サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 08274「サン・ジャックへの道」★★★★★★★★☆☆

2008年01月12日 | 座布団シネマ:さ行

キリスト教の聖地サンティアゴへの巡礼の道のりを、ひょんなことからともに旅するはめになった男女9人の心の交流を描くヒューマンドラマ。それぞれに問題を抱えた登場人物たちが、一緒に歩くことで自身を見つめ再生してゆく姿を、『女はみんな生きている』のコリーヌ・セロー監督がユーモラスに描く。出演は『アメリ』のアルチュス・ドゥ・パンゲルン、『ダニエラという女』のジャン=ピエール・ダルッサンら実力派が結集。世界遺産の巡礼路の美しい景色に心癒される。[もっと詳しく]

現在に「巡礼」の意味があるとするなら。

奇妙な映画である。
冒頭に郵便物が投函され、郵便局に運び込まれ、仕分けされ、コンベヤーで運ばれ、飛行機や車で届け先の近隣の局まで運ばれ、そこからポストマンによって、相手先に届けられる。
音楽に乗って、とてもリズミカルだ。
このシーンだけで、質のいい映画だな、と期待が膨らむ。

手紙が届けられたのは、ばらばらに暮らしている3人の子供たち。
大会社を経営しているピエール。国語教師をしているクララ。一文無しのアルコール中毒のクロード。
この3人は、遺産相続の件で、信託弁護士から召集がかかったのだ。
ここからは、コメディ映画となる。
とにかくこの3人は、顔をあわせるや否や、罵倒をし合う。仲が悪い。相手の話なんて、聞いちゃいない。お互いがお互いを、無視するか、不倶戴天の敵のように、向かい合う。
早口のフランス語で大袈裟な身振りの悪態の連続。
腹を抱えて笑うところだ。



遺産相続の条件として、提示されたのは、3人が一緒に徒歩で1500km先の巡礼地に向かうこと。
フランスのル・ピュイからスペインの西の果てサンティアゴ・デ・コンポステーラへの道。
ピレネー山脈を越えて、スペイン北部を巡る。ローマ、エルサレムと並ぶ三大巡礼地だ。
スペインの国内のこの巡礼導線は、日本の紀伊山地の霊場と並んで、世界遺産に指定されている。
もともと、年間50万人の巡礼者でにぎわったが、現在でも、自転車や徒歩で、年間数万人の巡礼者を集めている。

ともあれ、集合場所に集まる3人。そこにはガイドのギイ、物静かなマチルド、山歩きと勘違いして参加したエルザとカミーユ、アラブ系移民のサイッドとその従兄のラムジィの9人が集まる。
ここからは珍妙な集団の道中劇となる。
全員がバラバラで勝手な行動をして、ガイドのギイはてんやわんや。
1日に何十kmも歩くため、参加者はたちまち音を上げる。
巡礼途中には、巡礼者のための救護施設があるのだが、粗末な食事と雨露をしのぐだけの簡易な施設であり、ここでも不満だらけ。先が思いやられる。



巡礼が進むにつれ、同行する9人のそれぞれの人生模様が小出しにされる。会話や回想の中から、それぞれの悩みが浮かび上がってくる。
疲れ果て施設で寝入る各人の、「夢」に映画は入り込む。まるでシュールリアリズムの手法だ。
「夢」では、寓話か前衛劇のようになるのだが、各人の潜在意識をのぞきこむようで、抜群に面白い。

そして、巡礼の中で、あんなに罵倒しあっていた3人の子供たちをはじめ、全員にかすかに仲間意識が芽生えてくる。
同士意識か、友情か、憐憫かはともあれとして、「同じ釜の飯を食っている」という単純な共同性のようなものである。
決して、巡礼そのものの敬虔な宗教意識で結びついているわけではない。
年齢も性別も職業も生活環境も異なる9人。ふたりは、キリスト教徒でもなく、イスラム教徒だ。
けれど、巡礼の中で、互いに扶助すること、自分がなにかの役に立つことが、ダイレクトに分かってくるのだ。



たとえば、一番若いラムジィ少年は、文字の読み書きが出来ない。国語教師であるクララは、こっそりと、連日先生役となる。サッカーの好きな少年に、まず興味のあることから、文字というものを連関付けさせるやり方は見事なものだ。頭のよさそうな少年が、みるみるうちに文字を習得していく様は、気持がいい。
あるいは、救護施設にトラブルがあったとき、徹底した自己チューのピエールは気前よくみんなをホテルに泊め、久しぶりのシャワーとベッドで全員が驚喜する。

巡礼を半分も来た頃、ギイは3人に「約束では半分まで巡礼をこなしたら、もう遺言を受け取る資格があるんだ」と打ち明ける。
いったんはやれやれと還りかけるが、結局3人は、巡礼にふたたび合流する。なんのかんのいっても、この奇妙な珍道中が楽しくなってきたのだ。
そして、ここからは、この9人が、強い紐帯に結ばれたチームのようになっていく。
だれかれなしに、相手に気を使い、本音を打ち明け、仲間が差別されると一緒にたたかい、仲間の親の訃報に一緒に悲しむ。
新しい、家族のような、親和性が生み出されている。あたかもヒューマン・ドラマのように。



やはり奇妙な映画である。
コリーヌ・セロー監督は、このユーモアいっぱいの巡礼劇になにをこめたかったのだろうか?

9人集まれば、それが現代の世界の住人のまるで、縮図のように考えてもよい。
それぞれの価値意識や行動様式はバラバラだ。
そして、誰も、人に言えない自分の悩みを抱えている。
臆病になったり、無気力になったり、権力的になったり、攻撃的になったり・・・人はそれぞれのやり方で、自分の孤塁を守ろうとする。
だけど、本当は、もっと自分の弱さを曝け出してもいいのかもしれない。
個人主義のヨーロッパにおいても、本当は、もっと人にお節介をやいてもいいのかもしれない。

たまたま、偶然のように集まった巡礼の旅だ。
サンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着くという目的だけは同じなのだ。
東洋的にいえば、「袖振り合うも何かの縁」ということかもしれない。
この「機縁」を素直に受け止めれば、自分も少しは変われるかもしれない。
「巡礼」という非日常の時空だから、日常の縛りから、解放されるはずだ。
単独行ではなく、そのとき仲間がいることの心強さ・・・。



そういうことかもしれない。
巡礼の始めには、携帯電話がつながらず、ストレスが溜まっていた。けれど、後半では、うざい携帯電話を捨てている。山のようにリュックに入れていた常備薬も必要なくなった。
ちょっとしたきっかけさえあれば、人は信頼できるし、自分も変わることが出来る。

ロマネスク建築様式の壮麗な教会に、9人はゴールインする。
けれど、それは巡礼手帳のスタンプを満杯にするということ以外の快楽は意味しない。
9人が得たものは、信仰心の確認でも、神の恩寵でもなんでもない。
しかし、もしこの現在に、「巡礼」ということの意味を持たせるならば、過酷な不便さや肉体的酷使や理不尽な集団性という枠組みの中で、文明社会の垢をひたすら削ぎ落とし、プリミティブでシンプルな心身状態に還元すること、ということは案外有効なのかもしれない。
そのことの戯画化を、この作品で、コリーヌ・セロー監督は、とても巧みに仮構したと思われる。



 



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24 コメント

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TBありがとうございました。 (マダムよう)
2008-01-16 09:14:46
すばらしいレビューで読みふけってしまいました。
ほんと、この作品は語りたくなりますね。
いい作品でした。

今年もよろしくお願いします。
マダムようさん (kimion20002000)
2008-01-16 12:57:57
こんにちは。
邦画の質もあがってきていますが、ちょっとこういう映画をつくる監督はいないですね。
日本の巡礼だと、もっとストイックになっちゃうんでしょうねぇ(笑)
TB、コメントありがとうございます (ヤン)
2008-01-20 14:40:36
こんにちは。

 巡礼による文明社会や日常からの開放、苦労を共にする仲間との一体感、その中での自己発見。そんな映画を堅苦しくなくユーモアを交えて作り上げたコリーヌ・セロー監督。すばらしい映画でした。

 それじゃ、また。
ヤンさん (kimion20002000)
2008-01-20 17:01:34
こんにちは。
堅苦しくないユーモア映画に仕上げたところが、うまいですね。
巡礼 (なな)
2008-01-21 19:35:14
宗教ではなく,人とのふれあいによって
お互いに癒しあえた,ということが
この映画の素晴らしいところですね。
出てきた宗教家たち,みんなヘンな人だったし。
ななさん (kimion20002000)
2008-01-21 20:00:08
こんにちは。
カトリックの宗教者たちは、結構、風刺されていましたね。
ひとりで躁状態で大騒ぎするITお兄ちゃんは、巡礼そのものも情報化、ハウツー化しようとする現代人を皮肉っているようでした。
こんばんは! (エリー)
2008-01-27 00:51:30
TBをありがとうございました~

 巡礼ではないですけど、わたしも、悩んだり落ち込んだりした時、たくさん、歩いたりすることがあります・・・

 ・・・すると、何かの糸口が見つかったり、気分が変わったりして、良い方向に行くような気がします~


 悩みのない人なんていないと思うんですけど、
巡礼というのは、肉体的にも、精神的にも、
  とても良い作用をするように思いました~

エリーさん (kimion20002000)
2008-01-27 08:05:06
こんにちは。
ひたすら、歩くということは、どこかで、心身を解放させることがあるんでしょうね。
僕も、悩める思春期の頃は、ひたすら一日3時間ぐらい歩いていましたね(笑)
コメント&TBどうもです! (mezzotint)
2008-01-29 22:29:35
kimion20002000さん
お久しぶりです。2008年も宜しくです!
巡礼は経験ないですが、登山は以前やって
いました。最高1週間の縦走経験ですが。
登ったり、下ったりと大変です。かなり足に
きます!1,500キロは想像できない苛酷さ
だと思います。でもその辛さの中で、仲間と
一体化するというのは何となく共感できます!
そしてこの巡礼で得たものってやはり達成感
ではないかな?なんて思うのですが。
mezzotintさん (kimion20002000)
2008-01-30 01:08:47
こんにちは。
寝食を共にするということは、お互いの了解範囲が一気につまるんでしょうね。最初と最後で、全員の表情がずいぶん異なってきましたね。

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