木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

純粋処分違憲論と立川ビラ事件

2011-11-04 16:06:26 | 憲法学 憲法判断の方法
私の好きな警察官エピソードといいますと、
次のものが挙げられます。

 あるおばあさんが、ベランダでおはなにみずをやろうとしました。
 そこには、ながさ1メートルをこえるニシキヘビがいました。
 おなじマンションのじゅうみんがペットとしてかっていたのですが、
 ひょんなことからにげだしてしまったのです。

 ニシキヘビは、おどろいて、おばあさんのあしにまきつきました。
 おばあさんも、おどろいて、110ばんにでんわし、
 たすけをもとめました。

その後、おばあさんは、かけつけたA巡査部長に救助されるわけですが、
その時のAさんのコメントが
「蛇は苦手なのですが、職務なので頑張りました。」
というものです。


というわけで、立川ビラ判決の分析をしたいと思います。
因みに、以下の記事は、『急所』第三問にも関係しますので、
問題解く前に余計な先入観持ちたくないという方は、
第三問を終了してから、お読みください。





さて、最近、処分違憲・適用違憲の概念が盛り上がっていますが、
その一因は、この判決の事件にあるように思います。

この判決の事案を見て、次のような直観をもたれた方、多いのではないでしょうか。

 直観:これ適用違憲だろ
「ふーむ、この被告人有罪にしたら違憲じゃ。
 でも、まさか住居侵入罪を規定した刑法130条が違憲だってことにはならん。
 わかった。これがいわゆる適用違憲だ。」

・・・。宍戸先生の法学セミナーの連載のオープニングのようですが、
こうした直観から話をはじめましょう。

こうした直観からすると、立川ビラ判決の処理のために、
法令完全合憲・処分のみ違憲という意味での
〈純粋処分違憲〉の概念が有益であるようにも思われます。

しかし、本当でしょうか?


ではでは、立川ビラ事件を考察してみます。

弁護側と検察側がノーガードで切り合いをすると、
次のような議論になります。


 対決1:ノーガードの切り合い

弁護側「表現行為としてのビラ配りのためなら、
    表現の自由は大事だから、
    管理権者の意思に反してでも、立入を認めるべき。」
検察側「いや、管理権者の意思に反して立ち入る権利なんか
    憲法は保障してないでしょう。」

さて、みなさんが裁判官だったとします。
弁護側の主張を認められるでしょうか?

恐らく否です。
「表現行為なら、住居侵入OK」と判決書いてしまうと、
デモ隊から、お宅の庭通してくださいと言われた場合(私の薔薇が!)や、
お話しがあるから聞いてくれ、と言われ、
見知らぬ者が自宅に上がこんできた場合(怖!)に、
拒めないし、退去も命じらない、となってしまいます。

と、いうわけで、ノーガードの切り合いはできません。
そこで、弁護側も、単純に「ビバ!表現の自由!!」と主張するのではなく、
何か工夫をする必要があります。

(ふーむ、この説明の流れは、まさに森内俊之『矢倉の急所』そのもの)


さて、第二ラウンド。弁護側は、公務員宿舎に反戦ビラのみならず、
いろいろなビラがはいっていたことに着目します。


 対決2:表現内容規制論

弁護側「これは、表現内容に着目した規制だ。
    これは、表現行為の規制中でも最もやっちゃいけない規制だから、
    被告人を処罰することは違憲だ。」
検察側「いえいえ。確かに、問題の宿舎にはお寿司屋さんやらピザ屋さんの
    ビラがほうりこまれてましたが、
    被害届が出されていたのは、被告人だけなんですよ。」

さて、皆さんが裁判官だったら、弁護側の主張を認めるでしょうか。
ここがこの事案の難しいところですが、
管理権者が明確な排除意思(被害届)を示しているのは
さしあたり被告人だけなので、
被告人を処罰することは、別に内容着目規制ではなく、
管理権者の意思に着目した中立規制になります。

警察官は、被害届が出ているので、
職務として頑張っているわけです。


・・・。
そうすると、被告人は有罪甘受せざるを得ないのだろうか?

ここで、ジュリスト1400号に掲載された
「表現内容規制と平等条項」という論文が新手を提出いたします。
だれが書いたのか、ちょっと思い出せないので、X先生としときましょう。

弁護側新手
「確かに、被告人を処罰することは中立規制かもしれない。
 しかし、被告人のビラだけを排除する公務員宿舎の
 管理のありようは、思想信条に基づく差別であり、
 違憲ではなかろうか?」

被告人を排除する管理権の行使の仕方が違憲だとすれば、
被告人を排除する管理者意思は不在になり、
被告人の行為は「侵入」に該当しない。


さて、そういうわけで、
「刑法130条は違憲ではないのに、
 それを根拠にした処罰が違憲に見える」という不思議な現象は、
刑法130条ではなく、
差別的な公務員宿舎の管理、
より正確に言えば、
そういう管理を許容する国家公務員宿舎法に問題がある、ために
生じていたわけです。

すごいですねえ。おもしろいですねえ。
さっそくジュリスト1400号を読みたくなりますね。
ぜひ、本屋さんのバックナンバーコーナーへどうぞ。

さて、私の立場は、<純粋処分違憲論>を前提にすると、
X先生がやったような問題の本質をさぐろうとする作業がおろそかになるだろう、
というものです。

まず、<純粋処分違憲論者Aさん>の立場
(法令のどの部分が無効かを明確にせず、
 この事案に適用される部分が違憲だ、という処理を認める立場)からすると、
対決1や対決2すら経ずに、これ適用違憲と言えてしまうわけです。
これは、あまりに粗雑な論証を許すことになってしまいます。

また、<純粋処分違憲論者Bさん>の立場
(立川ビラのような事案では、
 法令は完全に合憲だけど、それを根拠にした処分は違憲だといえる)は、
どうでしょう。

上に見た議論は、
管理権は適正に行使しろ、というもので、
(適正に行使された)管理権を侵害する立入に刑罰を科す
刑法130条について違憲部分は(少なくともこの事案では)発見できない、
というものです。

管理の在り方に目配せするためには、
刑法130条に違憲部分はない以上、それを根拠にしたこの処分も合憲のはず。
なのに、なぜ、こんなことになるのだろう?
というタイプの意識の展開が必要になります。

ところが、
「違憲部分がない法律を根拠にした処分も違憲になり得る」
という非論理的な思考を前提にすると、
こういう意識の展開ができなくなってしまいます。

というわけで、Bさんの議論も、
差別的な管理がある、というところに目配せすることなく、
とにかくこの処分が違憲、という曖昧なものになってしまいがちです。


以上の証明より、私が得た帰結は次のようになります。

 <純粋処分違憲>と言う意味での適用違憲(処分違憲)の概念は、
 立川ビラ事件の処理に有益であるどころか、
 むしろ論点を隠ぺいする機能をもち、有害である。

そして、このような考察からすると、違憲の帰責点・震源地を特定し
責任追及するのに「適用違憲・処分違憲」の概念が必要だ
という議論にも深刻な問題があるのが分かります。

<純粋処分違憲>の概念は、
精密な問題分析を阻害するため、
違憲の震源地をむしろ隠ぺいしてしまう、のです。


今回は、なにかこう、戦っている感じになってしまった。
次回は、なごやかにいきましょう。
ではでは、またお会いいたしましょう。

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21 コメント

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純粋処分違憲について+α (たっく)
2012-02-01 20:57:42
 初めてコメントさせていただきます。今年の春から、八王子にあるやたら敷地面積の広い公立大学から他大学法科大学院に進学する者です。入試を終えてから憲法の急所を読んで論理の明快さに感動しました。特に、審査後の処理方法や社会権についての検討の方法について読んだときには、今まで目の前にあった霧が晴れていくような気がしました。早速、裁判所事務官に内定が決まっている友人にごり押しして一冊買わせましたよ!

 早速質問です。2つ質問させてください。何しろまだ未熟者のため、稚拙な質問かもしれませんがご容赦ください。
 
①まず、純粋処分意見に関する質問です。ある法令に基づき公権力が処分を行ったが、その運用方法が非差別原則に違反し、あるいは、差別されない権利を侵害するようなものであった場合にも、そこでの処分の違憲というのも法令違憲に結びつけて処理するのでしょうか。
 たとえば、美観風致を目的とするY市ビラ貼り禁止の罰則付き条例があるとします。Y市市長は、この条例に基づいて、共産党を支持する内容のビラを張ったXを処罰しました。しかし、Xが行ったのとほとんど同じ方法で、近接した場所に、同じ数だけ、自民党を支持するビラを貼っていたBは処分を受けませんでした。
 この場合、Yの処分は、一定の政治的思想を抑圧するために行われたものであって、非差別原則に違反し明らかに違憲です。この場合にも、その後の法令の違憲部分の画定という処理は行われるのでしょうか。行なわれるとしたら、「非差別原則に違反するような運用の仕方を許容している部分が違憲」というようになるのでしょうか。こう考えると、行政処分を基礎付けるあらゆる法律は一部に違憲部分を内包している、ということになってしまう気がするのですが、これが妥当な結論であるのかどうかよくわからなくなってしまったので、ご回答いただけると幸いです。

②次に、先生のジュリ1400号の論文についての質問です。先生は、内容規制と内容中立規制の違憲審査に関する二分論について、その根拠を14条1項が保障する非差別原則に求める、というお考えだと理解したのですが、この木村式二分論は、21条1項が保障する表現の自由の内容を解釈する際に、表現の自由そのものの保障根拠ではなく14条1項が保障する客観法の考え方を拝借して、違憲審査の厳格さの差異に帰着させる、という考え方なのでしょうか。(そもそも、個別の人権規定の解釈の際に、平等原則という他の憲法規定の価値を取り込むことって可能なのか、というのがより一般的な問題提起だと思います。)それとも、21条1項の表現の自由の解釈問題としてはせいぜい二重の基準論までが限界で、内容規制・内容着目規制の二分論は、別途、14条1項の問題として独立に扱うべきだ、というものなのでしょうか。

 ・・・本当はもう2つ質問させていただきたかったのですが図書館閉館の音楽が流れてきてしまいました。あとの2つは、宍戸先生の連載記事の内容についての質問なのですが、こちらに一緒に書かせていただいてもよろしいでしょうか。

 ご多忙の中とは思いますが、回答のほどよろしくお願いいたします。
返信する
>たっくさま (kimkimlr)
2012-02-02 07:29:39
こんにちは。どうもありがとうございます。
そうですか。私は、首都東京にある広大な敷地の大学につとめています。

さて、第一点ですが、
法令が、そのような運用を許容するものだった場合、
そのような運用を許容している部分が無効です。

これに対し、そもそも法令がそのような運用を許容するものでない場合は、、、もうお分かりですね。

第二点ですが、私は、
表現内容規制は、表現の自由の観点からは、
通常の厳格審査をしたうえで、
差別されない権利の観点から、最強度の厳格審査をする、という考え方です。

なので、表現内容規制は、14条1項後段で処理します。ということで、ご指摘の通り、21条とは別個に、14条が問題になる、ということでよろしいと思います。

さて、
宍戸先生の書いたものについては、
私の理解を示すことはできますが、
当然のことながら、それが宍戸先生の真意と一致する保障はありません。
それでもよろしければ。

ではでは。
返信する
解釈論の応用と展開 (たっく)
2012-02-04 02:11:37
 回答ありがとうございました!完全に納得いたしました。

 引き続いて、宍戸先生の「解釈論の応用と展開」を読んでいて疑問に思った点について、先生のお考えをお聞かせください。

U+2460宍戸先生は、110ページからの記述で、14条1項に反するか否かの審査というのは、ある要因に基づいて別異取扱いをすること自体が許されのるか否かという、all-or-nothingの問題であり、取扱いの差異の相当性判断の枠組みを提供するものではなく、尊属殺重罰規定に関する判例の検討枠組みは不適当である、と説いておられます。一方で、113ページ中ほどでは、程度問題も同条にひきつけて審査できる、とも読める記述があります。
 おそらく、111ページの8行目後半からの一文が正確に理解できていないために混乱している気がするのですが、素直に考えれば、程度問題については、13条を根拠とする客観法たる比例原則の問題として扱うべきで、14条1項の守備範囲には属しない、ということになるのではないのでしょうか。

U+2461120ページ以下で、政教分離の性質は客観法規範であると宍戸先生は書かれております。答案の書き方の質問になってしまい、学者の先生に対してするには畏れ多いのですが、政教分離原則から主観的権利を導出することは不可能と解した場合、他の個別人権規定の保護領域における権利の侵害の問題として出発したうえで、正当化の可否を検討する段階において、政教分離原則に反するような目的は正当でない、あるいは、政教分離原則に反する手段は相当性を欠く、といった形で政教分離原則の価値を審査に反映させていく、という形になるのでしょうか。

 あと、もうひとつだけ質問を。。先生の意見論文でも見られたのですが、行為規範と評価規範というのは、どのような概念なのでしょうか。おそらく法学の基礎概念だと推察されますので非常に恥ずかしいのですが、、このような法学の基礎概念について学ぶのにおすすめの書籍がありましたら、紹介していただけるとうれしいです。

 期末試験直後で普段にも増してご多忙の時期だと思います。インフルエンザも流行しつつあるようですので、体調管理にはくれぐれもお気をつけください。
返信する
>たっくさま (kimkimlr)
2012-02-04 08:23:48
第一点目ですが、平等権は、要するに目的適合性の審査をするための権利で、
相当性審査をするのはおかしいという点はその通りです。
拙著『平等なき平等条項論』の第一部を参照してください。

第二点目ですが、
政教分離原則を客観法原則とした場合、
なぜ、主観訴訟でその原則の価値を反映させる必要があるのでしょうか?

客観法だということは、主観法領域からは切断されますので、
「客観法に反し・・・されない権利」が主張できる場面出ない限り、
個人の主観法領域とは関係のない原則ということになります。

第三点ですが、
行為規範というのは、これから行為をするときに基準にすべき規範、
評価規範というのは、既になされた行為を評価するときの基準となる規範です。

一般に両者は一致しますが、
(例えば、窃盗の禁止は、行為規範でもあるし、評価規範でもある)
刑事訴訟法の証拠収集に関するルールなどの中には、
これからやるぞという場面ではやるなといえるけど、
違法収集証拠として排除すべきかどうかという評価をする場面では
違法とまでは言えない、
みたいな感じで出てくるはずです。
返信する
ご回答ありがとうございました。 (たっく)
2012-02-06 01:02:45
 ご回答ありがとうございました。基本的な質問ながら丁寧に回答して頂けて、非常に勉強になりました。

 ブログの他の記事も、先生の著書「平等なき平等条項論」もこれからじっくりと読み込んで、学習に励みたいと思います。本当にありがとうございました。
返信する
>たっくさま (kimkimlr)
2012-02-06 10:19:56
は。どうぞよろしくお願いいたします。
頑張ってください
返信する
立川ビラ事件の処理 (冥王星)
2012-02-19 22:16:24
ジュリスト1400号のX論文,興味深く拝読しました.ほとんどの点で共感を覚えましたが,立川ビラ事件の処理について,(必ずしも中心論点と関係ないのですが)疑問が生じました.

①先生の理論では,公務員宿舎に居住する公務員については,刑法130条による居住権保護は縮減されるということでしょうか?私的領域にいる限り,公務員も一私人として保護されるべきであり,彼が気に入らない政治ビラを差別したとしても問題ないように思うのですが.
②本件は邸宅侵入罪として処理されていおり,個々の居住者の居住権そのものの保護が直接問題とされているわけではありません.しかし,管理権が居住者の居住権を保護する方向で行使されるべきという観点から,管理権には居住者の居住権の共同行使という側面もあるといえ,あっさりと公物の違憲的管理で済ますことには躊躇を覚えます.

以上です.お忙しいとは存じますが,コメントいただければ幸いです.
返信する
>冥王星さま (kimkimlr)
2012-02-20 07:29:22
①の点ですが、各個別の住居はそうでしょうが、
共用部の管理は、プライバシーの範囲ではなく、
公物法の趣旨にそってやってもらう必要があります。

②の点ですが、管理者は「居住者の福祉・利益」のために
共用部を管理しなくてはなりません。
はたして、差別的管理は、居住者の利益のための管理の枠内にあるといえるでしょうか?

と、いうことです。
ビラを排除したければ、思想内容に着目せずに一律排除するか、
そこに示された内容を特別に排除すべき理由が必要ということでしょう。

どうもありがとうございます。
返信する
Unknown (冥王星)
2012-02-25 22:34:25
コメント,たいへんありがとうございます.また,長考していました.

①については,共用部分は居住権によってカヴァーされない以上,先生の言うとおりです.私自身も居住権だけじゃダメだろうと思い,②を加えました.

②について,公務員宿舎が公物であるといっても,居住者たる公務員の私的利用に供されることにほとんど尽きているのであって,そうすると,居住者の総意(なにをもって「居住者の総意」とするかはここでは措きます)が政治ビラだけ差別的に処遇することを希望しているのであれば,それに沿って管理権を行使しても問題ないし,そうすべきと考えます.公物,共用スペースといっても,外部者がその運営に口出す筋合いの話ではなく,宅配ピザのビラはそれを望む居住者が多かったから告訴されなかったというだけの話だと思います.ピザ屋の利益が,公的な場で積極的に認められたのではなく,私的な場で私人の好みの選択の結果として優遇された形になっただけだということです.

以上は差別されない権利を否定する趣旨ではありません.以上のように解しても,差別されない権利の広い射程をごく一部限定するに過ぎないからです.
返信する
立川反戦ビラ事件について (すけ)
2012-08-10 17:31:29
こんにちは、僕は現在夏休み中の都内のロースクール生です。「急所」で憲法の最先端の話が答案の形で分かるようになってきました。先生のブログもいつも楽しく読ませていただいております。

そんな僕ですが、誰にも助けを求められない夏休みに憲法でつまずいてしまいました。

そこで質問なのですが、

立川反戦ビラ事件では、主要な争点は構成要件該当性と可罰的違法性の話だったと記憶しています。

しかし、先生の「急所」を読むと、違法有責なものだけど処分にかかる部分は違憲という処理をなされているように感じますが、これは、判例とは違った処理をしているということなのでしょうか??
それとも僕が判例を理解できていないということなのでしょうか??

是非先生にお助け願いたいです。

どうかよろしくお願いいたします。
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