サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09402「ジェリーフィッシュ 」★★★★★★★★☆☆

2009年10月06日 | 座布団シネマ:さ行

2007年カンヌ国際映画祭最優秀新人監督賞を受賞した感動の人間ドラマ。美しい海辺の街テルアビブを舞台に、三者三様のちょっと不幸な主人公たちの日常を温かく見つめる。監督はイスラエルの人気作家エトガー・ケレットと、詩人で劇作家でもあるシーラ・ゲフェン。出演者には『アワーミュージック』のサラ・アドラーをはじめ、イスラエル演劇界のベテランから素人まで多彩な面々が勢ぞろいした。幻想的な音楽と詩に乗せて描き出される、キャラクターたちの心の機微が胸にしみる。[もっと詳しく]

「ディス・コミュニケーション」をめぐる小さくいとおしい寓話

イスラエル映画はほとんど馴染みがないのだが、少し前に見た『迷子の警察音楽隊』はこのレヴューでも★9個で、満点に近いものだった。
この『ジェリーフィッシュ』という映画も、07年カンヌのパルムドール賞を獲得したと言うことだけで、なんの期待もなく見始めたのだが、思わぬ拾い物の佳作だった。
冒頭からけだるい「バラ色の人生」の挿入歌。
結婚披露宴会場。なんだか、不器用そうな女の子が映し出される。
パティア(サラ・アドレー)。どっかでみた子だなあと思ってあとでサイトをみたら、ゴダールの『アワーミュージック』(04年)に出ていた娘さんだ。この映画は数年前に、公開初日にどういうわけか息子と日比谷で見た映画なのだか、いろいろ思うところが多くて、まだレヴューにはできずにいる映画だった。
で、冒頭から、なんだか不思議と引き込まれる映像で、これもフランソワ・オゾン監督の『まぼろし』(00年)や、ハニ・アブ・アサド監督の『パラダイス・ナウ』(05年)の撮影監督のアントワーヌ・エベルレであった。なるほど。



ほんとうは最初の結婚披露宴会場に、この映画の3つの少しだけそれぞれ交錯する登場人物たちは、顔をみせている。
自信無げで虚脱状態が通常のようなバティア。
結婚式を挙げた直後のマイケル(ゲラ・サンドラー)とケレン(ノア・クノラー)。
そして子どもをフィリピンに残し、介護ヘルパーでイスラエルに出稼ぎに来て間もないジョイ(マネニータ・デーラトーレ)だ。
ジェリーフィッシュとはくらげの意。
そう、このお話しの登場人物たちは、どこかでふわふわと漂っている。足下が覚束ない。現実と幻想(夢)の境界で生き迷っている。
『ジェリー・フィッシュ』という作品を一言で言えば、「ディス・コミュニケーション」をめぐる映画だといってもいいかもしれない。



バティアは、小声でボソボソ呟きながら、なかなか自信を持った物言いが出来ない。
どこか物憂げで、どこかに自分の人生を置き忘れてきたように・・・。
父とはほとんど音信不通だが、若い女とよろしくやってるようだ。
母は募金イベントに忙しそうで、矢継ぎ早に命令口調で電話をかけてくるばかり。
恋人とも、喧嘩別れになってしまった。アパートは水漏れ状態だし、家賃の支払いにも不安がある。
どうにもうまくいかないバティアは、海岸で海から突然のように現われた5歳ぐらいの少女(ニコール・レイドマン)につきまとわれる。
少女は浮き輪を離さず、言葉も発しない。
警察に連れて行くが、なりゆきで週末に預かるハメになるが、少女が失踪してしまい慌てることになる。



新妻のケレンはカリブ海への新婚旅行に出かける予定であったが、足をくじいてしまい近くの海岸ベリのホテルに泊まらざるを得なくなる。
いい部屋が取れずに、マイケルとの会話もぎごちなくなり、うまく笑顔がつくれない。
マイケルはホテルのスイートに滞在する美しい女性詩人らしき人と出会い、部屋を代わってもらうことになったが、ケレンは二人の仲を疑いマイケルは腹を立てる。
ジョイはヘブライ語はあまりわからない。舞台で忙しいからとガリアという女性から気難しいとされる老女マルカのヘルパーを依頼される。
言葉がうまく通じなくて、最初はマルカに邪険にされたりする。
土産物屋の船の模型をみつけ、フィリピンに残してきた子どもに贈ろうとするのだが。



思っていることがなかなかうまくかみ合ってくれない。
言葉や行動が、いつのまにかディス・コミュニケーションになってしまう。
悪気はない、含みもない、けれどどこかでちぐはぐになってしまうのだ。
怒鳴りあったり、主張しあったり、抱きしめあったりすればいいのかもしれないが、登場人物たちは、どこかで自分の中にその通じなさのようなものを内向させるようになる。
繊細で臆病で少し要領が悪くて・・・。
そんな彼女たちが、ちょっとした出会いをするなかで、小さなドラマが発生して、硬い心をフワっと溶かしていくことになる。
バティアにとっては、同じく披露宴会場をクビになった女性カメラマン。
ケレンにとっては交代した部屋で命を絶った女性詩人。
そしてジョイにとっては実の娘とはうまくコミュニケーションできない老女マルカ。

瓶のなかの船は沈まない。
帆が風に揺れることもない。
船底でふわふわクラゲが漂うだけ。

なんということもない小さな物語なのだが、こういう作品が、イスラエルのエドガーケレットとシーラ・ゲフィンという実際の生活のパートナーである文学者と脚本家というコンビによって生み出されたはじめての長編映画作品であるというところが興味深い。
建国60周年、日本の四国と同じぐらいの大きさの約束の地に700万人のユダヤの血を引いた者たちが集まってきている。
監督であるエドガーケレットも、7ヶ国語に囲まれ家ではヘブライ語であったという。
監督コンビは劇中の人物に、「あたしたちは結局ホロコースト第二世代なのよ」と言わせている。
エドガーケレットの両親も、ホロコーストを経験している。
4回の中東戦争を経験しながら、いつも非常時体制のなかで、イスラエルでは小さな社会的問題や世代的疎外になかなか人々の目は向かないんだ、と彼らはコメントする。



海の中から現われた少女は、バティアの少女時代の化身だ。
小さい頃の写真がなにもないというバディアに差し向けられた過去からの贈り物だ。
不仲な父母の記憶が甦る。たぶんここから自分は、瓶の中の船に囚われてきたのかもしれない。
自分の過去を巡る中で、もう少女は海に還っていっても、あたしは大丈夫。きっと、優しそうなアイスキャンディー売りのおじさんは、まだいてくれるはず・・・。
僕たちはどんな国家の状況にあろうが、どんなイデオロギーに囲まれていようが、たぶん生き難さの資質を持ったものは現在のどこの場所にも常在しており、その小さな物語こそが、いとおしいものであるということを、あらためて気づかされたりするのである。

kimion20002000の関連レヴュー

迷子の警察音楽隊
パラダイス・ナウ


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
化身。 (BC)
2009-10-08 20:49:00
kimion20002000さん、こんばんは。
トラックバック&コメントありがとうございました。(*^-^*

>海の中から現われた少女は、バティアの少女時代の化身だ。

ナルホドです。
過去の自分の化身と向き合う事で
今の自分を見つめ直す事が出来たのかもしれないですね。
BCさん (kimion20002000)
2009-10-08 23:21:26
こんにちは。

ちゃんとは分析していないけど、少女が現われる時と失踪している時で、なにかが転換してるんじゃないかな、と思ったんだけどね。
深い作品 (ノルウェーまだ~む)
2009-10-09 02:28:37
こんにちは☆
トラコメありがとうございました。
うわべだけの映画も多い中で、深い内面をうまく表現した秀作でしたね。
私もイスラエル映画は初でしたが、感動しました。
ノルウェーまだ-むさん (kimion20002000)
2009-10-09 08:53:40
こんにちは。

イスラエル映画というのは、なかなか見る機会がありませんからね。「迷子の警察音楽隊」という映画も、手に入れられればぜひご覧になってください。
Unknown (mari)
2009-10-14 14:47:42
こんにちわ!
コメント&トラバありがとうございました。
息子さんとご覧になったんですね。
親子でこういう映画を見に行くなんてステキです!

半年前に見たんですが、レビューを拝見させて頂いて、また見たいな~と思いました。
mariさん (kimion20002000)
2009-10-14 18:07:17
こんにちは。

息子といったのは、ゴダールの映画ですけどね。
あれ以来は、行ってませんが(笑)

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