サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

生き難さ/加藤和彦(ミュージシャン)/62歳

2009年10月18日 | 毎日がメメント・モリ

「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦さん自殺


 長野県警軽井沢署は17日、同県軽井沢町のホテル客室の浴室で首をつって死んでいた男性が、東京都港区六本木、音楽プロデューサー加藤和彦さん(62)と確認されたと発表した。


 室内で見つかった2通の遺書には、音楽に対する悩みなどがつづられていた。同署は自殺とみている。


 捜査関係者によると、遺書は、音楽関係者とホテルあてで、印字されており、宿泊前に用意されていた可能性が高いという。


 「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」などのヒット曲で知られる加藤さんは、多彩な音楽活動を行い、最近まで現役として活躍していた。


 「ザ・フォーク・クルセダーズ」解散後はロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成し、73年に初アルバムを発表。海外でも公演し、日本のバンドが世界進出する先駆けとなった。また、作曲家として、妻だった作詞家の安井かずみさんとのコンビで作った楽曲も多い。映画音楽なども手がけていた。


 2006年にはボーカルに木村カエラさんを迎え「ミカ・バンド」を再開したほか、坂崎幸之助さんと組んだ「和幸」などで活躍。今月行われた松任谷由実さんのコンサートにゲスト出演、元気な姿を見せた。来月5日にチャリティーコンサート出演の予定もあった。


 告別式は近親者で行い、後日、お別れの会を開く予定。

放送禁止歌というのは昔からあるものだが、僕たちの世代でいえば、自覚化したのは「イムジン河」からであったかもしれない。
昭和42年、加藤和彦がよびかけて結成したザ・フォーククルセダーズの歌で知った。
ちょうど、中学生の頃で、ギターを弾き始めた頃だった。

加藤和彦さんは、いつもニコニコと笑っておられて、それで日本のPOPSの最先端を走っていた人だ。
ファッションも進んでいて、2番目の奥さんだったか、亡くなられた安井かづみさんと並んでおられた時など、かっこいいなと思ったものだ。

自殺の原因は今の時点では分からないが、律儀な人らしいので遺書もあり、ある程度のことはそのうち明らかになるかもしれない。
欝症で悩んでおられたという話も、聞いた事がある。

60年代、70年代のあの頃は、自由なのりで「歌」をつくり、それが支持されてお金ももうかったのだろう。
いまでも、トップミュージシャンであることには変わりはないが、責任も増え、生き難い世の中だと感じられたかもしれないし、彼なりの美意識もあったのだろう・・・合掌!


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2 コメント

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加藤さんのご冥福を祈ります (MIEKO)
2009-10-25 11:26:11
新ブログの方から、TBさせて頂きました。このブログからは、おそらく通常gooブログさんへのTBは支障ないかと思います。

加藤和彦さんは、私は何曲か好きな曲もあったのですけれど、何だか残念な終焉で、時代の変化の波紋のようなことも思われました。
MEIKOさん (kimion20002000)
2009-10-25 12:13:47
こんにちは。

周囲の方たちも、ほとんど予期されてなかったようですね。
僕には彼なりの美意識のあり方だったんだろう、ということが一番すっきりきますね。

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