kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

ロシア旅日記 part 8 エルミタージュ美術館にて

2015年07月22日 | 日記
                    
 今回のロシア旅も、いよいよ今日が最終日となりました。先ずはロシアが世界に誇るエルミタージュ
美術館を訪ねます。1764年にエカテリーナ二世がドイツから美術品を買い取ったのが、コレクションの
始まりで、最初は自身専用の美術品展示室だったそうです。1917年のロシア革命後には、貴族から
没収したコレクションの集積所となり、現在は300万点を越す美術品を有しているとか。
                  
 入場してすぐの『大使の階段』。その金キラキンの絢爛豪華さに度胆を抜かれます。ロマノフ王朝の
時代は冬の宮殿として使用されていたそうですが、先ず来訪者にロマノフの権威を見せつける効果を
意図したのでしょうか。確かに此の階段を観ただけで、ハハ~ッと平身低頭してしまいそう…。  
                  
 エルミタージュ美術館は、収蔵品だけでなく建物自体が美術品と言われます。隅々まで美しい細工が
為され、じっくり眺めていたら予定の5時間ではとても廻り切れそうもありません。  
                  
 『ラファエロの回廊』と呼ばれる優美な回廊です。2年前に訪れたローマのバチカン美術館を思い出す
華麗な空間でした。ヨーロッパにも負けない宮殿を…との想いが伝わってきます。 
                  
 展示室はこんな風…中央に巨大な孔雀石の器が置かれ、四方の壁に夥しい絵画が並び、さほど
美術ファンでもないKimitsukuでも、その質量には圧倒されるばかりでした。
                  
 これが有名な『クジャク時計』です。この時計は、エカテリーナ二世の時代にイギリスで制作されたもの。
ペテルブルグに搬入された時は解体されていたため組み立てる技術者がおらず、1792年になり初めて
動くようになったそうです。クジャクはかなり大きなもので2mはありそうな…。現在でも週に一度だけ羽を
広げ、雄鶏が時を告げるとのこと。同じクジャク時計がロンドンにもあるが、あちらは動かない…ガイドの
ウラジーミルさんが一寸だけ得意げな表情で話していました。
                     
 Kimitsukuお勧め作品その1、エル・グレコの『使徒ペテロとパウロ』。
二人の慈しみと哀しみを滲ませた深い眼差しに、畏敬の念を覚え胸が熱くなりました。エル・グレコは
トレドの『オルガス伯の埋葬』も、大原美術館の『受胎告知』も好きですが、これも大好きな一枚に…。
                     
 お勧め作品その2、17世紀オランダ絵画の巨匠レンブラントの『放蕩息子の帰還』。
レンブラント晩年の作で、生涯で描いた数多くの宗教画の中でも最も秀逸とされる作品です。
信仰と慈悲と希望を描いた『放蕩息子の帰還』、多くの人々が列をなして魅入っていました。
                     
 お勧め作品その3、ティツィアーノの『聖セバスティアヌスの殉教』。美しさと儚さと痛ましさと…、
何ともKimitsuku好みの一枚です。この絵の前にひとり佇み、静かにジ~ッと眺めていたい。
                     
 お勧め作品その4、マゾウリの彫刻『アドニスの死』。
ギリシャ神話に登場する美少年アドニス。神は猪に突かれて死んだアドニスを憐れみ、アネモネの花に
変身させたという。不自然に体を捩ったポーズが一段と目を惹く、美少年アドニスくんでした。
                  
 『隠れ家』を意味するエルミタージュ。全部の展示室を廻ると22kmにもなるという巨大な美術館でした。
オレンジジュース一杯だけで5時間グルグルと観て歩き、ぐったり疲れた札幌おばさん二人です。
 行った観た凄かった疲れた エルミタージュ美術館観光でした。
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ロシア旅日記 part 10 マリインスキー劇場へ

2015年07月22日 | 日記
                    
 ロシアが世界に誇るマリインスキー劇場。1763年エカテリーナ二世の時代に建てられた宮廷劇場で
クラシックバレエとオペラファンにとっては聖地ともいえる場所。現在のネオ・ビザンチン様式の劇場は
1859年に建造されたもので、サンクトペテルブルク歴史地区の建造物として、世界遺産に登録されて
います。3連泊したホテルから徒歩15分の距離にあり、早朝2回、運河沿いを散策して訪れました。
                  
 薄い緑色の重厚な建物で正面の壁に劇場プレートがありました。『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』が
初演され、ルジマトフさんが20数年を過ごした劇場。大好きな『シェヘラザード』も此処で踊ったのよねぇ。
                  
 5月27日から8月2日まで、『白夜フェスティバル』が行われています。バスで通りかかった時、多くの
人々が入場待ちの列を作っていました。あぁ此処でバレエを観たかったなぁ~
                  
 運河を隔てて新しい劇場が建っていました。ガラス張りの近代的な建物です。写真を撮っていた時、
ひとりの男性…たぶん劇場関係者朝からビシッとスーツ姿…に会い、拙い英語で「あれが新しいマリ
インスキー劇場ですか」と尋ねると、ひと言「ツー」第二劇場だと教えてくれました。
                  
 マリインスキー第二劇場の外壁ガラスに、朝日を浴びて美しいエンブレムが輝いていました。薄緑の
第一劇場が映っています。旧い方の劇場は近いうち改修工事に入る予定とのこと。例えようもないほど
優美な姿をしっかり心に焼き付けました。今回の旅行写真で、最もお気に入りの一枚(自画自賛
                      
 劇場前の小さな公園には、作曲家グリンカの銅像がありました。ロシア芸術の粋を集めたマリイン
スキーの栄光を見守っているかのよう…。
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ロシア旅日記 PART 9 運河クルーズ

2015年07月21日 | 日記
                    
 『麗しのロシア8日間の旅』最後を飾るイベントが運河クルーズでした。定員70名ほどの遊覧船で
約1時間ネヴァ川をクルーズしました。ロシアの夏は観光シーズン真っ盛り、多くの遊覧船が運河を
行き交っていました。
                    
 橋の下を通る時は頭上注意 サンクトペテルブルクの街は平均標高50cm足らずだそうです。
つい300年前、湿地帯を埋め立てて造られた人工都市であることを思い出しました。昔はよく川が
氾濫して洪水に見舞われたが、護岸工事が完成したので現在はもう心配ないとのことです。
                    
 ペトロパブロフスク要塞の高い塔が見えました。彼の地に眠っているピョートル大帝は、我が名に
因んだ街サンクトペテルブルクの現在を、どう思っているのでしょうか。繁栄と激動の時代を超えて、
今なお人々を魅了する旧都です。
                    
 2本の赤いロストラ灯台柱が見えてきました。遠くからバルト海を越えてサンクトペテルブルクに
着いた船舶にとって、あのユニークな形の灯台柱は遥かなるロシアへの入り口だったのでしょう。
                    
 イサク大聖堂の大きなドームが見えました。街の何処からでも見えるサンクトのランドマーク…   
ベニスのマルコ大聖堂もデカイけれど、このイサクもデカイわぁ。埋立地なのによくまぁ傾かずに建って
いられるものだと、ほとほと感心してしまいます。どういう設計なんでしょネ。
                    
 先ほど観光したエルミタージュ美術館をネヴァ川から見ると、こんな風です。新・旧・小・劇場・冬宮の
五つの建物から成っており、とにかく半端なく広かったです。
             
 ネヴァ川には跳ね橋が3カ所あり、真夜中に数時間だけ開いて大型貨物船などが通るそうです。
その一つトロイツキー橋には華やかな装飾が施されていました。ロストラ灯台柱にも通じる、ロシア
独自の美意識・審美感が面白いデザインです。ロココにしてもバロックにしても、ヨーロッパとは一味
違う、やっぱり此処はロシアなのでした。
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ロシア旅日記 part 7 ニコライ宮殿にて

2015年07月20日 | 日記
                
 ロシア旅6日目の夕食は、サンクトペテルブルクのニコライ宮殿にて豪華なフォークロア・ディナー
ショーを楽しみました。さすが元貴族の館だけあり、大理石の壁にヴィーナス像、床や階段には赤い
カーペット、豪華なシャンデリア…まるでもうアンナ・カレニナにでもなった気分です
          
 メニューだってお洒落です。先ずはウェルカムシャンパンが出され、前菜は2品、メインはボルシチ。
ワインも上等品で、忽ち飲み干してしまったわぁ
              
 此処の名物料理ビーフストロガノフは優しい味でした。デザートはチェリーケーキ&アイスクリーム。
ロシア料理は想像と違って総じて薄味、日本人の口に合うのではないかと思います。 
          
 美味しく楽しく優雅なディナーでした。ピアノ演奏もあり、リクエストOKというので、ラフマニノフを
お願いしたらピアノ協奏曲2番を弾いてくれました。ロシアで聴いたラフマニノフ、素敵だったぁ
          
 食後は、民族衣装の男女が歌ありコサックダンスあり民族楽器の演奏あり、賑やかなフォークロア
ショーを繰り広げて、サンクトペテルブルク最後の夜を楽しませてくれました。
前夜のクラシックバレエも良かったけれど、此処のフォークロアも素晴らしかった スパシーバ
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ロシア旅日記 part 6 エカテリーナ宮殿&ピョートル大帝の庭園

2015年07月19日 | 日記
                       
 サンクトペテルブルク2日目は、郊外の宮殿2カ所を観光しました。最初に市内から南東25kmの
エカテリーナ宮殿へ。1717年、ピョートル大帝の妻であり、2代目皇帝になったエカテリーナ一世が
夏用の宮殿を建設したのが始まり。その後その娘で6代目皇帝を継いだ、エリザヴェータの時代に
現在のロココ調の豪華壮麗な宮殿に造り変えたとか。4年の歳月を費やし1756年に完成しました。
           
 建物は全長325m、外観は白と水色の如何にも涼しげな夏の宮殿でした。ロマノフ王朝の栄光と
権威を現わす宮殿は、激動の時代を超えて今なお誇らしげに輝いていました。
            
 内部は絢爛豪華な金ピカ装飾で些か眼精疲労を覚えた程です。1791年、日本からの漂流民
大黒屋光太夫が帰国を願い出てエカテリーナ二世に謁見したのは、此の宮殿だったそうです。
 井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』を読むと、光太夫の不屈の精神力に驚嘆するばかりです。
ガイドのウラジーミルさんは、映画撮影時に緒方拳たちを見たと話していました。
                      
 此の宮殿で最も有名なのが「琥珀の間」。琥珀類は第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中に
ドイツ軍に持ち去られましたが、1979年から始まった復元作業により2003年に完全に復元されたそう。
撮影は禁止されていますので、この写真はNETから借用したものです。
            
 エカテリーナ宮殿から少し離れて、ピョートル大帝の夏の宮殿がありました。現在も夏の3か月だけ
噴水を観ることが出来ます。広い傾斜地に趣向を凝らした100近い噴水が造られて、豊かに流れ出た
水はバルト海へ注いでいました。皇帝をトップにした貴族社会と貧しい農奴の暮らし。ソ連邦の誕生は
起こるべくして起きたのかも…と、納得してしまった此の日の宮殿観光でした。
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ロシア旅日記 part 5 古都サンクトペテルブルクの街並み

2015年07月18日 | 日記
                  
 1703年、バルト海ネヴァ川の沼地だった此の地にピョートル大帝がヨーロッパへの窓として建設した
街がサンクトペテルブルク。湿地に木杭を打ち込み土石を堆積させる、大変な難工事だったそうです。
 街の中を縦横に運河が巡り、『北方のベニス』と呼ばれる美しい街でした。北緯59度56分の寒冷地で
厳寒期には港もネヴァ川も凍結してしまう北の果て。18世紀初頭、多くの人命を犠牲にしてでも欲した、
北の守りの街だったのでしょう。カラフルな玉葱ドームの『血の上の教会』も、その姿を運河に映して、
一段とメルヘンチックな雰囲気を漂わせていました。
                  
 ローマのサン・ピエトロ大聖堂を手本にして造られたカザン大聖堂。 ネフスキー大通りの中心部に
デンと構える様は、まさに古都を代表するロシア正教の主座教会です。10年の歳月の後、1881年に
完成しました。コリント式の列柱回廊が美しい此の大聖堂を初めて知ったのは、M・ベジャールとマリ
インスキー・バレエ団が共演した『ホワイトナイツ・ガラ』を観て…。円熟のJ・ドンや若き日のF・ルジマ
トフも溌溂と踊っていました。あの頃からサンクトペテルブルクは、我が憧れの街になったのよねぇ
         
 ホテル近くを散策していて見つけた素敵な住宅。運河沿いに、街角に、何気なく重厚で華麗な邸宅が
立ち並んで、何処を切り取っても絵になる古都サンクトペテルブルクです。
         
 運河クルーズの船から見えた建物。ピョートル大帝の命令でモスクワから移り住んだ貴族たちが
競って豪邸を建てたそうで、『戦争と平和』や『ドクトル・ジバゴ』の世界を彷彿とさせる光景でした。
                  
 運河沿いに日の丸の旗…日本領事館だそうです。スリにパスポートを盗られて此処へ駆け込む人が
後を絶たないとか。今回サンクトペテルブルクでフリータイムが無くて残念でしたが、これだけの大きな
観光地となれば、まぁ致し方ないのでしょうか 安心して楽しめる街になって欲しいですね。
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ロシア旅日記 part 4 バレエの本場で『白鳥の湖』鑑賞

2015年07月17日 | 日記
                   
 サンクトペテルブルクでの楽しみは、本場のロシアバレエ鑑賞。高いOP料金を追加してでも
サンクトに来たからには絶対に観なくっちゃ…。旅行の出発前、添乗員から連絡を頂いた時に
劇場と演目を確認しておきました。劇場はネフスキー大通りのアレキサンドリンスキー劇場で、
当夜の演目はチャイコフスキーの『白鳥の湖』、サンクトペテルブルク・アカデミー・バレエ団が
踊ります。20:00の開演に合わせツアー仲間15名と共に会場へ。ギリシャ建築のような円柱が
並び、屋上には馬車らしき彫刻が飾られた立派な劇場でした。
                  
 馬蹄型の客席が並び、天井には豪華なシャンデリアが煌めき、この雰囲気だけでロシア  
胸がときめきます。あの2階正面のロイヤルボックスに、一度で良いから座ってみたいなぁ…。
私たちの座席は1階9列目、此処からならダンサーの表情も良く見えるでしょう。益々期待して
開演時間を待ちました。  
                  
 バレエ上演中は撮影禁止、アンコールの時だけOK。オーケストラピットに演奏者が揃い、拍手に
迎えられて指揮者登場。間もなく聞き覚えある甘美なメロディが始まりました。ジークフリート王子の
誕生日を祝う宴が…もう美しい舞台に魅入るのみ。
                  
 2度の休憩を挟んで2時間少しの上演でした。素晴らしかったですぅ…
DVDでしか観たことが無かった『白鳥の湖』、オデット・オディールのダンサーもコール・ド・バレエも
舞台装置もパーフェクト やや王子さま&悪魔ロットバルトがイメージと違ったかも…
ジークフリートは金髪長身イケメンくんに、悪魔はもう少しマッチョなダンサーにお願いしたいわねぇ。
 アンコール時の写真がピンボケなのは、興奮冷めやらず手が震えていたのでしょうね。
                  
 アレキサンドリンスキー劇場の全景…まるで宮殿か貴族の豪邸かと思わせる佇まいです。
市内にはこのような劇場が幾つもあり、文化芸術に力を注いできたロシアの歴史を感じさせます。
 この日の午後に訪れたバレエ学校の生徒たちも、いずれ立派なダンサーに成長することでしょう。
本場ロシアバレエの魅力を満喫した、素敵なサンクトペテルブルクの夜でした。
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ロシア旅日記 part 3 サンクトペテルブルク観光

2015年07月16日 | 日記
                
 ロシア旅5日目、いよいよ憧れのサンクトペテルブルクです。ホテルはウエスト・プーシキン
グリボエードフ運河の畔にあるホテルで、マリインスキー劇場やニコライ教会へ徒歩10~15分。
ホテルスタッフは友好的で食事も良く、近くに小さなコンビニもあって、とても便利なホテルでした。
 さぁサンクトペテルブルク観光へ出発しましょう。この街は42の島、40の河川、20の運河があり、
300の橋で繋がっているそうです。
                    
 市内観光のスタートは、1703年、バルト海進出に伴い築かれたペトロパブロフスク要塞から。
周囲は厚い壁で囲まれており、中央に立つ高さ122.5mの尖塔を持つ大聖堂は、歴代の皇帝が眠る
霊廟。要塞の建設を始めた1703年5月16日が、ペテルブルグ市誕生の日となっています。
 ロストラ灯台柱は、19世紀初頭ネヴァ川の航路安全のため設置された、高さ32mの赤い灯台柱。
舟の舳を模した装飾がユニーク、年に一度5月16日には実際に火を灯して市の誕生を祝うそうです。
                  
 『血の上の教会』とは、1881年テロのため此の地で亡くなったアレキサンドル二世を祀る教会で
1907年の完成です。モスクワのワシリー寺院に似た中世ロシア建築で、蝋燭の炎を表現する玉葱
形状の屋根や、無数のモザイク画に彩られた壁面が素晴らしかったです。
          
 内部は見事なモザイク画で飾られ、まるで美術館のよう。よくヨーロッパの教会に観られるフレスコ
絵画ではなくガラス破片によるモザイク画は、窓から差し込む光やシャンデリアによって美しく煌めき
ロシアの美意識に感嘆した、『血の上の教会』観光でした。
           
 教会を出てから外観撮影のため5分間のフリータイムあり。ラッキー…全速力で走りましたぁ
すぐ近くにミハイロフスキー劇場が見えます。言わずと知れたファルフ・ルジマトフさんが芸術顧問を
務めるバレエ団の本拠地です。正面入り口は公園に面した反対側ですが、此処から見られただけで
大・大・大感激 来年1月には来日公演があるのよね。チケットは8月26日発売で~す。
           
 その後イサク大聖堂へ廻りました。1818年から40年の歳月をかけて建造されたロシア正教のシン
ボルだそう。高さ101,5mのドームは世界で3番目とか。因みに1位はローマのサン・ピエトロ大聖堂
2位はロンドンのセント・ポール大聖堂ですって…。そのイサク大聖堂をバックにウラジーミルさんと
ちゃっかり ツー・ショット。身長189㎝は、ロシア男性の標準値だそうです。

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‥❤‥イケル・カシージャス‥❤‥

2015年07月15日 | 日記
                      
                     
 スペインサッカー名門チーム、レアル・マドリードで長い間ゴールキーパーを務めていた守護神、
イケル・カシージャスの移籍を巡って、いろいろ話題になっているよう。チームのみならずスペイン
サッカーを牽引してきた彼が、9歳でレアルに入団し25年間レアル一筋に過ごした彼が、スペイン
代表での歴代最多出場選手の彼が、此処にきてレアルを去るなんて…。それも言っちゃ悪いけど
ポルトガル・リーグへ移籍なんて… 涙ながらの会見を見て貰い泣きしています。
 サッカー選手の移籍問題は常に話題になるけれど、彼の場合は特に…ね。
2010年W杯&2012年UEFAの華やかな優勝と、2014年W杯の惨敗。どの場面にもカシージャスが
居ました。でも印象に残っているのは優勝した喜びの笑顔よりも、感激して泣いているイケメン顔。
 イケル・カシージャスには何故か悲劇が似合うような…(単なるKimitsukuの好み
              
 スペインサッカー国内戦の他、数多くのタイトル戦を主将として貢献してきたゴールキーパーです。
カシージャスの活躍で、生まれた男児にイケルと名付ける親が増えたとかニュースになりました。
 既に34歳、ピークを過ぎたカシージャスですが、彼なりのサッカー人生を全うしてくれるよう願うのみ。
       
 そして、アンドレア・ピルロがアメリカに、ファン・ペルシーがトルコに移籍する話が決まったとか。
我が愛するディエゴ・フォルランは、どうするのかしら…気掛かり一杯のファンKimitsukuで~す。

 
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ロシア旅日記 part 2 『黄金の環巡り』 スズダリ 村にて

2015年07月14日 | 日記
                              
 初めてのロシア旅、目的は古都サンクトペテルブルクの街歩きです。今回いろいろなツアープランを
検討してH社に決めたのは、8日間の日程でサンクト滞在が3日間あるから…でした。正直モスクワに
興味なく、『黄金の環巡り』も、フ~ン何だかねぇ…って感じでしたが、イヤなかなか面白かったです。
『黄金の環』とはモスクワの北東に点在する古都群の名称で、古くからロシア教会における精神文化が
形成された地域と重要視されているとか。スズダリもそのうちの一つで、蛇行する川に沿って幾つかの
修道院や朽ち果てた古い建造物が残っていました。人口1万人の小さな村に教会が30数カ所だそう。
 この古い木造の教会は、時が止まった侭、静かに佇んでいるようでした。
                
 赤いレンガ造りの古い教会 朝日を浴びて堂々たる風格でした。現役の教会と見えて周囲は綺麗に
整えられ、まるで子供の頃に読んだ童話に出てきたようなメルヘンチックな姿でした。 
                                 
 夕食を頂いたレストランにて、民族衣装のマダムと現地ガイドのマリアさん 
ふたりとも「おもてなし精神」いっぱいの笑顔。夏休みで帰省中の娘さんもママを手伝い、忙しそうに
キッチンとテーブルを行き来して、お料理を配ってくれました。  
                
 この日のメニューは、フレッシュサラダ(キャベツ・トマト・胡瓜・パプリカ・クルトン)、ロールキャベツ、
ピクルス、ピロシキ。飲み物はスズダリ名産のナナカマド酒。アルコール度25%の甘いリキュール。
自宅用に一本お買い上げ、500ルーブル(1500円)なり。
                
 宿泊したホテル前の、ロシアン・アンティークと書かれた店の父と息子。店先の古いアイロンに目を
止めた私を見て手招きしてくれました。日本人と分かると片隅に積んであった雑誌のページを捲って
日露戦争当時の写真を指し示し、「オオヤマ」「トーゴー」など軍服姿の写真や、爆撃された軍艦など
一生懸命に教えてくれます。可愛い男児も興味ありそうな顔で話を聞いていました。年齢を尋ねると
ひと言「テン…」と。床に置いてある箱は昔の金庫らしく、古い紙幣を入れる仕草が、とても愛らしい。
 この可愛い子も、そのうちパパに似てウォッカ好きのロシア男になるんかい… 時よ止まれぇ~




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