サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。
サーカスな日々
mini review 07226「太陽」★★★★★★★★☆☆

1945年8月。その時、質素な身なりをした昭和天皇ヒロヒトは、地下の待避壕か、唯一被災を免れた石造りの生物研究所で暮らしていた。宮殿はすでに焼け落ちていたのだ。 続き
不可思議なヒロヒトを、日本人よりも理解しているであろうソクーロフ。
ああ、こんな映画はとっても日本人スタッフでは、つくることができないな、というのが第一の感想であった。昭和天皇ヒロヒトをもう存命していないとはいえ、劇場映画のモデルにするということのタブーということではない。昭和天皇ヒロヒトを描くに当たって、ソクーロフ監督のような独特の距離感をもつことが不可能に近いということなのだ。
たぶん「空虚」ということのなかに、日本人が独自に持つ権力の構造のようなものがあることはわかっている。それが、天皇=自然神として、万物の祖霊信仰のようにこの列島に根を張り、明治憲法の統帥権という法的権力を超えて、天皇を禁忌としていく、そして、すべてをこの天皇の了解として、結果に至る過程(プロセス)を不問にしていく、という構造のようなものが、日本人の中に長く植えつけられてきているということも、わかっているのだ。

だから、僕たちは、天皇制における権力という問題を設定することが出来たとしても、天皇個人、昭和天皇ヒロヒトという存在自体を、一人の人間、一人の権力者、一人の英雄、一人の君主として、正面から向かい合ってみるということは、とても困難なことである。
それは、本当は、「現人神」ヒロヒトから、この映画の主題になっている等身大の人間宣言をしたヒロヒトという転位があったにもかかわらず、無意識に僕たちは、天皇ヒロヒトという記号に関しては饒舌に語れるのだが、ヒロヒトという個人の男に関しては、ほとんど語る言葉を持たないということになってしまうからだ。
ソクーロフはロシアが世界に誇るドキュメンタリータッチの創作作家である。
1980年から創作をはじめたが、発表する作品がことごとくソ連で上映禁止、ようやく作品が発表されるようになったのは、1987年のペレストロイカ以降である。
精力的に作品発表しているが、このヒロヒトを描いた「太陽」は、ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座」の系列に属する、いわば「個人的な悲劇に苦しむ英雄」を題材にした作品である、とソクーロフは述べている。
そして、ヒロヒトについての構想は、歴史学を学んでいた学生時代に在ったのだ、とも。

「太陽」の舞台は、終戦を巡る皇居のなかの天皇の終戦からの数ヶ月である。
皇居も爆撃で廃墟と化し、天皇は地下の防空壕と石造りで奇跡のように倒壊を免れた生物研究所にいて、皇后と皇太子らは疎開している。
ソクーロフはヒトラーを自決の間際まで側近に次々と権力指令を発し自決の道連れのように振舞ったとみている。また、レーニンに関しては、死そして敗北ということを最後まで認めなかった男のようにみている。一方、ヒロヒトは異なっている。継続性の象徴、いわば生命そのもののように見ている。
ソクーロフは日本をロシアのようなアジアの大陸の一部とはまったく異なっていると観察している。
日本の権力は「静かで、曖昧で、奥深く、抑圧されている」と見事な分析をしたうえで、日本人というものは「繊細で、優美で、冷酷さがある」とも評している。
そしてその頂点に、ということは普遍として、天皇ヒロヒトという個人を抽出している。こういうソクーロフのような見方を、僕たちはたぶん冷静にできないのだ。

「まるで庭師のような」質素なみなりのヒロヒト。
ボタンを不器用に留めようとする老侍従の額の脂汗を見やるヒロヒト。
人間宣言を前に、自分の「口の臭さ」(身体性)にあらためて気づくヒロヒト。
御前会議で徹底抗戦を喚く陸軍大将に「明治天皇」の和歌に寄せて降伏を示唆するヒロヒト。
ヘイケガニの標本を前に、饒舌になる生物学者のヒロヒト。
B29を巨大な魚に、焼夷弾をふりかかる小魚に、暗喩された悪夢にうなされるヒロヒト。
家族の写真とともに、ヒトラーやチャップリンや西洋の女優の写真をみやるヒロヒト。
傍若無人なアメリカの報道カメラマンを前に、サービスしてポーズをとるヒロヒト。
明治天皇が見たとされる極光の真実を、学者に問いただすヒロヒト。
マッカーサーから贈られたチョコレートを、侍従らに配るヒロヒト。
久しぶりに会った皇后にすがりつくような弱々しいヒロヒト。

どこか少年のような好奇心を持ちつつ、たぶん当時の世界で一番若い権力者として、運命に逆らうことなどできず、数ヶ国語を聞き取れる教養を持ちながら、儀式性の手続きの中で、直接性の物言いが不可能であった君主。
ダグラス・マッカーサーは、この小男の矜持がどこからきているのか、まったく理解できないようだ。それでも、合理を尊ぶマッカーサーを前にして、ヒロヒトは運命を握られた臆病な戦争犯罪者のようには、とてもみえない。それどころか、葉巻を口にし、ワインを嗜み、マッカーサーが席を離れた隙を縫って、少年のように欧州留学を思い出してかワルツのステップを踏んでみたり、燭台の炎を消してしまったりするのだ。
マッカーサーにはもちろん理解不能なヒロヒト。
では、侍従やマッカーサーの非礼を詫びる通訳や御前会議にいならぶ重臣やなにより日本国民に、ヒロヒトそのひとは理解できるのか。それもまたほとんど不可能なことのように思える。
戦勝国のアメリカ人より、そして「現人神」のポジションを押し付けた日本人より、このソクーロフ監督は、ヒロヒトの不可解性の一部を、よく把握しているようにも思われる。

それは、先日惜しまれつつ亡くなった世界最高のチェリストであるロストロボーヴィチに、この作品で敬意を込めて、バッハの「無伴奏チェロ組曲5番」を依頼したことからも窺われる。
もちろん、スターリン以降のソ連の権力者からソルジェニツィンと同様に追放されたこの闘う老音楽者の個人性というものが、権力者の個人性と拮抗してあることをソクーロフは気づいているからだ。
歴史も、国家も、厳然と存在する。しかし、個人というフィルターは必ず何かを残す。
それがソクーロフの視点であり、日本という不可思議な国家における天皇ヒロヒトという個人の、しかも「人間宣言」にいたる数ヶ月に焦点をあてるという独創を、可能にした思考なのである。
「私は誰からも愛されていない」
ヒロヒトは呟く。
誰も、「現人神」など、愛することは出来ない。
けれども、「人間天皇」は愛されたのだろうか?
敬愛はされただろう。孤独に耐えた、ひとかどの「象徴」として。
しかし、一人の個人として、等身大に愛することなど、終戦から半世紀以上たったとしても、日本人にはできるわけがない。
ソクーロフはそのこと、その奇妙さを、よく理解している。
| 前の記事へ | 次の記事へ |


こちらもさっそく貼らせていただきました。
神を人として描くことはやはり、社会主義的な精神なのかと思ってみたり。
唯物的な影響ということではないだろうけど(笑)
ロシアはことに、帝政の歴史が長く、ヨーロッパにも蹂躙された後、人民革命そしてロシア的共産主義へという独特の歴史がありますからね。
色々思い入れがありすぎるし。
そういう意味でも、「クィーン」を撮ったイギリスってすごいです…
ソクーロフ監督は、どちらかというと、半島がもつ性格から、日本とイギリスの共通性を指摘していますけどね。
大英帝国は、あんな映画を作ってしまうんですね。
驚きです。
この映画の中のヒロヒトも私の中のイメージそのまま。
外国人監督だからこそこういう描き方ができたのでしょうね。
日本人には未来永劫こういう描き方は無理かもしれません。
僕は、皇后が、あんなに「あ、そう」というう物言いをするなんて知らなかったですよ(笑)
あれは、天皇の方が、影響を受けたんだったりして・・・。
ロストロボーヴィチの演奏だったのでしたっけ。
先日その彼の作品も見ましたが、今更ながらその関連性には興味深く、こちらを拝読させていただきました。
僕はソクーロフ監督のロストロボーヴィチのドキュメントタッチの映画はまだ見ていないんです。そんなときに、亡くなってしまって。上映館捜して、見に行こうと思っています。
こうしてみると、映画全体がソクーロフのメッセージになっているんですね。
今の時期だからなおさら、もういちど、この映画を噛みしめてみたいですね。
そして、日本人の中かも、こういう視点でメッセージ送ってくれる人が出てくるのを期待してます。
不思議なもので、ヒロヒトにすべての統帥権があったわけだから、当時の最高権力者ですね。世界的に影響を与えた。
だけど、どこかで、ヒットラーやチャーチルやルーズベルトやスターリンや・・・という最高権力者の列に並ばないイメージなんですね。しかも、圧倒的に終戦時のヒロヒトは若かったわけですしね。
ホント、この映画を外国人が作ったというのが腹立たしいですね。ドイツなんかではヒトラーの映画をバッチリ作ってるのに。
こういう映画を恐れる事無く作れる環境が、日本でも早く構築される事を望みます。
腹立たしいか・・・。
あの、僕は、結局、外国人につくってもらってほっとしているところもあるわけです。
もちろん、禁忌そのもは問題外だけど、いま、日本人の誰がつくってもうまく評価できないんじゃないかという、感じがあります。パロディか遠まわしの暗喩しかできないような。
もしかしたら、あと100年ぐらいは(笑)
不可解性、とても的確な表現だと思います。
今なお昭和天皇の評価が定まらない理由は、そこにあるのでしょうね。
先日読んだ、H・ビックス著『昭和天皇』は、天皇の戦争責任を追及した大変手厳しい内容でした。「ソクーロフの映画とは対照的な描き方だな」と思ったのですが、本の腰巻きには「映画制作時の最重要資料文献」と書いてあったのでびっくりしてしまいました。
人によっては、まず、なんで天皇のをもっと厳しく、告発するようにしないんだ、という意見もあるでしょうね。
おっしゃるように、ソクーロフはそういうことも当然理解したうえで、こういう角度に仕上げたんでしょうね。
TB並びにコメント有難うございました。
日本での上映実現が難しいという
ことでしたが・・・・。上映されて良かったです。
激動の時代に、天皇として生きてきたヒロヒトさん
の複雑な心境がうかがえます。
でもあの天皇の、「あっ、そう」はちょっと笑って
しまいました。でもマジであんな人だったかも・・・・。
本当の素顔というものは、侍従以外には、あまりわからないでしょうしね。
この映画は、日本人の専門家の監修者がいたんでしょうかねぇ。
コメントも。
神から人へ、というか天皇は元々人だったンですよね。
神に祀り上げられたことで苦悩を抱え込まざるを得なかった。
毎年昭和の日には、鑑賞しようと思います。
もともとは、ヘブライの12使徒の後継であるとも、UFOから来ているとか、魅力的なとんでも説もありますけどね(笑)
彼、天皇ヒロヒトに悲劇をもたらしたのは、誰だ!?
---
はじめまして、kuuです。
トラックバックありがとうございました。
僕のBLOG『空をみるひと』の記事からも、トラックバックさせて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/so-kuu/e/759a8370ccecc75ac05955f60baa36d2
フセイン元大統領の死を悼むひとたち / 天皇と虎の威を借る狐たち
http://blog.goo.ne.jp/so-kuu/e/6240ce8eff91bfc0d0fc5fe3cda27df8
そちらのblogで、紹介までしていただいて、恐縮です。
そちらのフセインの記事も読ませていただきました。
フセインの死刑など、ひどいものです。
ブッシュの侵略=無差別殺人の方が、何倍も罪が大きいと思います。
もちろん、理念はともあれ、本当に、イラク内に司法システムがあって、死刑判断下したのだとしたら、すべての死刑は犯罪であるという以外は、なにもいえないわけです。
でも、今回のは、あくまでも、傀儡政権による、復讐あるいは口封じにしかなりません。
TB有難うございました。
これからも、よろしく。
これからも、よろしくお願いします。
ドイツとの同盟でアメリカに勝てる確率を語ったり
ヒトラーを知らないとシラを切ってみたり
したたかな部分も感じました。
「繊細で、優美で、冷酷さがある」という部分が
表れていましたね。
僕にとっても、なんか知っているような気になっているだけで、天皇の実像というのは、なにも知らないんだな、と思わせられます。
身近でkimion20002000さんのような勉強になる大人がいないので、とても参考になりました。
ありがとうございました☆
少しでも参考になるのなら、この「老いぼれ」を利用してやってくださいませ(笑)
この先日本人が撮るということもあるかもしれませんが、この距離感で描くことは無理ですね。
つくづく記事を読ませていただいて、そう思いました。
外国人にとっても理解することが困難な「ヒロヒト」
日本人にとっても彼個人を理解してあげることなんて不可能なことなんですよね〜・・・
コメント、遅くなってしまって(^^;;) 申し訳ありませんでしたm(_ _)m
ソクーロフは、学生時代から、日本の支配構造に興味を持っていたといいますからね。付け焼刃では、ないですね。
とてもよく出来てたと思います。
やはり日本人では、とても作り得なかった内容で、
見る価値は有りました。
そういう意味でも、意表を疲れましたね。ちょっと、日本の監督では、こうした映画は、まだ距離が近すぎて、撮れないかもしれません。
深い洞察で、私の稚拙な感想が恥ずかしいばかりです。
私も日本人が作らなくって良かったと思います。
自分を客観視するのが難しいように、自国を客観的に描くのも難しい作業だと思うから。
単純な禁忌ということではなくて、自分たちのDNAにからむようなテーマであり、対象化しにくいですね。
しかし、日本ではまだ 日本人監督が 「ヒロヒト」をフィルムにおこし、上映するまでの民衆のキャパもない、教養もない、なので、ソクーロフさんのおかげで、大分天皇制についての興味や知識をえることが出来ました。
ソクーロフは、ロシアや中国のような大陸型アジアというより、イギリスと同じ島峡型国家のように、日本をみなしているところはあるようですね。
私はどちらかといえば、「天皇制」の方には少なからぬ関心をもってきましたが、天皇個人についてはあまり考えたことも想像したこともありませんでした。
その意味でも、この映画の「独創」を興味深く見た次第です。
教科書検定でいつももめていますが、子供たちにこういう作品を見せて、自由に「天皇」について議論させた方が、いいと思う。
「あっ、そう」を連発するイッセー尾形さん、似てました。笑ってしまいました^^
この作品では、皇后がさかんに「あ、そう」と言ってました。もしかしたら、ヒロヒトの口癖は、皇后から影響を受けたんじゃないかしらね。