
アメコミ界の巨匠ウィル・アイズナー原作の同名グラフィック・ノベルを『シン・シティ』『300 <スリーハンドレッド>』の原作者フランク・ミラーが実写映画化。死からよみがえり、愛する街を守るために犯罪組織と戦う仮面のヒーローを『グッド・シェパード』のガブリエル・マクトが熱演する。彼の宿敵にサミュエル・L・ジャクソンがふんするほか、エヴァ・メンデス、スカーレット・ヨハンソンらが共演。洗練された衣装の数々や、白黒を基調にしたスタイリッシュな映像も見どころだ。[もっと詳しく]
映像的可能性の極北を、フランク・ミラーたちは愉しげに、模索している。
『グッド・シェパード』ではやっぱりマット・デイモンの脇役ではあったが、なかなか人間臭い演技をするスピリット役のガブリエル・マクトや、ちょっといまのハリウッドでも異形のムキムキマン役としては抜きん出ているオクトパス役のサミュエル・L・ジャクソンや、死んでも死んでもまた平気で登場する大笑いのクローン軍団役のルイス・ロンバルディや、フィルム・ノワール時代の渋さを持った老刑事役には貫禄充分なドーラン警察本部長役のダン・ローリアなどの男優の演技を見るのは、とても愉しい。
大真面目で、フランク・ミラーの緻密な絵コンテを覗き込みながら、全編グリーン・スクリーンで想像力で背景や相手を補完しながら、それぞれがたったひとりのパフォーマンスをこなしている。
それが最先端のポスプロでのCGI作業を経て、いったいどんな映像になるのか、役者たちも興味深々であっただろう。
冒頭マンハッタンのイメージを取り込んだセントラル・シティのビルの屋上を、スピリットは駆け抜ける。空中にジャンプし、くるっと回転して着地し、ビルとビルの間に張られた1本のロープの上を大きな歩幅で渡りきる。屋根の上で、微妙によろめいたりしながら・・・。
ほとんど暝いセントラルシティの闇。けれども、単純に背景を漆黒にしているわけではない。
そこにはおそろしく細密にありうべきセントラルシティの建築物や設備が描き込まれており(もちろんCGIで)、その微妙な黒の濃淡が、フィルム・ノワールの空気を醸し出すことになる。
スピリットを見守る彼の飼い猫が、暗闇に白いシルエットを浮かべる。
そして、フランク・ミラーがこだわる「怒り」の赤が画面を引き締める。
たとえば、スピリットの朱色のネクタイとして。
あるいは、「クール」な青が画面に現われる。
たとえば、スピリットのその海のような瞳の中に。
フランク・ミラーが手がけた『バットマン/ダークナイトシリーズ』以降の、暗い情念、静かなハードボイルドのタッチが甦ってくるこの冒頭のシーンだけで、僕たちはすっかり虜になってしまうのだ。
あるいは、果てることなきスピリットとオクトパスのタイマン勝負。
スピリットがこよなく愛するセントラル・シティに秩序をもたらす存在だとしたら、オクトバスは逆に混沌を生み出す存在だ。
このふたりはしかし、それぞれの秘密を分かち合ったコインの裏表のような存在だ。
不死身の肉体を持つふたりは、延々と痛め合うことになる。
もちろん、ここでもグリーン・スクリーンでの相手と背景を想像で補った、個別の役者の演技ではあるのだが。
フランク・ミラーがコミック+映画の極北を目指して参加した『シン・シティ』や『300<スリー・ハンドレッド>』などでの驚愕の人間臭い独特の絵コンテと最先端CGIを駆使した映像美を経て、ついにフランク・ミラーは単独監督として、『ザ・スピリット』の制作を決意することになった。
しかも、その原作は、「コミックの父」と呼ばれ、フランク・ミラーの師であり、大先輩であり、友人であるウィル・アイズナーのものである。
男優たちのそれぞれの持ち味を生かした、どこか大袈裟で笑いを誘うようなパフォーマンスは愉しい。
しかし、もっともっと惹き込まれるのが、この作品の女優たちだ。
もともと、スピリッツの造形は、真面目な正義感であるデニー・コルト警部である。
死を体験して、あることでこの世に甦ることになる。
そして愛する街を守るために、スピリッツになるのだが、怪力乱麻でも空を飛ぶわけでも超能力の特技を披露するわけでもない。
身なりもスーツにネクタイにフェルトの中折れ帽子、そしてコンバースのスニーカーだ。マントを羽織っているわけでもないが、小さな覆面だけはつけている。
スピリットの特異な能力と言えば、パンチをいくらでも受けられる、驚異的なスピードでダメージや傷を回復するということだ。いかにも地味。
正義感はあるが、結構節操がない。ドジもする。美女を見ると、思わずドン・ファンめいた雰囲気を醸し出してしまう。
奇妙なフェロモンがあり、女たちの心をすぐ奪ってしまう。
「レジェンド・オブ・メキシコ/デスパラート」のラテンな女役が僕は好きだったのだが、宝石泥棒のサンド・サレフ役のエヴァ・メンデス(名前は知らないがサンドの少女時代の役者も可愛かった)、命を落とす前のデニー・コルト警部の婚約者であったが、いまは外科医としてスピリットを守護しながら複雑な感情を持つDr.エレン・ドーラン(ドーラン本部長の娘)役のサラ・ポールソン、水中での死の天使ローレライ役のジェイミー・キング、なにやら過去にスピリットと付き合ったことのある異国風のグラマーなパス・ベガを演じるプラスター・オブ・パリス、オクトパスの右腕でクールなスリルを愉しむ謎の女シルケン・フロスにご存知スカーレット・ヨハンソン、熱血新人刑事に男っぽいいけいけガールのモーゲン・スターン役にスタナ・カティック。
まあ、この女たちが、スピリットに絡んでいくのだが、いやいや、すんばらしい女たちばかりなのだ(笑)。
この美女たちを眺めるだけでも、悦楽である。
ウィル・アンズナーの原作は1940年代を舞台にしている。
ずっと年齢は下であるが彼を敬愛するフランク・ミラーが活躍したのは、従来のお子様向けアメコミの概念を転倒するようなマーヴェル・コミックの一連の大人のためのアメコミ(その先達としてウィル・アンズナーが異端的に登場していた)が登場した70年代以降である。
そして、フランク・ミラーの映画の世界への参加もそうだが、コミックと最新の映画技術が結合した作品が本格的にクリエィティブされるようになるのが2000年以降だ。
『スピリット』という作品は、40年代から50年代のマンハッタンの懐かしいイメージ(服装や車や建物)をベースにして、現代アメコミの先端を走るフランク・ミラーの原作を生かしながらも彼の感性を織り込んだ絵コンテ(現代風あるいは近未来風の携帯電話とか武器とか遺伝子工学とか)に拡張し、その絵コンテを映画作品としての実現に向けて最新のテクノロジーを熟知するスタッフたちのクリエイティブが用意されというように、いわば三層に重層されたレトロでありかつモダンでありという、奇妙な魅力のある作品となっている。
ポスプロも含んで、絵コンテに従って撮影された素材や特殊効果やCGが何層にも何層にも重ねられて、あるいは加減を繰り返しながら、魔法のような作品に仕上がっている。
単純にCGやSFXやデジタル編集を「どうだ!」と自慢しているわけではない。
そんなことはもうある程度は、周知な技術として、普遍している。
彼らが目指したのは、新しい未来の映像あるいは過去の映像の、この現場でしかできない「創造」であるのだ。
そして、そこに、原作がまだ誰もふれたことのない様式で、リスペクトされる。
たとえば、『300<スリー・ハンドレッド>』のような平原での戦闘の撮影に関しては、限りなく水平方向のパースペクティブをベースに絵コンテを構成している。
では、セントラル・シティとは。都市は垂直方向の景観、視点、重層の魅力なんだ、とフランク・ミラーは語る。
ここで、拓かれた映像的可能性が、今後どこに向かうことになるのか?
それは、映像に連なるさまざまなクリエーターたちにとってはもちろんだが、僕たち観客にとっても、目が離せないものとなる。
kimion20002000の関連レヴュー
『シン・シティ』
『300<スリー・ハンドレッド>』













今晩は☆彡
申し訳ありません!間違って他の記事を
TBしてしまいました。
私はちょっと苦手でしたね。
いつもTBありがとうございます。
僕もときどき間違いTBはやっちゃいます(笑)
まあ、この作品は、オタク映画ですからね。
僕が、たまたまこういう系列が、好きだというだけの話でしょう。
単純なお話の展開が不親切で一人合点みたいなところがありますが、それだけが理由でもないでしょうけどねえ。
悪ふざけがすぎましたかな?
“ドイツ表現主義の焼き直しみたいなもんじゃん”と冷えた目で観た「シン・シティ」より、“戦闘というより踊りに見える”と文句を垂れた「300」よりも楽しめました。
劇画の実写化ではなく、動く劇画を目指したような印象が上の二作より強いと思いますが、如何でしょうか?
そうですか、日米とも不評ですか(笑)。
僕はツボなんですけどね。
動く劇画といわれると、そんな気もしますね。
まず、一枚の絵のように、構図ありきですからね。