サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。
サーカスな日々
mini review 09366「落下の王国」★★★★★★★★★☆

『ザ・セル』のターセム監督が製作した、美しい美術品のような感動巨編。自殺願望のあるスタントマンが幼い少女を操るために始めた虚構の物語が、やがて夢と希望を紡いでいく様子を丹念に映し出す。傷ついた青年役に『グッド・シェパード』のリー・ペイス。彼を慕う少女を演じるのは、これが映画デビュー作となるカティンカ・ウンタール。CGに頼らず、世界遺産を含む世界24か国以上で撮影された驚きの華麗な映像に息をのむ。[もっと詳しく]
ターセムの美しい映像は、単に美しい映像であることを、超えているはずだ。
前回の『セル』でジェニファー・ロペスが殺人鬼の脳内に入っていく映像もそうなのだが、ターセム監督の独特の映像美学はどこからくるものなのだろうか?
1961年インドで生まれたターセムは、ヒマラヤの学校に行き、24歳でアメリカに渡っている。そしてカリフォルニアのアートスクールを卒業するのだが、彼は映画の世界に進んだのではなかった。
MTVやテレビCMの演出の世界で名をなしたのだ。
ナイキ、リーバイス、ペプシなど、世界的企業のCMを演出したり、ビョークのミュージックビデオを制作したりしている。
もちろん、MTVやCM出身の映画監督は何人もいる。
彼らのなかの一流のアーチストたちは、潤沢な予算とスポンサーの厳しい視線の中で、凝縮された映像、コンセプチュアルな映像、驚愕の映像を求められることになる。

「映像の魔術師」といわれるターセルは、最高のスタッフたちと緊張に満ちた撮影現場を潜り抜けたのであろう。
あるいは、セットに飽き足らず、最高のロケ地を求めて、世界中を飛び回ったのだろう。
CMやMTVは、本質的にはストーリー展開で見せるものではない。
あらゆる技巧を駆使し、コンセプチュアルアートに近いような、迫力のある映像美を求めることになる。
映像ではないが、ある時代に日本でもトップクラスのグラフィックマガジンの制作現場の近くにいたので、僕にもディレクターとカメラマンとアートディレクターとその他大勢のスタッフが火花を散らすようなコラボレーションのなかで、グラフィカルな作品を仕上げていく作業が少しは理解できるところがある。
ターセムは一瞬、一瞬のイマジネーションを具現化していくところに長けたところがあるのだ。

『落下の王国』という作品は、映画的文法で言えば、それほど練られたストーリーがあるわけでもないし、特段の技法が使われているわけではない。
映画を解体しようという前衛的作品でもなければ、物語世界の緻密な構成に舌を巻く作品でもない。
もちろん名だたる俳優のつばぜり合いに息を呑むわけでもなければ、めくるめくスペクタクルに酔いしれるわけでもない。
しかし僕たちは、ターセルが一級の映像作家であることを、驚嘆の思いで認めないわけにはいかない。

公式サイトの解説をざっと斜め読みしながら、なるほどと思ったことがふたつある。
ひとつはコッポラ監督の発言に、ターセルが影響を受けていることだ。
「ほとんどの人は小さな映画作りから大きな映画作りへと移行していく。だがその逆をする人はめったにいない」という発言だ。
大作『ゴッドファーザー』以降のコッポラのいくつかのインディペンダントな仕事は彼のその発言を裏付けている。
『セル』は『ゴッドファーザー』ほどではないにしても、新人監督に与えられるヴァジェットの枠を大きく超えたメジャー作品であった。
ターセルはその中で、ハリウッドの制約に、疑問を持つことがあったのだろう。
『落下の王国』は自費で、無名のキャストに支えられて、インディペンダントな形態で、世に送り出されたのである。

もうひとつは、『落下の王国』のモチーフは26年もの間温めていたものであり、撮影に4年の年月をかけている事だ。26年前といえば、アメリカにわたり、スクールで学んでいた頃だ。
若きターセルはさまざまな映像技法を学びながら、魔術的な映像手法で映画の世界、物語の映像化の世界を構築することを夢見ていたのだろう。
今回の撮影では、世界遺産13箇所を含め24カ国でロケをしている。
しかしインディペンダント映画にそんな予算はないはずだ。
ターセルはMTVやテレビCMの一流の仕事で世界各地を飛び歩く中で、実はそのロケを利用しながらプライベートな映像を撮ったり、ロケハンをしたりしていたのだ。
たぶん世界遺産を含め驚きの構図を体験する中で、徐々に徐々に、彼のイマジネーションは膨らみ豊饒化されたのではないか。

冒頭のモノクロのオープニングで鉄橋に立ち往生する機関車がスローモーションで映し出される。
川に落ちた者がいれば、流れる義足があり、吊るされる馬がいる。
シュールな映像なのだが、後ほどそれは映画の撮影シーンであり、スタントマンが落下したのだと了解できる。
また、エンドにモノクロでサイレント活劇がフラッシュバックのように編みこまれる。
スタントマンなしに身体を張って草創期の映画に情熱を傾けてきたチャーリー・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドらの名場面がサンプリングされながら、よくみるとどうやらそのサンプリング映像にあわせて撮りおろした映像が含まれているのに気づかされることになる。
このモノクロのシーンに挟まるように、本編は1915年のロスアンゼルス、スタントマンのロイ青年が怪我の苦痛と失恋の痛手から絶望の淵に落下しているのだが、オレンジの木から落下した5歳の少女アレクサンドリアに出会い、無邪気な彼女に<薬(毒)>を持ってこさせるために、「愛と復讐の叙事詩」を語って聞かせることになる。

無邪気で人懐っこい少女だが、その父は馬泥棒によって、家が焼かれ、亡くなっている。
少女は青年を父とだぶらせながら、やがて青年と少女の周囲の現実の人々がオウディアス総督や彼に復讐を誓う6人の登場人物やといった物語の中に入り込み、現実と物語の境界が融解するようになり、ついには単なる「作り話」が、「生きてさえいれば、この世は美しい」あるいは「夜明けの来ない夜はない」といった「物語」のもつ再生の力といったものを暗喩するように構成されている。
ここまでくれば、だれだって気づくだろう。
ターセムは、『落下の王国』という作品を通じて、映像と言葉で紡ぎ出される映画という世界そのものに対して、愛情に満ちたオマージュを捧げているのだと・・・。

このblogでも何度も言及したことがあるが、僕は8歳ぐらいからのほぼ10年、ほとんど毎日金縛りに会い、そして決まって入眠時に「落下」の体験を味わうことになった。
深い深いブラックホールのような穴に次第に加速を付けるようなかたちで身体と意識が「落下」する。
息がつまって恐怖でもあり、エロスが重層し甘美でもあるような、不思議な体験。
レム睡眠の軽い眠りに半覚醒状態でいながら、身体は次の深い眠りに誘われて「金縛り」になるのであろうことはそれなりにはわかる気はする。
けれど「落下」の感覚の本質はなになのか、少年期の僕はわからないでいた。
一般的な「夢分析」でいえば、「落下」の夢は、おおむね不安、恐怖、不安定、失敗への恐れ、危険の察知、孤独、閉塞感、性的不安・・・などを指し示す「徴」とされている。
それはそれでわからなくもないが、僕にはいつもほんとうはもっと異なる世界から呼び込まれているのではないか、という漠然とした思いが抜けきらなかった。
『落下の王国』という作品と付き合いながら、なにか自分の中の懐かしい記憶が呼び覚まされるような感覚に支配された。
もちろん、映像魔術と呼ばれるさまざまなシュールレアリズムの作品のようないくつかの場面に喚起される感覚もある。

病院前の椰子の木からゆっくり落ちる大きな葉。
孤島から抜け出る一行と泳ぐ象。
岸辺の老木からあらわれる聖者。
こぼされた珈琲の茶色の染みと物語中の死者の血の滲み。
砂漠の中での奴隷の解放。
MORPHINEとMORPHIN3の読み間違い。
山車から現れる姫と甥っ子。
ケチャの再生の儀式。
ドイツの不気味な人形アニメーション。
幻の蝶が指し示すもの・・・・。

映像は次々と強度を持って、喚起される。
けれども、その全体を包み込むようなテーマとしての『落下の王国』なのである。
彼の映像やコスチュームデザインを担当した石岡瑛子をはじめとするクリエイティブなスタッフの仕事の断面に、ビクトル・エリセの暗喩的映像や、タルコフスキーの象徴説話や、アントニオーニの叙事詩性や、寺山修司の前衛スタイルや、晩年の黒沢明の夢幻的色彩や・・・観る人によってさまざまなイマジネーションの連想を綴ることが出来るような仕掛けになっている。
僕たちはあらためて、映像に引き込まれるとはどういうことなのか、自らの身体的記憶が呼び起こされるということはどういうことなのか、物語世界をメタ化することが人間にどれほど必要なことなのか、そうしたことを思索してみたくもなる。
美しい映像は、たんに美しい映像ということを、超えているはずなのだ。
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とても素晴らしい映像美でしたね。
四年間という長い時間をかけて作り上げたのが納得の作品でした〜
落下シーンばかり流れるラストが印象的でした。
いい映画を撮り続けるという点においては、素晴らしいことですよね。
今後のターセム監督作品にも注目ですね。
病院の中の闇を黒に見せる監督の腕が凄い!
撮影は4年間ですが、そのまえの20年ほど、ずっとこのモチーフを温めていたというからびっくりですね。
>にゃむばななさん
まだ、長編映画はたったの2作しかとっていないのにね。もう、巨匠の感があります。
>keyakiyaさん
僕は、病院のシーンでいえば、緑の使い方にとっても感心しましたね。
劇中のお話が冒険談なのにサイレント時代のダグラス・フェアバンクスの活劇のような明朗さがないのが残念だったので、満点というわけにはいきませんでしたが、kimionさんの満点も良く解ります。
世界遺産に頼ることなく繰り出すオリジナルの造形美にもため息が出るくらい素晴らしいですからね。
僕が今年世界同時公開されたドキュメンタリー「HOME」の映像に惚れ、環境問題を訴える内容を無視して事実上の満点である9点を付けたのと、少し似たケースですかね。
これはもう、個人的な趣味のようなものですな(笑)
なんか、美術館に10回行って、写真集を30冊読んで、舞台を5回見て・・・というくらいのヴィジュアル的な満足度があったんですよ。
素晴らしい映画を観た、という印象で同じような感想を持たれているレビューを探しているうちにこちらにたどり着きました。正直、途中は少し退屈だったのですが、最後のモノクロ映像と、少女の「サンキュウ!」の言葉で涙がでました。良い作品でしたね。
映画の一つの特質は、どれだけイマジネーションを喚起するかにあると思うんです。
その意味では、僕はこの映画に、いろんなことを喚起されたんですね。