
累計500万部を超えるベストセラー・シリーズの映画化第2弾。第49回日本推理作家協会賞に輝き、シリーズ最高傑作の呼び声も高い同名小説を原作に、古書店主の“京極堂”こと中禅寺秋彦と仲間たちが、3つの事件にかかわる恐るべき秘密を追う。監督は『突入せよ!「あさま山荘」事件』の原田眞人。主人公の京極堂を堤真一が演じる。原作者の京極夏彦に「びっくりした」と言わしめた大胆なアプローチと、独特のムードが漂う作品世界を堪能できる。[もっと詳しく]
世の中に不思議なことなど何もないのだよ、kimion20002000君。
ミステリー好きなものたちは、ついつい夜更かしをしてしまう。
謎解きやサスペンスの興奮に入ってしまうと、読み始めるときは今日はこの章でなどと予定しているくせに、頁をめくるのが止められず、気がつけば夜が白々としてくるのだ。
僕も、中学・高校の頃から、そんなミステリー小説好きの一人なのだが、京極夏彦の登場以来、というより京極夏彦のことにデヴュー作「姑獲鳥の夏」(95年)以来の講談社ノベルズ「百鬼夜行シリーズ」を枕元に常備薬のように置くようになってからは、寝床での本の読み方が、がらっと変わってきたのだ。


まず、「百鬼夜行」シリーズはとてつもなく分厚い。その分厚さから「レンガ本」「サイコロ本」などとも愛情を込めて、呼ばれている。
枕にできるかどうかは別にして(笑)、僕がいま枕元に置いている「塗仏の宴」なんかは上下巻に分かれているとはいえ、1248頁という厚さなのである。
で、僕が京極夏彦を読むときは、だらだらだらだらと、読み続けるのである。
これがまた、寝入りばなに、ちょうどいいのだ。

たしかに、延々と続く哲学問答や衒学めいた妖怪論議などが睡魔を誘うこともあるのだが、難解な思想書などを読みながら、睡眠薬がわりにしていくのとは少し異なる。
このシリーズを通底する物語そのものが、夢でもあり、現でもあり、というところで、つねに登場人物たちの存在基盤そのものが妖しく揺れ動いており、なにが本当のことなのか、もう意識そのものが薄明の中で朧に翳んでいくような、靄がかかっているような、そういう気分に包まれるのだ。
だから、ストーリーを追うとか、トリックを見破るとかいうことよりも、たまたま開いた頁に目を落としながら、すぐに、京極夏彦の物語世界に棲みついている、妖怪や霊や精たちがこちらに入り込んでくる始末なのだ。
「この世に不思議なことなど何もないのだよ、kimion20002000君」などと、京極堂の主でありかつ「憑き物落とし」士でもある中禅寺秋彦に冷笑されながらも、寝入りばなの入眠現象に似て、どこからどこまでが読書をしているのか、半分寝入っているのか、物語から連想される妄想の世界に入っているのか、わからないような状態になってしまう。
それは、とても心地よいことでもある。

その京極夏彦の百鬼夜行シリーズで映画化されたのが「姑獲鳥の夏」(05年)であり、監督はあの「ウルトラマン」シリーズやATGを中心にした耽美派作品で一世を風靡した、鬼才実相寺昭雄であった。
京極堂店主中禅寺秋彦に堤真一、その妹で編集者の中禅寺敦子に田中麗奈、過去を幻視できる唯我独尊の探偵榎木津礼二郎に阿部寛、荒れる刑事木場修太郎に宮迫博之などなど、病気で永瀬正敏から椎名桔平にキャスティング変更されたいつも馬鹿にされる小説家関口巽をのぞいて、御馴染みの登場人物は変わらず、この2作目「魍魎の匣」は、監督が原田真人にチェンジされた。

原田真人のこの作品における最大の工夫は、昭和27年に生起するこの物語の舞台を再現するために、大幅に中国上海ロケを取り入れたことだ。
実はそのことは、公式サイトを読むまでは気づかず、僕はどうやってこういうセットを造ったのかに、感心しきりであったのだ。
CGとVFX再現を見慣れた現在だが、「魍魎の匣」では、砂埃が舞い上がっているような、終戦から10年足らずの日本の回復期の、たぶんそのころにしかなかったであろう夢幻のような造形が、見事に誂えてあるのだ。
予算の問題などを考えても、なかなか日本では再現しにくいものを、上海を舞台にロケシーンとセットシーンをうまく組み入れたのであろう。
昭和27年といえば、ほぼ僕の生まれた頃の物語である。
なんとなく懐かしい、けれど虚構も含めたある一瞬の異国性をも含みこんだ不思議な景観の中で、役者たちがいきいきと演技をしている。

映画は、原作を大きく換骨奪胎している。
大部のノベルスであり、登場人物も複雑に入り組んでいるから、そのことに何の問題もない。
後半の美馬坂近代研究所のマッドサイエンティストである美馬坂幸四郎博士(柄本明)の過剰な演技や、それ自体が「魍魎の匣」であるかのような、あるいは奇怪な不死の生命体であるかのような、崩壊する研究所の中での対決のシーンは、ちょっと子どもっぽいサービス精神が過剰すぎるかなと思うが、映画やノベルズですっかり御馴染みになった登場人物たちのキャラクターを追っていくのは、愉しいものがある。

物語そのものは、美少女が誘拐され、手足がばらばらにされ、匣詰めにされるという、猟奇的な怪奇事件といった傾向が強いものである。
そこに、軍で人間機械(人工兵士)を研究する博士や、人肉食嗜好を持ってしまった博士の助手や、人気の映画女優でありつつ謎の行動を続ける美女や、「穢れ封じ御筥様」を信奉する教団がからんだりしながら、妖しげな京極ワールドが炸裂する。

映画ではかなり改変されているとしても、僕が気に入ったシーンは、ふたつある。
ひとつは、楠本頼子(谷村美月)と柚木加奈子(寺島咲)という仲良し中学生が、事件に巻き込まれ悲惨な境遇を辿るのだが、少年言葉の財閥の娘である加奈子と、不幸な家庭環境で暗い性格の頼子が、「互いが互いの生まれ変わり」と寄り添い合う姿に、なんともいえないエロスが感じられるところである。
ことに寺島咲は、大林宣彦の秘蔵っ子ということだが、不思議な魅力が備わっている。
もうひとつは、普段は京極堂で引篭もって古今東西の書や資料を読み漁っている中禅寺秋彦が、教団に乗り込んで、教主相手に「憑き物落とし」をするシーンだ。
ここでは、陰陽道の術なのかどうか、怨霊沈めの言霊を饒舌に繰り出しながら、邪気を退散させるため、京極堂は迫力あるパフォーマンスを仕掛けることになる。
ここでの堤真一の空間を支配するような緊張感のある演技は、なかなか堂に入っている。

ぼんやりとした境界の中に、人を惑わす怪異が存在する。
それは不思議なことでもなんでもないのだよ、kimion20002000君。
君っていう存在そのものは、もともとあやふやなものであり、単に記憶に頼っているだけであり、その記憶だって、本当に君が経験したことかどうかは、分からないんだよ。
君が狂っているのか、世界が狂っているのか、いったい誰が、判定できるというのかね。
毎日のように寝床で、どこから読み始めたら続きなのかが半ばわからなくなりながら、文字が朧気に躍り出してくる。
京極堂の思考方法が、自分の脳細胞に、じわりじわりと、浸透してくる。
京極夏彦の文体の特徴は、主要な登場人物のそれぞれの饒舌な叙述が、入れ子のように組み合わされて表現されていることだ。
もう半ば夢の世界に入りつつある僕の思考も、いつしかその分厚いノベルズに溶解するようになり、どこまでが京極夏彦の小説で、どこからが自分の脳が紡いだ幻想なのかが、いつのまにか判然としなくなっていくのだ。













読みきれませんでした・・・・。
なので、2時間ちょっとで、かの世界に浸れるのは、ずいぶんお得だなと思って鑑賞でした。
原田眞人版は、ずいぶんとっつきやすくなったなあとの感でしたが、これっていいことなんでしょうか。
>原田眞人版は、ずいぶんとっつきやすくなったなあとの感でしたが、これっていいことなんでしょうか。
どうなんでしょう。賛否両論ありますね。
京極さんはアートディレクションもなさる方ですから出版に関しては厳格ですが、他の媒体に関しては、別物だからお任せします、というスタンスですね。
実相寺さんの第1作も、原田監督にとっては、やりやすい部分とそうでない部分と両方あったでしょうね。
京極ファンにとっては、映画の「わかりやすさ」は、賛否両論があることでしょうね。
あの世界観を映像化しようとするのが無茶なのでしょう。
別物と思った方が幸せですね…
そうですね。
京極世界の入門版のようなものかもしれませんね。
江戸川乱歩の怪奇小説は、基本的には短編からの料理になりますが、京極さんの場合は、長編が主になりますから、ことに難しいでしょうね。
>哲学問答や衒学めいた妖怪論議
私は、映画を観た感想がまさにこれで、
最後は自分が理解しているかどうかもわからなくなっていました 汗。
それでスッキリするために原作を読もうとしたのですが、あっけなく挫折。。。
面白そうなのにその世界に入れない自分がもどかしいです。
京極さんのノベルズシリーズは、ほとんど同じ時代の(昭和20年代後半)のものなんですが、いくつかの小説群が、もちろん単独でも読めるのですが、微妙に重なっているんですね。
1冊も大部だし、だから好き嫌いというよりも、もしかしたら京極世界に淫するような、タイミングみたいなものがあるのかもしれませんね。
女子中学生の部分はおっしゃるとおり!
私はこの二人をまったく知らなかったのですが、いまや結構美少女系で有名のようで・・・
しかし、やはり私は好きになれないです。中国ロケなど努力は認めますが・・・(何様?
僕は、京極ファンなんで、単純に、監督は誰でもいいから、もっと映画化に挑戦してくれと・・・(笑)
妖美で大がかりな仕掛けもあるところは江戸川乱歩風。
映画はなかなか気に入りましたが、原作も面白そうですね。こういうのを見ると、到底映画化できないだろうと思っていた小栗の全編衒学オンパレード作品「黒死館殺人事件」なんかも映画化できるかもと期待したくなります。
>上海ロケ
中国にしか見えないという人も多いですが、そういう意見の人に限ってその時代をよく知らない若い年齢層のような気がします。
僕も海外にロケをしているとは気付かなかったですね。
古い欧州を描く作品がチェコにロケしているケースの多いことには気付いていたのに。
日本ではやはり、「ドクラマグラ」「虚無への供物」「黒死館殺人事件」の本格映画化が待たれます。