
サンダンス映画祭など各国の映画祭で大絶賛され、アメリカで公開されるやいなや予想を上回る大ヒットを記録したハートフル・ストーリー。田舎のダイナーで働くウェイトレスが、突然の妊娠をきっかけに自分自身に目覚めていく姿を描く。監督は2006年に他界した女性監督エイドリアン・シェリー。ヒロインのウェイトレスを「フェリシティの青春」のケリー・ラッセルが演じる。ほろ苦くもおかしい独特の語り口と、登場するおいしそうなパイの数々がポイント。[もっと詳しく]
インディペンダントのお手本のようなエイドリアン・シェリーを惜しむ。
インディーズ系の映画に付き合うときには(前評判をあまり学習しないで見る場合には)、辛抱強さが必要である。
邦画の場合には、まことにあたりはずれが多いし、目の当てられない学芸会のような駄作も多い。
卒業制作映画ならいざ知らず、どこのどいつがこういう連中をおだてあげたりして、商業作品でございみたいな顔して居直っているんだ?と、腹立たしく思うことは何十回もあった。
けれど、それはしょうがないことなのだ。
ここから、未来の才能が出てきたりするし、低額予算にかかわらず、宝石のような資質を持ったスタッフやキャストを発見することもあるからだ。
インディーズ系作品は、洋画の世界では、B級作品やカルト作品あるいは二番煎じ作品がほとんどだ。
これはこれで、ちょっと角度を変えて、その世界の愉しみ方を発見するに、尽きる。
それでも、モニターを蹴っ飛ばすことや、5分でリセットすることだって数知れずあるのだが・・・。

インディーズ系の、文芸映画やアート作品、セミドキュメントの作品などは、結構、思わぬ拾い物に出会うことが多い。
ある意味であたり前のことなのだが、日本で公開されたり(たとえミニシアター単館でも)、DVDで発表されたりする作品は、それなりのスクリーニングを経て(映画祭受賞作品とか)、権利買い付けされるからだ。
ひどいのは、テレビロードショーの目玉シネマの買い付けのために、パッケージとしてゾロゾロ作品を放送局などが買わされるケースだ。
買ったからには、まあ時間枠を考慮して、穴埋め的に放映したり、未公開映画DVDとして、嘘っぱちの推薦の言葉をつけて、堂々と発売されたりする。
ほとんどの作品は、モニター蹴っ飛ばしのハメとなる。
嬉しいのは、インディーズ系の低予算映画が、早朝やレイトショーでたかが1週間ぐらいのミニ上映でスタートしながら、クチコミで評判が出て、関係者もびっくりの評判を得たり、それなりの映画祭で喝采を浴びたりすることだ。
「ウェイトレス」もそういう映画の典型例であった。
わずかな上映館からスタートした作品だが、クチコミによって、全米興行収益TOP6を記録するまでにヒットしたという。内外問わず、そういう話は、嬉しいものだ。

監督兼脚本兼本作では重要な役どころで女優も演じているエイドリアン・シェリーは、インディーズの世界では馴染みの深い人だ。
21歳にしてたった7万5000ドルの制作費で、35mmフィルム10日間撮影の、長編映画の処女作を撮りあげたらしい。
もちろん、スタッフは一つ屋根で寝袋で泊り込み、監督自ら主演をし、シーンも取り直しなしの1発本番であったらしい。
「ウェイトレス」にしたって、彼女にとっては3作目となるが、マイクロ予算であったらしく、20日間の撮影期間で、シーン撮影は2回までという限定で撮り終えたと言う。
それで、この仕上がり!驚くべきことだ。
南部のダイナーで働くジェンナ(ケリー・ラッセル)は、パイづくりの腕にかけては天才的だ。
ふだんは、暴力的な夫であるアール(ジェレミー・シスト)にオドオドしながら、家とダイナーの往復だけの気が滅入る毎日を送っている。
ダイナーの職場仲間のドーン(監督が演じる)、ベッキー(シュリル・ハイング)に後押しされて、家出も計画したりする。
ジェンナはある日妊娠2ヶ月なのが発覚し、そのことも憂鬱のひとつであり、子どもを生みたい気持も持てずにいる。
医者のポアター先生(ネイサン・フェリオン)に御得意のマシュマロ・パイをプレゼントしたことから二人の気持は急接近。
W不倫状態になるが、アールには相変わらず逆らうことができない。
出産が近づき、陣痛に苦しみながら、ジェンナーは「赤ちゃんなんていらなーい!」と叫ぶのだが・・・。

物語は、ジェンナーの自立劇である。
パイを作るのはどんなにうまくても、生きることに不器用で自信が持てないジェンナー。
あんなに、嫌がっていた赤ちゃんが産まれ、その子を抱き上げた瞬間、ジェンナーは劇的に「転回」するのである。
あまりの「可愛らしさ」に幸福に包まれ、この母子関係の啓示の瞬間にして、自立した意識に目覚め、アールに対しても「あたしに近づいたら承知しないから」と言い放つのである。
男である僕には本当のところはわからないことなのだが、大好きな絵本作家の佐野洋子のエッセイの一節を思い出してしまった。

「妊娠したとき、私は実に困った。しかし私は生まれ出ようとする生命を殺す度胸がつかなかった。・・・中略・・・私は、おなかの中の子供をいとしいとか、可愛いとか思わなかった。巨大なおなかと乳房のおかげの挙動不自由から、早く解放されたいだけだった。・・・中略・・・私はすべての女の嘘つきと偽善を憎んだ。誰一人これほど痛いとは言わなかった。・・・『あらあら、立派なチンチンつけて、男の赤ちゃんですよ』と看護婦が言ったとき、私は生涯でただ一度、世の中の光が唯一私に集中したような歓喜にあふれたのである。これ何?私のそれまでの秩序は全部崩壊した。理屈が何だ、理屈がこの歓喜をどうやって作るのだ。私は崩壊した秩序など、まったく惜しくもなかった」(佐野ようこ「ふつうがえらい」・新潮文庫)
「秩序が全部崩壊した」ジェンナーは、自立しやがて、可愛い愛娘の名前をつけたおいしいパイの店「ルルの店」を経営するようになるのである。
エイドリアン・シェリーは、自分が妊娠8ヶ月の時にとても苦しく孤独な体験をして、この脚本に着手した。
そしてまた、自分自身がとてもパイづくりが得意だったので、主人公の造形に生かしたのである。
”不倫でアールに殺されるパイ”
”惨めな妊娠と自己憐憫パイ”
”パンツにキックパイ”
”アールの赤ん坊なんていらないパイ”
アップル、キーライム、レモン・メレンゲ、ピーカン・ナッツ、タートル、バナナ・チョコレート・・・ジェンナーは、落ち込んだり、悔しいことがあったりすると、パイづくりに集中して気持をぶつけ、新しいレシピを考案する。
この作品では、監督自らがレシピ作りに参加して、200種類以上のパイを拵えたそうだ。
もちろん、その日の撮影が終了するごとに、ファミリィーのようなスタッフ&キャストが、喜んでパイに舌鼓を打ったわけである。

エイドリアン・シェリーは、アカデミー賞のレッド・カーペットが似合うタイプではない。
サンダース映画祭などで、愛情を持って、声をかけられるタイプだ。
1966年生まれ。インディペンダントな個性的な映画に20本以上参加している小柄でキュートな女優だ。
世界中の個性的な映画祭の理事を務めている。
多くの劇団に戯曲を提供したり、演出したりしている。
ニューヨーク大学で映画にまつわる教鞭もとっている。
ミッシング・チルドレン・シアター・カンパニーのプロデュースもしている。
つまり、どんな低予算な作品であろうが、彼女の周りには、いつも人が溢れ、助けたり助けられたりという世界を構築して、セレブ的なハリウッド空間にはさして興味がなさそうな、魅力的な女性であったろうと推察される。

残念なことに、2006年11月1日、彼女は帰らぬ人となってしまった。
当初は、自殺ではないかと報じられたが、騒音トラブルで階下の19歳の男性に殺害され、自宅で首を吊っているように偽装されたのだと言う。
真相は報道だけではよくわからないが、痛ましい事件である。
多くの彼女にかかわったであろう人たちは、「ウェイトレス」という映画のなかの役者としての可愛らしさ、監督としての力強さ、脚本家としての構成の巧さを、何度も何度も思い出すことになるのだろう。
あるいはラストシーンで主人公と手をつないで幸せそうに店を出る2歳のルル役の監督の娘ソフィの成長を見守ることになるのだろう。
DVDでこの作品を見た僕だが、特典映像の明るくはにかみながら振舞っている彼女の素顔の映像を、何度も何度も、見返してしまうのであった。













稀有な才能の持ち主だったと思います。
きちんとした脚本があれば、低予算だろうが、素晴らしい映画が作れる、という見本のような映画でしたね。
母の気持ち、まったくよくわかります。
わかりすぎるほどにわかります。
あの本当の気持ちは女性にしか共感できないかもしれませんが、それでも彼女が描きたかったことは十分伝わったと思います。
これつながりで、パイ教室を行ったのですが、あのころは、まだバターもちゃんとあったんだけどな〜。
僕は、特典映像を観ていて、なんかへんな言い回しに気づいて、それで、ネットで調べて、ああ、お亡くなりになっていたのか、と。
そんなこと関係なく、作品は愛すべきものでした。
残念ですね。
日本人はアメリカ人に比べてスィーツには繊細さを求めるのかもしれません(笑)
主演女優さんは今月公開の「奇跡のシンフォニー」に出ておられるので楽しみにしているのです。
たしかにね。
生地になにやらひねりつぶして、こねくり回して、チョンチョンと上に乗っけて、オープンでしょ。
アメリカらしいよね。
和菓子職人の世界と、なんとかけ離れたことか(笑)
監督自身が映画に出ていたことも、実娘まで出ていたことも知らなかったので、映画本編の後に特典映像を観ていて、驚きと共に本当に切なかったですね。
何気ない普通の感情を、こうやって映像化できる彼女がいなくなったというのは、本当に惜しいことだと思いました。
惜しいことだと思います。
また、いろんなインディペンダンツな活動を支援していた人らしいから、関係者の衝撃も大きなものがあったでしょうね。
IMDbでもこんなに詳しい情報はなかったと思います。
その情報によれば、犯人はエクアドルからの不法移民だそうで、映画界にとっても全く残念な事件でしたね。
最後に出てくるお嬢ちゃんは彼女の娘さんだそう。可哀想だなあ。
>インディーズ系の、文芸映画やアート作品・・・結構、思わぬ拾い物に出会うことが多い
若い頃エイドリアンが出演した「トラスト・ミー」のハル・ハートリーとか、エドワード・バーンズ辺りを僕は注目していましたが、最近は輸入されないです。
あのお嬢ちゃんは、彼女の仲間たちに暖かく見守られて育っていくのだと信じたいですね。