフィール中道」の住民代表で同協議会の世話人、黄恵祥さん(63)は「うちも、入居者の『市長への手紙』と嘆願書を近く市に提出します。住み続けるという強い気持ちでのぞみたい。意思をしめすときです」と語ります。
 個人補償を否定し、遠方の不便な仮設住宅や復興住宅に追いやるなど、被災者に冷酷な国や県、神戸市の姿勢は「棄民政策」と呼ばれましたが、いまもなお続いています。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月11日付



その② 孤独死914人 絆を奪われ 希望も失い
 914人。阪神・淡路大震災後、2010物年12月までに仮設住宅と復興公営住宅で起きた孤独死の数です。
(グラフ)
 六甲山の北側、神戸市北区鹿の子台の復興県営住宅に住む永楽正夫さん(63)=前自治会長=は、警察による遺体の検視に数回立ち会いました。
 「死後2週間の男性は、風呂上がりの裸のままうつ伏せになって、うじがわいていた。SOSの合図が外に伝わっていたら助かったかもしれないのに…」
 男性は急性心不全。各戸に三つ設置された非常用ベルまでたどり着けなかったもようです。
 地震では助かった命なのに、誰にもみとられず亡くなっていくーこの痛ましい死がいまも続いています。

知らぬ者同士
 同住宅の小田康子さん(74)は兵庫区で被災し、役所で「入れるのはここだけ」といわれ、遠く離れた鹿の子台仮設住宅に入居しました。震災前の市街地での生活とは一変。冬は水道の水が凍り、冷たいすきま風が吹き上げました。イノシシやヘビも出ました。
 3年後、同じ鹿の子台の現住宅に移転。市街地の復興住宅は3度落選し、やはり「ここしか入れない」といわれました。日中のバスは1時間に1本。車のない高齢者には過酷です。住民は各地の仮設住宅から集まった見知らぬ者同士でした。
 「人間関係が希薄で、寂しい。でも住めば都と、前向きに考えるようにしています」



鹿の子台復興県営住宅の自室の前に立つ小田康子さん。後ろは雑木林です=神戸市北区


仮設住宅・復興住宅の孤独死数の推移

劣悪な住環境
 大量の孤独死は、人と人とのつながりが断ち切られたこと、元の生活に戻る見通しがなく生きる希望を失うことが主な要因で、「棄民政策」の象徴です。
 仮設住宅と復興住宅は数が足りないうえ、県や市は郊外など遠方に多く建設。被災者は、仮設入居の際も復興住宅に移る際も抽選でバラバラにされ、追いやられました。
 仮設住宅では、引きこもってアルコールに依存する人が増え、孤独死が社会問題に。断熱性がなく極端な寒暖、湿気、すきま風など劣悪な住環境が体調を悪化させました。
 復興住宅では、仮設住宅でせっかくできたコミュニティーが再び壊されたうえ、鉄のドアで仕切られて孤立がさらにすすみ、高齢化、病気、貧困が孤独死増に拍車をかけました。
 行政は高齢者の巡回訪問など見守り事業を実施していますが、永楽さんは「彼らは一人ひとりの実態を把握していない。自治会と情報交換もしないし、よく見えない」といいます。永楽さんらは、カラオケの会を開くなどつながりを築く努力を懸命に続けています。
 小田さんは「東北の人たちには、神戸のようなことをしないでほしい」と語ります。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年1月12日付



その③ 公的支援なし 借金苦、救ってほしい
 「情けない話ですが、借金を返すためだけに生きているようなものです」
 神戸市兵庫区の印刷業者、塚本維昭さん(71)は、機械を操作する手を休め、口を開きました。
 震災で自宅が全焼し、プレハブの仮住居をへてマンションを購入し移住。震災後、住宅ローン3500万円、災害援護資金300万円、店の再開に営業用融資1000万合計4800万円借りました。災害援護資金は完済しましたが、なお月20万円近く返済中です。住宅ローンは93歳まであります。
 ところが、震災の影響や不況でしだいに売り上げが減り、いま震災前の10分のー。「笑うほど少ない。月にたった3万円のときもある。収入はほとんど返済に回り、残らない」。
 蓄えはとうになくなり、生命保険も解約しました。



印刷機を操作する塚本さん=神戸市兵庫区

「自己責任」
 震災後、被災者が最も望んだのが生活、住宅、営業再建のための公的支援・個人補償です。しかし、震災当時の村山内閣は「私有財産制では認められない」とこれを拒否。自己責任による再建を押しつけ、いまも続く被災者の苦しみの最大の要因となりました。
 1998年に被災者生活再建支援法ができ、2004年、07年の改正で住宅再建に最高300万円支給されるようになりましたが、阪神・淡路はいずれも適用されませんでした。
 支援策は融資しかなかったため被災者が殺到し、その結果、返済の重圧を背負います。
 5万6千人が借りた災害援護資金は、06年に完済のはずがいまも1万3千件が返済中(返済不能・困難含む)です。4万7千件利用があった業者むけ緊急災害復旧資金は、7千件近く(11年12月)が返済不能に陥りました。
 持ち家の再建は、資金不足の人はあきらめ、再建してもローンに苦しみます。被災者むけ住宅ローンは旧住宅金融公庫分だけでも、返済不能による代位弁済(保証機構による返済肩代わり)が2465件。この人たちはせっかく再建した自宅を手放しました。
 二重ローンが主に住宅再建で問題になりましたが、支援は利子補給だけでした。

ぜひとも必要
 災害で生活と生業を立て直すには、住宅や店舗・工場再建への十分な公的支援がどうしても必要-阪神・淡路の17年は示しています。店舗・工場は除外し、最高300万円にすぎない現支援法はきわめて不十分です。
 「借金がある限り震災は終わらない。神戸空港のようなムダなものをつくって、被災者に何の支援もないのはおかしい」塚本さんは、いまも告発します。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月13日付



行政やマスコミは「復興した神戸から東北に応援を」なんて言います。確かに、阪神・淡路大震災を体験した神戸から支援をすることは大切なことです。
しかし、17年経った今も、生活を立ちなおせていない人々、生きる絆が失われてしまった人々がいることを忘れてはいけません。
阪神・淡路で本当の復興を成し遂げることが、東北の人々への支援になります・・・

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