サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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秘密は墓場に/瀬島龍三(元伊藤忠商事会長)/95歳

2007年09月03日 | 毎日がメメント・モリ

瀬島龍三氏が死去 元伊藤忠商事会長


9月4日3時9分配信 産経新聞


おそらく

 旧大本営陸軍部参謀で、戦後は臨時行政調査会(臨調)や、臨時行政改革推進審議会(行革審)などの委員を歴任した、元伊藤忠商事会長、瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が4日午前0時55分、都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。富山県出身。葬儀・告別式等詳細は未定。
 陸軍大学校卒。昭和14年、大本営陸軍部参謀、のちに同海軍参謀兼務(作戦課)。敗戦と同時に旧ソ連に11年間抑留され、31年8月帰国。33年1月伊藤忠商事入社。53年6月同社取締役会長、56年6月相談役、62年7月から特別顧問、平成12年に退任。
 昭和50年代から日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭など財界の要職のほか、臨調、新・旧行革審議会の委員を務め、“小さな政府”づくりに尽力した。また、平成3年9月には外相の諮問機関・外交強化懇談会の座長に就任し、日本の外交政策のあり方をまとめた。

よくも悪くも「参謀」というのは、こういう人のことを言うんだろうと思う。
僕のところに、よく、勘違いしたコンサルが、相談に来る。
「あの会社の社長は、開発はいいんだけど、マネジメントは駄目だから、参謀を紹介してくださいよ」といった類だ。参謀は、マネジメントでも実務専門家でもない。
現状を分析し、大所に立って、戦略を構築しながら、物事を前に進めていく、あるいは、不可能を可能にしていく、人のことをいうんだろうと思う。
この「大所」に立って、ということが問われるのである。
思想家とか宗教家で、知恵袋といわれる人もいる。陽明学の安岡正篤などがそうである。
また、清濁併せ呑んだようなかたちのネットワークで、独自の影響力をもたらすフィクサーと呼ばれる人もいる。右から左まで包摂して、戦後の特殊なプロデュース役になった田中清玄のような人である。
瀬島龍三は、そのどちらのタイプでもなかったような気がする。
おそらく、この秀才の「秘密」は、10年以上にわたる「シベリア抑留」にあるだろう。
東西冷戦の歴史のなかで、日本が果たした役割の、ある「密使」のようなミッションがあったのではないか、というのが僕が勝手に持っている推論みたいなものだ。
伊藤忠を舞台に、総合商社にのしあがったのも、中曽根以下の時の権力者のブレーンとなりながら、「行革」の立役者となったことも、本当は、ある「密使」としてのミッションの一部であったように思われる。
終生、ほんとうの秘密を明かすことはなく、墓場まで持っていったのだろう。
もう、こういう人は出てこないかもしれない。あとは、小粒な学者たちが、うろちょろする世界だ。・・・合掌!!



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2 コメント

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ほんとに・・・ (7R4-3)
2007-10-08 15:43:21
全てを墓場まで持っていってよかったんだろうか?
7R4-3さん (kimion20002000)
2007-10-08 23:47:38
もちろん、個人的には「ひでぇ野郎だ」と思ったりしますけどね。

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