サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 08329「長江哀歌(エレジー)」★★★★★★★★☆☆

2008年10月11日 | 座布団シネマ:た行

長江の三峡ダム建設のため、水没する運命の古都・奉節を舞台にした人間讃歌。『世界』などのジャ・ジャンクー監督がタバコ、草、酒、茶、飴という市民の生活に根ざした嗜好品を題材に、美しくせつない物語を紡ぎ出す。『プラットホーム』のハン・サンミンが等身大の中年男を好演し、現地で起用された素人俳優たちと素晴らしいアンサンブルをみせる。本作は力強く生きる人々の現実と景勝地の最後のきらめきをとらえ、2006年ベネチア国際映画祭でグランプリを獲得した。[もっと詳しく]

荒れ果てた虚無の中で、まだ人間は「嗜好」することができる。

長江は東西6300kmを悠然と流れるアジア最大の大河である。
支流は上海、武漢、重慶に通じ、4億人の民がその恩恵を受けている。
三峡渓谷は全長240kmにわたり、西は四川省、東は湖北省にまたがっている。
李白・杜甫を待つまでもなく、三国志の舞台や水墨画の世界で、僕たちにもどこか懐かしくなるような大陸のかすかな記憶を呼び戻すような場所である。
三峡ダム建設は、「万里の長城」に匹敵するような、悠久なる国家的事業として、意図されたといってもいい。
もともと、アジア的統治様式の核にあるのが、灌漑事業であった。
王は水を制御し、大地に農業をおこし、民を養わなければならない。
民はその生産から王に税を献上する。



三峡ダムは革命の士である孫文が発案した。
しかし国共内戦で計画は中断し、毛沢東にとっても悲願ではあったが文化大革命で中断し、そして2004年に再び着工され、今年(08年)にはほぼ完成されるといわれている。
それはどれほど巨大なものか。
ダムの高さは218m、幅は2.5kmに及ぶ。貯水池の周囲は、660km。
もちろん水力発電設備としては、世界に例を見ない規模である。
三峡ダムだけで日本のダムの総貯水量の2倍にあたる。
日本の有名な黒部ダムの200倍に相当するというが、ちょっと想像できない。



もちろん、これほど巨大なダム建設を巡っては、反対意見も根強くある。
まずは住民の強制転居問題。現在までに百数十万人、さらに二百万人以上が退去のリストに入っている。
退去民への補償は少なく、貧困層を新たに生み出し、周辺地域に送り出すことになる。
名勝旧跡のいくつかも水没し、長江クルーズの光景も大幅に変わると予想される。
自然・環境への深刻な影響を指摘する向きもある。
水質汚染や地震をひきおこすのではとの危惧や、四川盆地の旱魃との連関を警告する学者もいる。
ダムの決壊にいたれば未曾有の災害が引き起こされるのは当然である。
なにより、土砂堆積でいずれ無用のダムになるのではないかという指摘が、当局がもっとも気にしている風聞らしい。



ジャ・ジャンクー監督は、中国山西省の小さな村の出身である。
彼が現在までに舞台にしてきたのも、資本制の進展の中で、近代化の歪を受けながら、退屈な日常を抱え込むしかない埃にさらされた地方都市の若者たちの、行き場のない鬱屈のようなものであった。
今回の「長江哀歌」の世界は、ジャ・ジャンクー監督にはあまり土地勘がない舞台である。
しかしジャ・ジャンクー監督は、友人であるカメラマンがこの三峡ダム建設地を撮影するのにつきあいながら、ここに現代中国の「象徴」を強く感じたのであろう。
現場はもう「今」しか撮る事が出来ない。
「今」ある光景が、労働する人々の背中が、河岸の建物が、明日も同じようにあるかどうかわからない。
毎日、槌音が響いている。
瓦礫の山が、崩れたり、新しく積み重ねられたりしている。
それが中国なのだ。
悠久の数千年の歴史の流れが、現在では途方もないスピードに加速され、発展という名で、その風景を一変させようとしている・・・。



00年から02年、ともあれ、ジャ・ジャンクー監督はなにかに憑かれた様に、HDVカムを回し始めた。
そして、このあたかもセミ・ドキュメンタリーのような物語のために、ふたりの主演役者を起用した。
ひとりは「プラットフォーム」(00年)にも出演していた、ハン・サンミン。
うだつのあがらない中年男だが、独特の哀愁がある。
誰かに似ているなぁ、と思っていて、ハタっと思いついて、映画を見ながらひとりくすっと笑ってしまった。
泉谷しげるとグルメ評論家の山本益博と俳優の香川照之を足して3で割ったみたいだなぁと、突然思ってしまったのだ。
もうひとりは、ジャ・ジャンクー映画には欠かせないミューズであるチャオ・タオ。



ハン・サンミンは16年前に別れた妻子を探しに、三峡ダム建設のため「死刑宣告を受けたかのような町」奉節にやってきた山西省の炭鉱労働者。
船上生活をしている義兄を見つけるが、妻は義兄の借金3万元のかたに連れて行かれ、しばらく戻ってこないらしい。
妻の帰りを待つ間、建物の解体の仕事にありつき、人の良さそうなアパートの主人から住む部屋も借りられることになる。
出稼ぎ労働者たちの悲惨な労働環境が淡々と映し出される。
解体仕事もきわめて人力に頼った原始的なものだ。
ひたすらの労働集約。
仲良くなったチョウ・ヨンファきどりの若者マークも、事故であっけなく死んでしまう。



チャオ・タオは2年前に家を出たきりの夫を尋ねて来た。
知人のワンの好意で夫探しを助けてもらうが、夫は「住民撤去管理部」におり、このあたりを仕切っているディン女史と懇ろなようだ。
ペットボトルにお茶を詰め替えながら、チャオ・タオはあまり喜怒哀楽の表情を出さずに、転々と夫と会うために、場所を移動する。
夫と会うことは出来たが、なんだか夫のこころはもう自分を向いていないようだ。
「私、好きな人が出来たから、離婚したいの」と彼女はいう。
「好きな人が出来た」というのは嘘かもしれない。
けれど、彼女に、もう踏ん切りはついている。



ハン・サンミンもチャオ・タオも、滔滔と流れたり激しく荒れ狂ったりする長江を、じっと見つめる。
朝方の霧に煙る風景や、夕刻の残照に塗られた峡谷に、ひとり静かに佇む。
途方もなく巨大で、果てしなく無慈悲で、そんななにかが自分たちの運命を弄ぶ。
そんななにかの存在を、無意識に感じている。
自分たちの生きている時間、家族のいっしょにいる時間、生まれ故郷の中で培ってきた時間、そんな時間はここ三峡ダムの建設地の喧騒の中では、うたかたのようにも感じられる。
あまりにもこの世界は、もっと異質な力で、あるいはもっと即物的な動機で、人を呑みこんでいるのではないか・・・。



けれど奇妙なことなのだが、ハン・サンミンにもチャオ・タンにも、悲惨な疲弊した翳をあまり感じない。
そのことが、観客にとっては少なからずの救いとなっている。
タバコ、酒、茶、飴といった嗜好品が、この作品の章立てとなっている。
その影響もあるのかもしれない。
荒れ果てた奇妙な世界の果てのようなこの地にあっても、まだ人間は「嗜好」することができる。
それはたぶん、ひとときの一服、労働のあとの酔い、埃の中での喉の潤し、味覚を通じての郷愁、それぞれはどんなに些細な行為であろうとも、個別の身体に満ちていくものだから・・・。



ジャ・ジャンクー36歳の作品。
06年ベネチア国際映画祭で金獅子賞受賞。
そのときの審査委員長はカトリーヌ・ドヌーブであり、この作品に感激した彼女は、再度のサプライズ上映を要望したという。
原題は「三峡好人」、好人とは善人という意味らしい。
冒頭の船のシーン。パン撮影で、霧に舫っている河を渡る船上の人々を、船頭から船尾へカメラはゆっくりゆっくり移動する。
まるで、巻画を展げたように。
眠りに入っている者、子どもを背負う者、笑いこける者、仕事をする者、口を頬張らせる者、煙草を燻らす者・・・。
だれが好人でだれが好人でないのか。
いや、すべての人は、みな好人であるのかもしれない。
船上の人々はだれも、自分たちを包囲する世界が、自分たちをどこからどこに連れて行こうとしているのか、その本当のところを微塵も知る術もないのだから。


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10 コメント

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本当に (メル)
2008-10-12 07:21:16
中国は変わりつつあるんですよね〜。
こんな田舎まで。
昨年の10月に上海に行ってきたんですが、
ちょっと田舎に行けばまだまだかつての中国
らしい建物とかあったんですが、そのうちの半分くらいは、もうすぐ壊して大きなビルになると聞き、
こんなにも急激に・・と驚きましたが、この映画でも
そんな中国が良く現れてましたよね。
山並みが迫った、この広いたおやかに流れてる川が
ずっとあり続けて欲しいなぁ、と思いました。
メルさん (kimion20002000)
2008-10-12 13:02:22
こんにちは。
僕も、中国の内陸部のある町に、仕事がらみで、数年訪れましたが、行くごとに、町の形態が変わっていて、くらくらした覚えがあります。
こんにちは♪ (ミチ)
2008-10-12 16:24:57
登場する人物が皆、昭和っぽい顔をしているな〜と思いました。
オリンピックも終わり、もうすぐダムも完成し、中国はこのままとんとん拍子にいくんでしょうかねぇ?
高度成長のツケが出てきているような気もしますが・・。
どこの国も通る道ってことでしょうか。
ミチさん (kimion20002000)
2008-10-12 18:24:26
こんにちは。

>昭和っぽい顔

はは、そうですね。
ちょっと懐かしさを感じてしまいますね。
ジャジャンクー監督 (やく)
2008-10-13 11:29:57
彼の感性が素晴らしいです。
最近はどんどん新しい映画が上映されては消えていくなかで、彼の映像は、時間がたってもいろんなシーンが目に焼きついてしっかり心に残るのです。
こちらのブログ写真を見させていただいて、またあの切ない感動がくっきりよみがえってきました。
ありがとうございました。
やくさん (kimion20002000)
2008-10-13 11:37:10
こんにちは。
そうですね、とても印象的な構図を撮る監督さんですね。ドキュメント風ですから、撮影にはあんまり時間を使わない監督さんなんですけどね。
TB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2008-10-14 01:19:29
批判しまくった前作「世界」から大きく変わってはいないのでしょうが、本作のジャ・ジャンクーには感心しましたね。
長回しに句読点が打てるようになった気がしますし、元来の構図の良さが断然生きてきたように思います。

小汚い景色も絵になってしまう。映像に生活詩があるんでしょう。それが言わば俳諧の世界。
尤も、遊覧船が山峡を通るショットでは、絶句が思い出されましたが。
オカピーさん (kimion20002000)
2008-10-14 09:40:35
こんにちは。
「長回しに句読点」というのは、いい表現ですね。
章立ても、かなり意識して、構成されたものだと思いました。
今年ですか・・・ (latifa)
2008-10-17 15:27:59
kimionさん、こんにちは。
>ジャ・ジャンクー監督は、中国山西省の小さな村の出身
 そうでしたか・・・。やっぱりそうか・・という気がしました。この映画を通して描くなんていうか・・監督の郷愁というかがとても深いように感じました・・。

今年完成予定なんですね・・一体どんなダムになるのやら・・。
latifaさん (kimion20002000)
2008-10-18 01:06:54
こんにちは。
公式には2009年完成ですが、今年中に、ほとんどはスタンバイと聞いています。
大きな事故がおきないことを、祈りたいですね。

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