dashi’s room

自閉症など障害者や介護の話、世間を騒がす社会問題をマジメに考えます

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引っ越します

2006-02-25 14:24:36 | 身辺雑記
dashi's roomへお越しいただきありがとうございます。
初心者の私にもすぐ始められて、楽しく続けて参りましたが、Macだと対応していないサービスもあって不便なものですから、下の場所に引っ越すことにいたしました。
まだ慣れなくてマゴマゴしてますが、どうぞ引き続きご愛読をお願いします。

http://dashisroom.seesaa.net/
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ゴールド免許

2006-02-24 23:41:55 | 身辺雑記
初めてゴールド免許の交付を受けました。
普通免許を取得してからもう20年になりますが、小さい事故や違反を繰り返したため、毎回安全運転センターで講習を受けての更新ばかりでした。いつも一日がかりだったので、近くの警察署で更新出来てとても助かりました。
ペーパードライバーだから持っているという人は多いと思いますが、ほとんど毎日乗っていてゴールドは難しいと思います。
ところが毎日車で移動している友人二人と会った時に、ゴールド免許をもらったと自慢(?)したら、なんと二人ともそうなのでした。
「あら、アタシもそうよ」「アタシも」
と免許証を取り出されて、おまけに一人は免許取得からずーっとそうだという話に恐れ入った私でした。

初めての違反はスピード違反でした。
スピード違反は、した事ない人はほとんどいないのではないでしょうか。法定速度で走っていると普通あおられますよね、オービスの対象になるような違反は論外ですけど。
スピード違反で白バイが追って来ているのに気付かずにスピードを落とさなかったため、前に回り込まれた時は驚きました。息子が大音響でCDを聴いていたせいもありますが、サイレンの音に気付いても「どこかで火事でも?」と思っていた呑気な私です。
至近距離で見た白バイの警官はとてもカッコ良かったですが(革のブーツは頑丈そうでした)、振り切ろうとしたと思われてえらく不機嫌でした。
携帯の違反切符発行器、初めて見たので「よく出来てるな~」と感心してしまいました。
しかし罰金は痛かったです、12,000円だったかな。一回でこり気をつけているので、その後摘発されたことありません。

右折禁止違反は2回です。
一度は時間帯によって右折禁止になるのを知らずに曲がったら、待ち構えていたおまわりさんに捕まってしまいました。
この時は、たまたま運転席のパワーウィンドウが故障して窓が開かず、反抗していると誤解されました。早く窓を開けろと怒鳴られ、動転して焦ったものです。ドアを開けて降りたらいいのだとすぐ気かつかなかったのは、やはり警官の制服を見て緊張したからでしょうね。

もう一度は、右折するのを忘れて通り過ぎてしまったので次のT字路で右折したら、たまたま前から来ていた原付の警官に追いかけられました。
TUTAYAの駐車場に入れて止めたら、私の顔をずーーと睨みながら警官が近づいて来たのでやっと気がつき、「右折禁止だったんですか?」と訊ねたらあきれたようにうなずかれ、「知らなくて曲がっても違反は違反」と言われました。
よく知らない道で右折するときは、それ以来標識をしっかり見るようになりました。

うちの近くに右折禁止の道があって交番も近くにあるのですが、何も知らない(らしい)車が右折するのをよく見かけます。(パッシングしても気がついてもらえないですね。)
みんな捕まらないでラッキーだなあと思います。ゴールド免許を持ってる人たちかもしれませんね。
運もあるのでなかなかもらえないゴールド免許、やっと手に入れた待望の恋人。末永くおつきあいしたいものだと思っています。
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ヒヤリハット

2006-02-23 20:06:09 | 自閉症関連
アメリカの技師ハインリッヒが労働災害の発生確率を分析したものに、ハインリッヒの法則(1:29:300の法則)というものがあります。
それによると、
「重大な災害1件の裏には29件のかすり傷程度の事故があり、さらにヒヤリハットが300件ある」
ということです。
「ヒヤリハット」なんて冗談のような命名ですがれっきとした安全用語。
「何かをしようとしたときにヒヤリとかハッとした出来事で大事に至らなかったもの」
を指し、ヒヤリハットを減らすことが大事故を未然に防ぐことにつながるので、医療現場や危険な職場では熱心に研究が進められているようです。
(厚生労働省は、全国の医療機関から集めたデータを抽出、専門家の分析つきでデータベース化して公開しています。http://www.hiyari-hatto.jp/)

このハインリッヒの法則はビジネスの世界でも活用されていて、1件の大失敗の裏には29件のクレーム、さらに外部の苦情がないため見逃された失敗が300件潜在するということで、対策を考えられているようです。
なんとなくうなずける話ですね。三菱自動車も小さいクレームの段階できちんと対応していたら、悲惨な事故は起こらなかったかもしれません。

ところで多動の自閉症の子がいると、ヒヤリ、ハットするお母さんは多いようです。私の子供はおとなしいタイプだったのでそういう苦労はしたことがありませんが、聞いた話をいくつか。
★ 走れるようになったころから、度々交通量の多い国道を横切って向こう側に行ってしまった。不思議と車にぶつかりそうになったことはない。あまりの素早さに止められなかったし、下の子を妊娠中から赤ちゃん連れの時期で、追いかけることは出来なかった。
★ 2歳の頃自宅を抜け出し、近くの踏切から線路に入ってバラスで遊んでいた。見つけた時は心臓が止まりそうだった。
★ 高速道路(無料のバイパス道路)の出口から自転車で中に入ってしまった。高速道路の標識が、出口側だと外から見たら裏返しになるので、見たくてたまらなかったらしい。
★ 駅のホームから投げ捨てられた缶コーヒーの空き缶を拾いたくて(片付けたくて)、飛び降りようとして大騒ぎ。
★ 見るからに怖いお兄さんがタバコを吸っているところに歩み寄り「ここは禁煙です。タバコを消して下さい」と言った。
……どのお子さんも無事に大きくなっているので、みんな300回はやらなかったかな?
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歌の思い出

2006-02-22 23:56:27 | 興味津々
歌の思い出

昔の歌で「運が悪けりゃ死ぬだけさ 死ぬだけさ~」と気だるげに歌うのがあって(男たちの挽歌、って題らしいです)、これが娘のお気に入り。わざわざCDを買って聴いたりしています。
こんな、テロリストに好まれそうな歌詞、私は好きじゃありませんが、ヘンな歌詞の歌、ということでおしゃべりしていて思い出しました。
「キミのために 生きてるボク」
というフレーズが繰り返される歌が、私の子供の頃に流行していました。橋幸夫の歌だったと記憶しています。
あるときこの歌がラジオから流れると、8歳上の姉がイライラしたように怒鳴りました。
「情けない男! そんなヤツ嫌いだ!」
するとその姉と歳の近いほかの姉たちも(全部で4人もいます)口々に、
「そうだよね、アタシのためになんか生きなくてもいいよ」
「黙ってついてこい、だよね」
と言いながらゲラゲラ笑っていました。
今は「キミのために生きてる」この手の男性も多いかもしれませんね。

学生時代に、マレーシアからの留学生と知り合う機会がありました。
少し年上の男性で、日本語は上手くて会話には不自由しませんでしたが、東南アジアからの留学生はまだ珍しい時代で、不便なことも多かったと思います。
イヤな目に遭ったことでもあるのか日本人が好きでないようで、あまり心を開いてくれませんでした。
日本人に混じってグループで行動する時も、いかにも無理して作りましたという笑顔を見せます。おそらく日本の料理も口に合わなかったのでしょう、一緒に食事に行っても楽しそうな顔をするのを見たことありませんでした。

その彼が一度だけ、とても喜んで顔を輝かせたことがありました。
あれはマレーシアの歌じゃなかったっけ、と私が何げなく「♪ラササーヤサーヤンゲ」と口ずさんだ時です。彼の顔がぱっと明るくなり、どうして知ってるのか、と聞いて来ました。
その歌は私の子供の頃、かなりヒットした曲でした。
「かわいあの子は誰のもの かわいあの子は誰のもの
 かわいあの子は誰のもの いえあの子はひとりもの
 ……(途中は失念しました、すみません)
 恋人はいないの 寂しかないの
 恋をするなら若いうち いえあの子も若いうち
 ノナマニサバ ヤンプーニャン
 ノナマニサバ ヤンプーニャン
 ノナマニサバ ヤンプーニャン
 ラササーヤサーヤンゲ」
と続いたと記憶しています(あまり自信なし)。
その場にいたほかの学生にも知っている人が何人もいて、大合唱になりました。
彼やみんなとは間もなく卒業して別れてしまいましたが、歌の底力を思い知った出来事でした。

歌にまつわる思い出は他にもありますが、またの機会に。
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韓国人妻Eさんのこと

2006-02-21 23:05:37 | 自閉症関連
日本で育った在日の人ではなく、日本語もあまり話せないまま日本人と結婚したからやって来て、日本に住んでいる外国出身の人を何人か知っています。
しばらくぶりに会うとみなさん日本語が格段に上達していて驚かされます。必死に勉強するようです、やはり必要に迫られるのでしょうね。
言葉の壁を乗り越え、異文化を受け入れ、たくましく生きている彼女たち。
中には障害児の親という立場の人もいます。
そんな一人、Eさんのお話をしたいと思います。

Eさんを私に紹介してくれたのは、息子が通園していた療育センターで知り合った友人でした。
Eさんの長男(Eくんと呼ぶことにします)も私の息子と同じく自閉症で同じセンターに通っていたのでしたが、息子はそこに一年いただけなので私も知り合いは多くない上に、息子はEくんより二つ年上なので先に卒園していて接点がなかったのです。
私がハングルを習い始めたと知った友人が、それじゃ是非にと引き合わせてくれたのがEさんでした。

EさんはEくんの下に生まれた赤ちゃんを連れ、センターのバスポイントにEくんを送って来ていました。私は自分の息子を養護学校のスクールバスに乗せてからそのポイントに行って合流し、友人も一緒にそばのファミレスに入りました。
彼女が毎日どんなに不安な思いで過ごしているか、垣間見えた瞬間がありました。私と友人がホットをと注文したら、Eさんは一瞬不安そうな顔をしたあと、「同じの」とにっこりしたのです。ホットが何を指すのか知らなかったんじゃないかとあとで思いました。
言葉は通じなくてもEさんはニコニコと明るく、カタコトの日本語とジェスチャーで楽しくコーヒーを飲みました。私も久しぶりの赤ちゃんを抱かせてもらったりしました。

Eさんは韓国・ソウルで留学中だったご主人と知り合って結婚し、生まれたばかりのEくんと一緒に日本にやって来ました。ご主人はハングルがペラペラでEさんとの会話には全く不自由がなく、夫婦と赤ちゃんだけの核家族。
おまけにご主人の仕事は、普通の会社の終業後に回って機械の点検や修理をするような内容だったようで、昼間は寝ていて夕方から出勤のようでした。生活時間帯もよその家庭とは違っていたわけです。
そしてご主人はとても優しいマメな人で、Eくんの療育相談などにもいつも同行してくれていたようです。
だから結果的にEさんの日本語の上達は遅れてしまいました。もう数年日本にいながらご主人以外とはあまり話したことがなく、日本語を使うことはほとんどないようでした。

私には日本語を教えてくれと頼まれましたが、むしろ自閉症児の親として悩みを共有したかったようでした。
Eくんは多動と呼ばれる活発な子で、よく勝手にどこかへ行ってしまってEさんを悩ませていました。住んでいたアパートの周囲は閑静な住宅街なので、奇声をあげて走り回るEくんの姿はとても目立ち、苦情が来るようなこともあったようです。
言葉がほとんど通じないので多くを語ったわけではないのですが、文字通り、言わなくてもわかるという感じでした。私もいちおうハングルの辞書は持っているので、辞書を引きながら意思疎通をはかったこともありました。

お互いの家で昼食を共にしたり、Eさんに連れられて同じように韓国からお嫁に来ている人の家に遊びに行ったりしました。
Eさんが、出してくれたビビンバを目の前でわざわざかき回してくれたのは、印象的な出来事でした。日本人はあまり好まない習慣ですが、よくかき混ぜた方がおいしいそうです。
Eさんの友人の家はホテルかと思うくらいきれいに片付いて磨き上げられていて(韓国の奥さんはとても綺麗好きらしいです)、こちらの子はごく軽い知的障害がある程度で養護学校には行かないので、入学する学校のことをとても気にしていました。やはり母親が外国人だとかなりイジメを心配するようでした。

Eさんはまもなく市営住宅が当たったとかで引っ越してしまい、会えなくなりました。ご主人の田舎から送って来たネクタリンを持って来てくれたのは一年後ぐらいだったでしょうか。その時も日本語がだいぶ上達していましたが、その2、3年後にデパートでばったり会った時は、会話には全く不自由がなく、同じ人と思えないくらい元気が漲っていました。
聞けば、韓国人の集まる教会を知って、通い始めたということでした。韓国は(意外な気がしますが)クリスチャンが多いらしいですね。
日本語もそこで特訓してもらい、育児を含め助けてくれる友だちもたくさん出来て、本来の明るさを取り戻したようでした。

Eさんも韓国に帰りたいと悩んだことはあったようです。
でも、お爺さんが昔日本人にひどい目に遭わされたことがあって、結婚には強く反対され勘当同然、帰る家もなかったので耐えたという話でした。無事に帰化も認められて、子供たちと同じ国籍になれたのも嬉しそうでした。
Eさんが生来の明るい人じゃなかったら、ご主人の支えがなかったら、思い詰めてEくんや妹を道連れに心中していたとしても無理はないと思います。人一倍我慢強く前向きな人だからこそ、教会に集まる人たちからも愛され、つかむことが出来た幸せでしょう。

逆境に負けない強靭な精神力を持つのが一番ですが、持ってない人が大半です。そういう人は素直に周囲に助けを求め、甘えさせてもらうのがいいと思います。
自分に出来ることがあったら、何かしてあげたいと思ってる人は多いのですから。
そしていずれ、甘えを受け止める側に回ればいいんじゃないでしょうか。
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取り返しのつかないこと

2006-02-20 23:30:22 | 社会問題
学習塾の講師に小6の女児が刺殺されたショッキングな事件。
今日初公判が開かれ、被告は罪状を認めて「取り返しのつかないことをしてしまった。……申し訳ありません」と詫びたそうです。
詫びて済むなら警察はいらない。
当時は同志社の法学部の学生で少なからず法律の知識もあっただろうに、なんでこんな短絡的な残虐な犯行に走ったのか、被害者の親ならずとも胸ぐら掴んで締め上げたい気分です。

弁護側は「妄想に基づく犯行で責任能力に問題がある」として精神鑑定の請求を検討しているとか。
03年10月ごろから精神科に通院して抗鬱剤の投薬治療を受けていた。昨年6月ごろから妄想にとらわれ、11月ごろからは幻覚が見えていたと主張しているそうです。
心神喪失者と認められるとすれば、被告は無罪となり、そういう人物を講師として雇っていた塾の責任が問われることになるでしょうか。
……激しい痛みと恐怖の中で絶命した女の子の無念さに心が痛みます。

「取り返しのつかないこと」が最近立て続けに起きます。
先ごろ滋賀県で起こった、同じ園に通う子の母親による2園児殺害。
犯人がどんなに後悔しても取り返しのつかない、償いようのないひどい虐殺でした。遺族をはじめ周辺の人々も加害者側の身内も、これからも辛い日々が続くことでしょう。せめて身体を壊さないで乗り切ってほしいと思います。
それにしても、これは冷静に考える理性があれば起こすはずのない犯行で、心神喪失状態でなければ出来るはずがないと私は思います。

マスコミの報道を聞いていて歯がゆい思いをするのは私だけではないでしょう。おそらく警察発表をそのまま流しているのでしょうが、きちんとした通訳やカウンセラーを通して聞き出した供述なのでしょうか。とても納得のいく内容ではありません。
精神的に追いつめられるのには、理由があり事情があるでしょう。言葉の壁は大きいでしょうし、家のローンの負担や夫の勤務の不規則さも相乗効果を生んだと思います。
でも同じような条件の人がみな凶行に走るわけではない。殺人を犯したら刑務所に入って子供にも会えなくなるということぐらい、普通の精神状態ならわかるはずです。
煽るような報道は控えて、顔を晒すのもやめて、冷静に報道してほしいと思います。取り返しがつかないのは、無軌道な報道も同じことですから。





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ちょボラ

2006-02-19 17:25:32 | 社会問題
昔、私が若いOLだった頃に、新宿駅でこんな経験をしました。
中央通路からホームに上がる階段の下で、横にいた車椅子の人が声をかけて来ました。マヒのある人らしく言葉も明瞭でなかったのですが、
「電車に乗りたいから、抱えて上に上げてほしい」
と頼んで来たのだとわかりました。
私は女友達と一緒だったのですが、二人ともやせっぽちで腕力はまるでない。二人だけでは無理と判断し、そばを通りかかった若いサラリーマン二人に協力を求めたら、いいですよと快く抱えてくれました。4人で抱えたのであまり重くもなかったです。

そのサラリーマンは連れじゃなかったらしく、上についたらお互いに会釈してさっと別れていました。抱えてもらった車椅子の人も、ありがとうとさらっと言ったぐらいで、たいして恐縮するようすもなくさっさと電車に乗っていきました。そのさり気なさがとても気分よかったです。
あれがボランティアの本来の姿だな~と今でもたまに思い出します。
一度は駅員さんが二人掛かりで抱えているのを見かけましたが、危ない仕事だなと思いました。ちょっと声をかけたら協力してくれる人はたぶんいるのでしょうが、日本人はそこらへんが気後れして苦手ですね。

朝路線バスに乗ると一緒になる人の中に、途中で乗って来る視覚障害の若い女性がいました。
終点まで乗って駅から電車に乗り換えるのですが、毎日通る道だから熟知していて、白い杖をつきながら他の人と同じぐらいの早さでさっさと進みます。杖をついてないと障害のある人と気付かないくらいの足取りです。
彼女自身は人の力を借りたくない様子で、階段は危ないよと腕を貸そうとした人にも「大丈夫ですから」と大きな声できっぱりと断っているのを2回ばかり見かけました。

ある時終点のターミナルが混雑していて、バスがいつもより2mほど後ろに停車したことがありました。バスを降りた彼女は、おそらくいつもと違う足裏の感触に戸惑ったのでしょう、階段の位置を見当つけるのに困っているふうでした。
私も迷いましたが、「左斜め前1mに階段があります」とひとこと声をかけてみました。「ありがとうございます」とぱっと顔を輝かせてくれたのでホッとしました。
眼が見えなくても一人の力で通勤(だと思います)出来ている実績は彼女の心の支えになっているでしょう。実際に見えない以上いつもと違う事態に戸惑うのは当然のことなのですが、そこで誘導されるような援助は、いくら好意から出ているにしても、彼女も迷惑だったと思います。難しいものです。

自分が気軽に出来ることで相手に喜んでもらえたら、それはとても幸せを感じられるひとときだと思います。たいていの人にはそういうボランティア精神が備わっていると思うのですが、手を出すにはきっかけとちょっとだけ勇気が必要。
「こうしてくれませんか」と具体的に頼んでくれたら、気持ちよく応じられると思うのです。
今は駅にもエレベーターが出来て、車椅子を抱え上げることもなくなったかなと思います。車椅子の人が人の力を借りないで(あてにしないで)どんどん外出出来るように環境が整備されるのはもちろん有り難いこと。
でもちょっと声をかけてもらえたら、ドアを押さえる程度のことで相手に「私でも人のお役に立てた」と小さな喜びを与えることが出来ることも、わかってほしいと思います。

いま「ちょボラ」でGoogle検索してみたら、35,100件もヒットしました。
「ちょこっとボランティア」略して「ちょボラ」ですが、数年前に流行ったこの言葉、定着したのでしょうか。最近はあまり聞きませんけど。
みんなが「ちょボラ」をやってお互いに助け合い、少しでもやさしい気分になれたらいいなあと思います。
障害児がいるとボラさんのお世話になりますが、障害児の親はボランティアをする機会も多いです。世の中持ちつ持たれつ。
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連携のすすめ

2006-02-18 23:54:37 | 自閉症関連
息子が知的障害を伴う自閉症と正式に診断を受けたのは、5歳の時でした。
私も世間一般なみの知識しかない頃で、「自閉症」には暗い引きこもりというイメージがありました。とても意外な思いがしましたので、
「自閉症というのとは、ちょっと違うんじゃないかと思うんですが……」
と、おずおずと言ってみました。先生も親のそういう反応には慣れっこだったのでしょう、
「お母さんは、自閉症ってどんなものだと考えてるんですか? 人なつっこい自閉症もいるんですよ」
とさらりとおっしゃいました。私はその言葉にとても衝撃を受けたので、昨日のことのように思い出せます。

息子は元気に療育センターの通園部に通い出しましたが、せっかくの自由な一人時間をうまく使えないで悶々としていた私でした。当時はネットどころか、パソコンもまだ持っていなかったのです。今思うとホントにもったいないことでした。
あるとき、まったく偶然に、自閉症児・者親の会が開催していた作品展会場の前を通りかかりました。そこは私が滅多に行かない繁華街のはずれで、初めて通る道でした。
自閉症という文字に惹かれて階段を上り、作品展を見ました。自閉症とは何ぞやというパネルに見入り、作品の数々を見ました。
受付の女性に、「私もこの会に参加させて下さい」と言いました。
その時そこを通らなかったら、私の人生は大きく変わっていたと思います。

この会に飛び込んで、勉強会を企画して報告(テープ起こし含む)を書くようなことを担当し、とても貴重な勉強をさせてもらいました。
また、そこで知り合えたたくさんの仲間、ことに先輩お母さん方のおかげで、私はあまりひどく落ち込むことなくやって来れたと思います。
当時の私は離婚を前提とした別居をしていた時期で、身内はすべて遠くに住んでおり、頼れる人は近くにいませんでした。親の会の仲間がいなかったら、と思うと感謝でいっぱいになります。

私がその会に参加したのが初夏のことで、秋のころだったと思います。
月に一度の勉強会が親睦会を兼ねた小物作りだったことがありました。出来上がった小物はバザーで売って活動資金にするわけです。
まだ新人会員の私に、子供の様子を聞いて来たお母さんがいました。私は当時少なからず悩んでいたので、
「春から学校なんですけど、うちの子、まだしゃべらないんです」
と言ってみました。すると、横にいたお母さんが、
「しゃべらなくていいのよ、なんにも困らない。いっそ何もしゃべらない方が可愛がられるから、しゃべる必要はないの」
と、強い口調で断言したので、私は気圧されて黙ってしまいました。
でも、しゃべる必要はない、と言ってもらったことで、その後その点で悩むことはなかったように思います。
その時はピンと来ませんでしたが、その言葉の意味はあとでよくわかる機会が何度もありました。

自閉症のパターンにもいくつかあるようで、「うちの子によく似てる」と言いながら的確なアドバイスをしてくれたお母さんは、ことに有り難い存在です。
一時、上履きを履くのを嫌がり破いてしまう時があったのですが、
「窮屈なのは嫌いかもしれない。こういうのじゃなくてこういうデザインで、サイズも一つ大きめのぶかぶかにしてみたら」
と絵を描きながら忠告をもらい、うまく乗り切ったこともありました。
人には聞きにくい(そしてうちには父親がいないのでわからない)自慰のことなどにしても、
「もし見つけても無理に止めちゃ駄目。そうしたら隠れてやるようになるから」
と対処法を教えてもらったりしました。

母原病と責められ相談機関もない時代に子育てをしたお母さんたちは筋金入りで、優しいだけではなく辛口のことも言うし脅されもしましたが、ズバリ的を得ていて、とても鍛えてもらいました。
そしてみなさん苦労を乗り越えた人たちですから強くて明るく、その前向きな姿勢にはずいぶん学ぶものがありました。
一人で悩んでいるとお涙ちょうだいですが、先輩お母さんたちにかかると笑いのタネ。けっこうシリアスな話題でも、すかさず突っ込みが入ったりしてたいていは茶化され、笑い話となっていました。
「そんなのまだまだよ。ウチの子なんてこんなことをしたんだから」
と笑い飛ばされることでずいぶん救われたと思います。大声で笑われるだけで、深刻に悩んでいることがバカみたいに思えて来るから不思議なものです。
どんなに大変な子供たちでも20歳過ぎると落ち着いて、それなりにやっていけるらしいと安心もしました。
先輩お母さんがあるとき、
「せっかくこういう子に恵まれたんですから、自閉症の世界を楽しみましょうよ」
と笑って言うのを聞いて圧倒されたものでした。
でもホントに、知れば知るほどとてもユニークな、興味を惹かれる障害であることは確か。せっかくだからおつきあいしてみるか、とぼちぼちやっています。

もし今一人ぼっちで、どう育てたらいいか途方に暮れているお母さんがいたら、同じ悩みを持つ仲間との連携をお勧めしたいと思います。
同年配の人同士は励ましあい助け合うことが出来、先輩の話は文字通り道を開いてくれます。
前向きに活動することで自分の足場がしっかりし、生き甲斐も感じられるかもしれません。
数が揃えば行政に働きかけることも出来るのですから、力を持つことにもなります。
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2006-02-18 00:43:36 | 興味津々
ピアニストの格言集というサイトを見ていたら、
★「最高の先生は、自分の耳だ。自分の耳が許さない音を、弾いてはいけない」
  (F・ショパン)
★「耳に聞こえるメロディは美しい。だが聴こえないメロディはさらに美しい」
  (ジョン・キーツ)
……この2つが印象に残りました。
音は物理的に説明の出来る空気の振動でしょうから、鼓膜に到達するまでには誰にも同じものが届くはず。それをどう受け止めどういう音として認識するかは、(ことに聴こえてない音の受け取り方は)受け手の感受性次第ということになるでしょうか。

同じ話を聞いても、聞き流す人と深く感銘を受ける人がいたりします。
自分のキャパにちょうど合う程度の、タイムリーな話題だと印象に残りやすいでしょう。
(腕のいい詐欺師はこのツボをよく押さえているのだと思います。)
前に書いたサヴァン症候群のピアニストは、一度聞いたメロディを正確に再現出来るということでした。耳の性能が格別にいいようです。
本当かどうかは知りませんが、ホリエモンは小学校時代学校のテストはいつも100点だったという話。先生の説明がもれなく呑み込める、感度のいい頭脳の持ち主だったようです。

私は感度のいい耳には恵まれませんでしたが、障害児の先輩お母さんの話にはずいぶん助けてもらい、進むべき道を教えてもらいました。
長々とした話じゃなくても、何気ないひと言にハッとしたこともあります。
一度こんなことがありました。まだ携帯電話が普及していないころ、養護学校のスクールバスがひどく遅れたことがあったのです。
私たちはスクールバスがやって来るポイントで待っていたのですが、予定より30分過ぎても来ない。しびれを切らした一人のお母さんが公衆電話までかけに行き、バスが出ないことになったと教えてくれました。

たしかオウム真理教のサリン事件のあとで、駅で異臭騒ぎがあったからだったと記憶しています。みんな学校まで迎えに来てほしいとのことに、思わず、
「えーーっ、やだあ!」
と大声を出した若き(?)日の私。するといつもクールなベテランお母さんがひとこと吐き捨てました。
「イヤでもしょうがない」。
これはこたえました。背中をどつかれたような気になり、ハイとすぐ学校へ向かった私でした。

それ以来、ヤダーと言いたくなる事態に直面すると、
「イヤでもしょうがない」
とつぶやいて、言っても仕方ない愚痴は極力言わないように自戒しています。
口に出してガス抜きするのは悪いことではないけど、どんどん前に進んでいればどうでもよくなるようなことが大半。
思わず耳を洗いたくなるような汚いワルクチや、解決策を探る目的でないただの愚痴は、人の耳に入れるべきものではないと思います。
星野富弘さんの詩の一節にもありました。
「……私の口から出たことばを いちばん近くで聞くのは 私の耳なのだから」
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心のこり

2006-02-17 00:10:25 | 自閉症関連
10年前にくも膜下出血の手術を受け、今はすっかり元気な先輩お母さん(Aさん)に話を聞く機会がありました。Aさん自身の話が一段落したあと、
「ちょうど同じ時期にDさんも乳ガンの手術を受けたの」
とAさんがしんみりと話し始めました。
AさんとDさんは子供が養護学校の同じクラスに通うお母さん同士で、二人とも子供の障害のことをよく勉強して活動している熱心なお母さんたちでした。
二人の子供たちをそれぞれA君D君と呼ぶことにします。当時高等部2年生の夏のことでした。

同じ時期にAさんDさんは二人とも大きな手術を受けたわけですが、子供への対応はだいぶ違います。
A君はお父さんが単身赴任していて不在、ちょうど結婚準備で退職していた年の離れたお姉さん、もう一人のお姉さんと一緒に、静かに暮らせたようです。
一方D君は2歳しか年の離れていないお姉さんと、中華料理店自営のお父さんの3人暮らし。家のことはお姉さんが頑張ってくれたそうですが、こだわりの強いD君の世話と看病、お母さんが抜けてその分忙しい店の仕事でお父さんはクタクタ、のちに「自分が死ぬんじゃないかと思った」とAさんにもらしたそうです。

D君は知的な遅れが少なく、簡単な日常会話や計算、読み書きは出来るし、一人で公共交通機関を利用してプールに行ったりする子でした。
学校にももちろん一人で通学し、比較的手のかからない子ではありました。
でもガタイが良くて物怖じしないので誤解を招きやすく、相手によってはインネンをつけてからんでくることもあったそうです。
なにも問題がない子なら養護学校に行くはずもなく、知識のばらつきの大きい自閉症者ならではの難しさの目立つ子でした。

私が初めてD君に会った時、D君は何を思ったか私にいきなり、
「○○くんのお母さん、老人?」
と聞いて来たので、私は苦笑まじりに、
「え~、まだ老人じゃないと思うけどなあ」
と答えたものでした。すると次回からは、全く同じやりとりが期待されたのです。少しでも違う言いまわしをすると、彼が納得するまで何度も繰り返し聞いて来るので閉口しました。
自閉症に慣れてない相手なら、
「何回同じことを聞くんだ! それはこの前言っただろう!」
と怒り出すかもしれません。自閉症者相手にはそういう面倒なこともあります。

自閉症の人たちは「耳で聞いたことはすぐ飛んで行ってしまう」のだそうです。だから何度も何度も同じことを聞いて確認しないと、不安でたまらない。
そして<いつも同じ>であることを好む子たちですから、D君はおそらく、どうして家にいるはずのお母さんがいないのか、毎日お父さんに詰問していたことでしょう。

その後高等部専攻科に進んだ子供たちが20歳で卒業を迎える頃、AさんDさんたちはクラスの有志で卒業旅行として親子でハワイに行きました。
Aさんは順調に回復していましたが、Dさんはガンが転移して何度か手術を繰り返し、この旅行の時も入院するように言われていたのを振り切って参加したそうです。
もう長くは生きられないと覚悟の上だったのでしょう、無理をしていたのかもしれないけど、とても明るく楽しそうにふるまっていたそうです。

それでもある時ぽろっと、「子供を残して行くのだけが心のこりね」ともらしたそうです。Aさんは深くは考えず、元気そうなDさんの姿に、
「あなたが死ぬくらいなら私の方こそとっくに死ななきゃならないわ」
と笑い飛ばしたそうです。
Aさんは手術のあとげっそり痩せてしまい、そのまま太れずにひょろひょろでした。Dさんは骨太のせいかあまりやつれなかったようです。
たとえ覚悟が出来ていたとしても、この時のAさんの対応はどれだけDさんの救いになったか、一時の気休めになったかと思います。

でもDさんの病状はAさんの予想を遥かに超えていたらしく、Dさんは旅行から帰った翌月には亡くなってしまいました。
Dさんが心をのこして心配していたD君は、卒業後気に入った授産所で職人見習いとして働きはじめ、そこが作った第一号のグループホームに入ることが出来たそうです。彼はそこの生活がとても気に入った様子で、今はあまり家にも帰りたがらないということでした。

AさんはDさんのことを話したあと続けて私に、
「どう、あなたも、この子を残して死ねないって思うでしょ」
と聞いて来ました。Dさんの亡くなった年齢をすでに越えている私ですが、まだ死を意識する年齢ではないと思いたい。
「息子もだけど娘たちも自立してないし、まだ駄目ですね~、今死んでも成仏出来ないで化けて出ちゃいますよお」
と笑ったのでした。
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トリノ報道を見て

2006-02-16 00:24:01 | 興味をひかれる人
先日たまたま読んだ産經新聞に、橋本聖子議員のエッセイが載っていました。
彼女が国会議員でありながら産休を取ることに賛否両論があったのは覚えていますが、今は二人の子のママであることを初めて知りました。
彼女が長いこと女子スピードスケート界のスーパースターだったのを知る人は多いと思います。
メダルこそ取れなかったものの何度もオリンピックに出て、夏の大会にも自転車で出たり、国会議員となってからも二足のわらじを履いたりと、何かと話題を提供してくれた女性です。

彼女が結婚したとき、医者からは子供は無理だろうと言われていたそうです。
長いことスケート選手であったことが肉体的にどういう状況なのか、私には知る由もありませんが、スピードスケートの選手は太ももがかなり太いという話ですから、筋肉が発達した男のような身体なのかもしれませんね。
橋本聖子議員は、だから子供を持てないことを覚悟していて、妊娠がわかった時はとても嬉しく感動したそうです。

国会開期中に産休を取るなんてケシカランと非難を浴びながらも、それまでほとんど例がなかった産休の制度を整えて取り、後続の女性議員のために道を開いてくれました。彼女に感謝する人は多いでしょう、その後何人かの議員さんが産休を取ったという話です。
ただ本人は産後一週間で仕事に復帰したそうです。超人的な体力があってのことでしょう。

彼女の、スケートの後輩たちも頑張っています。
0. 05秒とかいう僅差でメダルに届かず、「申し訳ない」とさらっと言った岡崎朋美選手。悔しくて悔しくて泣きたいところでしょうが、そこはやっぱりオトナです。
彼女はこれからどうするのでしょうか、まだ次のオリンピックを目指すのかな? 私個人としては、橋本先輩のようにママになって親子でスケートを楽しむのもいいんじゃないのかな、と思ったりします。
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介護保険の無駄遣い

2006-02-14 23:01:25 | 社会問題
まず介護保険についてザッとおさらい。
前提として<自立生活の促進>があり、その上で、
1) 財政については公的資金(税金)と保険料収入の比率を半々とする
2) 保険料は40歳以上のすべての国民が拠出する
(私は国保の保険料と一緒に引き落としされますが、年金を受給している人はそこから天引きされるらしいですね)
3) サービスの受給発生は原則65歳以上
4) サービス受給のためには要支援・要介護認定を受ける(役所)
5) サービス内容は利用者が選択するが、実際の利用はケアマネージャー(民間)を通して事業者を決定する
……と決められています。

介護度によって使えるサービスの内容に違いがありますが、長くなりますのでここでは割愛。
入院したことのある人なら、上半身を起こすことの出来るベッドに
「これは便利だ、家にも欲しいな~」
と感激したことはないでしょうか。
あれは介護ベッドと呼ばれるもので買うと一台255,000円もするようですが、介護保険を使うとレンタル料の一割負担で借りることが出来ます。
ところでこのレンタル料に、事業者によってかなりのばらつきがあるそうです。
月額4,500円~58,500(5,800の間違いではありません)円、平均10,279円。

もとが同じ金額なのにレンタル料にこれほどの差がつくというのもおかしな話ですが、百歩譲って、自由競争社会だからレンタル料をいくらにするかは事業者の勝手ということにしましょう。
ではなぜこういう事業者が淘汰されないかというと、利用者がサービスを決める時に担当のケアマネージャーが実質的な決定権を持つことが多いのですが、ケアマネージャー派遣業者とレンタル業者が同じ場合もあるという驚くべき実態があり、これを指導の根拠がないからと野放しなのだそうです。
ホリエモンも真っ青の<やりたい放題>ではないでしょうか。

例えば分譲価格255,000円のマンションがあるとして、それを月額58,000円で借り上げ、それを1割負担の5,800円で社宅として貸している会社があれば、監査が黙っていないでしょう。
会社の金をなんだと思ってるんだ、と厳しく叱られると思います。それを決めた人物がそのマンションのオーナーの身内だったら、処分を受けるんじゃないでしょうか。
同じことが、なぜ役所では野放しのまま許されるのでしょうか。監査機能は働かないのでしょうか。人が納めた税金を使うのですから、1円でも無駄にしないようにするのがスジってもんじゃないでしょうか。

介護ベッドは、一旦借りると亡くなるまで何年も借りるのが普通でしょうから、貸す方からしたらボロい商売ではないでしょうか。255,000円のベッドを月58,000円で貸し出せば、わずか4ヶ月ちょっとで減価償却です。
介護保険だから取りっぱぐれはない。これは儲かると悪質な業者に食い物にされている様子が目に見えるのは私だけでしょうか。
利用者自身は、支払うのはレンタル料の一割なのであまり気にならないらしいのですが、9割を負担する方が気にしないのはどう考えてもおかしい。
福祉関係の業者はすべて善意の人と、手放しの性善説に立たれても困ります。
これで介護保険が破綻するから自己負担率を増やすなんて、まるで子供のお使いです。

いったん納めてしまった保険料の使い道についてシビアじゃないのは、日本人の良く言えば「鷹揚」、悪く言えば「あなた任せの無知、甘ちゃん」なところで、税金の無駄遣いに無関心だから役人の天下り天国を許しているのと構図は同じだと思います。
厚生労働省によると、福祉用具貸与(車椅子と介護ベッドで8割)の給付費は、介護保険がスタートした00年4月は1ヶ月で4億円、昨年4月には148億円。実に37倍にも増えたそうです。
これでは予算がパンクするのも無理もないように思えますが、やりようによってはうんと減らせるはず。
自己負担をと言う前に、介護保険の不明朗な無駄遣いを徹底的に洗い出して、国民の納得のいく使い方をしてもらえないでしょうか。
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年齢の壁

2006-02-13 23:51:49 | 社会問題
久しぶりに会った友人とランチをしていたら、ふとした会話から彼女が簿記3級を持っていると判明。
商業科の生徒なら在学中に取らされるだろうけど、彼女(四大文系卒)はいつ取ったんだろうと不思議に思って聞いたら、中年になってから事務の仕事に就くために取ったという説明に驚きました。
それまで商品の仕分けのパートをしていて、重いペットボトルの運搬ですっかり腰を痛めてしまい、身体がラクなデスクワークをしたいと思ったそうです。
大学を出たのははるか昔で、普通免許以外に特技も資格もない。ご主人のアドバイスで一大決心して簿記の学校に通ったそうです。

資格試験は繁華街近くの商業高校であったそうで、自分の子ぐらいの若い子たちに囲まれて受験したとのこと。若い時と違って記憶力も減退して苦労したようですが、学費を無駄に出来ないと必死で頑張った甲斐があって一回でクリア出来たそうです。
求人広告を見て面接に臨み、無事採用。あとで採用担当者に、
「若い時に資格を取った人より、努力して今取った姿勢を買った」
と言われたということでした。

その彼女と、年齢を理由に医学部に合格出来なかった女性の話になりました。
当時55歳の東京在住の主婦が、群馬大学医学部を受験し年齢を理由に不合格となり、合格を求めて大学を提訴した事件です。
不合格と知って個人情報の開示を求めて確認したところ、センター試験と大学受験時の成績が合格ラインを越えていた。問い合わせたら、年齢を考慮して不合格としたと大学から非公式に回答があったそうです。
55歳で入学するとしたら、留年しないで順調に卒業しても医者になれるのは6年後。すでに60代になっている計算です。

この主婦の挑戦に刺激を受け、今からでもまだ遅くないかもしれない、自分も頑張ってみよう! と励まされた人はたくさんいたかもしれません。
受験資格に下は高校卒の18歳以上という縛りはあるにしろ上の年齢制限はないのですから、法律的には主婦の主張が正しいのかなとは思います。
医者の養成には巨額の費用がかかるらしいから、将来性を優先して合格者を選ぶ自由は大学にあるんじゃないかという私の主張に、友人は、
「税金だって無駄なところにずいぶん使ってるんだから、そのくらい出してあげたらいいじゃない。年取ってから医者になっても出来る仕事はあるでしょう、人生経験はあるんだから」
と言います。これにも一理あります。

ただ医学部の授業というのはとても体力も頭も使う、大変なものらしいです。
小児科とか外科とか別々の医師免許じゃないですから、人体の隅々までその筋肉や神経の名称を覚え、あらゆるホルモンの名前を記憶して、その果たす役割まですべて細かく把握しなければならない。
医師国家試験だけじゃなく、日々の試験前には入学前の受験勉強どころではない難行苦行が待ち構えているそうです。
熱意と努力は人一倍としても、50代後半で耐えられるものでしょうか……。
万が一挫折するとしたら、それまでの補助金を無駄にすることになります。主婦の代わりに入学するはずだった若い人一人の未来も。

国立の大学がコストのことを考えて主婦を不合格にしたことについて、当然視する意見はたぶん私ばかりでなく、多いと思います。
医学部の学費がいくらか知りませんが、昔、私立は無理だからと公立の医学部しか受けなかった同級生は私の周囲に何人もいました。(その学費の差額は結局国・県・市が負担してくれているわけですよね。)
とても優秀な人たちでしたが国公立受験のチャンスは年2回しかなく、浪人も許されなかったので一期(当時)で医学部に落ちた彼女らは二期の薬学部に進み、薬剤師になりました。
そういう妥協をして生きている人は今の時代にも多いと思います。

この主婦にも、私立の医学部に行くという選択はあるんじゃないかと思いました。大学によっては、宣伝になるからと歓迎するところもあるんじゃないでしょうか。
年なんか関係ない、とは実際に年を取ったと自覚する私にはとても言えない台詞です。老眼は急速に進む、指先が見えない、車の運転していてもとっさの判断が鈍る。
老いは誰にも訪れ、程度の差はあれいずれ受け入れなければならないものだと思います。

100歳を過ぎて元気なお医者様もいらっしゃいますが、あの人は奇跡の人です。余人に真似出来るものではない。若い時から医者としての積み重ねがあったからこその活躍だと思います。
簿記を習う分には何歳になっててもかまわないと思いますが(努力した友人はエライですが)、人命をあずかる医者になるのはどうなのか、裁判の行方が気になります。
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サヴァン症候群のこと

2006-02-12 23:04:20 | 自閉症関連
きのう書いた映画「マラソン」に、印象的なシーンがありました。
呑んだくれの駄目コーチが、唐突に、主人公の自閉症の青年に
「386×75はいくつだ?」(すみません、DVDを返却してしまったので確認出来ないのですが、そんな感じの数字です)
と話しかけるシーンです。
そして主人公が黙っていると無理と判断したのか今度は桁を減らして
「○○×7はいくつだ?」。
出来るのかな? と私も一瞬期待してしまいました。
残念ながら主人公は掛け算は出来ないようでした。そう言えば母親が(海苔巻きを買いに行かせて)簡単な引き算を教え込もうとしているシーンもありましたっけ。

コーチが主人公にそういうことを聞いたのは、自閉症者の中には計算とか記憶力とか絵とかの分野で、信じられないくらい高い能力を持つ人がいるということを知っていて、
「こいつはどうなんだろう?」
と興味を覚えたからでしょう。
私の息子が自閉症とわかったとき、義母はすぐに
「△△くんに絵を描かせてみたらどうかしら」
と言いました。義母の頭の中には山下清の貼り絵のイメージでもあったのではないかと思います。

映画「レインマン」のモデルになったキム・ピーク。
目が見えずレッスンも受けた事がないのに、一度聞いたチャイコフスキーを完璧に演奏出来るピアニスト、レスリー・レムケ。
著名人がコレクターとして知られる画家リチャード・ワロウ。
彼らはサヴァン症候群(savant syndrome: savantはフランス語で「賢人」の意)と呼ばれる人たちです。天才と呼ばれる一方で自閉症など知的障害を持ち、日常生活は人の援助を必要とします。
サヴァンの少なくとも半数は自閉症と言われますから、自閉症者の身内が
「もしかしてうちの子にも何か隠れた才能があるかも」
と期待してしまうのも当然かもしれませんね。

ただサヴァン症候群は自閉症者の10人に一人だそうですから、割合としてはそう多くはありません。後天的な障害(脳損傷など)でそうなった人もいます。
また極めて珍しいことに全く知的な遅れがない人もいて、円周率を表す数字が情景とともに見える説明をしているのを先日テレビで見かけました。この人はてんかんの発作がきっかけになってサヴァン症候群となったらしいです。
てんかんは自閉症にも多い病気ですから、脳の損傷のメカニズムに共通点があるのでしょうね。

天才というほどではないのかもしれませんが、楽譜も読めないのに耳で聞いただけで楽器の演奏をこなす自閉症児、ちらっと見ただけの光景を絵に描くことの出来る自閉症児は、実際に見て舌を巻いたことがあります。
サヴァン症候群予備軍(?)はとても多そうです。

サヴァン症候群にはほど遠い我が家の息子。絵はさっぱりですが、ジグソーパズルは300ピースぐらいまでのものなら初めてでもサッとやれます。
夜空のような代わり映えしない図柄でもきちんと識別するので、この子には私には見えない何かが見えているのかも、と思ったりします。
ただ上には上がいるようで、友人の知っている子は裏返しのジグソーパズルをスイスイやるそうです。
また一時は上の子が複雑な図案を描いてくれて、アイロンビーズというものに熱中しました。
私などにはとても出来ない細かい作業ですが、視覚の刺激には強いと言われる自閉症らしく、見本そのままに並べて行くという作業は得意のようでした。ただ飽きてしまったらしく今はやろうとしません。
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映画「マラソン」を見て

2006-02-12 00:17:44 | 自閉症関連
封切りの時に見に行けなかったので、レンタルのDVDを借りて来て見ました、自閉症とマラソンがキーワードの韓国映画「マラソン」。
自閉症児には闘争心がなくて長距離は真面目に走らない子が多い、というのは前にここのネタにしましたが、手抜きをしない、疲れを知らない子たちなので一生懸命走ったら速いはず。
いい指導者に恵まれたら才能を開花させられる人も多いでしょう。この映画の母親がコーチにすがろうとした気持ちも、わかるような気はします。

この映画をご存知ない方のために、簡単なあらすじ。
『19歳の青年チョウォンは知的な遅れを伴う自閉症。父親は家を出ており、市営住宅で母親、弟の3人で暮らしている。
チョウォンの養護学校に、ある日往年の国民的英雄のランナーがやって来る。飲酒運転の罰則として200時間のボランティア(生徒の指導)が義務づけられたのだ。チョウォンの母親はこの男の家に押しかけ、個人的なコーチを頼み込む。今はただの呑んだくれのコーチはメチャクチャな指導をするが、最後にチョウォンはフルマラソンを3時間以内で走るという偉業を成し遂げる』

映画の最初にいきなり、いつもの道が工事中で通れずにごねるシーン、食べない(おそらく偏食)子供に母親がむきになって口に押し込もうとするシーンが出て来て、オオッさすが自閉症、と期待しましたが、率直に言ってがっかり、期待はずれの映画でした。
1800円払って劇場で見ていたら本気で腹が立ったかも。

まず、この母親に全く共感出来ない。
母親は弟のことはそっちのけでチョウォンの世話に熱心。弟の学校に進学相談で呼び出されても、チョウォンのプールを優先させたりしています。
弟が人の車のミラーを蹴飛ばして警察の厄介になっても、平手打ちして罵るだけ。弟が自分の気持ちを吐露して訴えても、意固地になってそれに応えようとしません。この弟が可哀想でなりませんでした。
もっともここの部分は、韓国は儒教思想が色濃く残っていて親子の身分関係が歴然としている国だから、子供に媚びるような意思表示はしないのかもと思いました。

チョウォンはシマウマにこだわりがあるらしく、若い女性のシマウマ模様のバッグをつかんで(よく見たかったらしい)ひったくりに間違われたり、シマウマ模様のスカートにさわって、さわられた子の恋人に殴られたりします。
するとこの母親はろくに謝らず、謝らせようともせず、罵ったり殴ったりする人たちに食って掛かるのです。
こういう母親がいると、ほかの障害児の親が迷惑します。
シマウマ模様のものがあっても、人の物にはいきなりさわったり取ったりしてはいけないと教え込むべきだし、教え込めないときは低頭平身でひたすら謝るしかないと思います。
障害児だから、シマウマにこだわりを持つ子だから、と居直るのは許してもらえないと思うのです。(気持ちはわかりますけどね)

父親、弟の描き方が中途半端なのも不満です。
障害のある子がいると(うるさくて、気が休まらなくてetc)家でゆっくり出来ない、と帰宅の足が重くなる父親というのも少なくないようです。 
仕事は早く終わっているはずなのに家に帰るのは毎日午前様、意図的にすれ違い生活をしていて会話はゼロ、家庭内離婚状態という友人もいます。
この映画の後ろの方で主人公が
「ママが手を離したからチョウォンは(動物園で)迷子になった」
と繰り返すシーンがあります。
幼児だった本人がそういう自覚を持つとは考えにくいので、父親がそういう言葉で母親をなじったのだろうと思うのですが、そんなシーンを入れるとこの夫婦の亀裂がわかりやすくなると思いました。
母親が働いている様子はないので、給料はちゃんと入れてくれているようです。そう険悪な関係でもないようなのに、事情説明が全くないのは不満が残りました。

弟については、母親の兄に対する態度に言いたいことがあるようなのに
(歳の近い男同士なのから、兄の気持ちをもっと代弁してやったらいいのに)
率直に言えないでいるシーン(最後の方)はイライラさせられ、画面に向かって
「弟、なんか言ってやれよ~、出番だよ、弟!」
と一人興奮してしまった私でした。

あと、母親が倒れた病気ですが、ほんとに胃穿孔だったら尿路結石にも匹敵する激痛のはず。大の大人でも堪え難い痛みで、売薬で散らそうとは考えられないのではと思いました。

全体的に冗長でタルく、脚本が悪いと思いました。俳優さんの演技自体は悪くなかったので、なおさら残念です。
韓国では500万人を動員したヒットということですが、韓国の映画館は年間半分ぐらいの日数邦画を上映しないといけないという縛りがあるそうで、そうでなければ外国映画に太刀打ち出来るほどのヒットだったかどうか、個人的には疑問です。
韓流ブームと言っても、新作で店に1本しかなかったこのDVDが借り出されてなかったのは、やはりマイナーなのかなと思いました。

ついでに言えば、障害者を扱った映画は比較的評価が甘いような気がします。
「カーラの結婚宣言」も「アイアムサム」も評判は良かったようですが、私はわざとらしい演技にがっかりしました。
「レインマン」「レナードの朝」は大いに買っています。
一般の人にも理解を深めてもらうために、よく練った脚本でただのお涙ちょうだいではない心に残る映画を、と期待しています。

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