
歌手の森山良子が他界した兄を想い作詞した、「涙(なだ)そうそう」の世界観をモチーフに映画化した愛の物語。『いま、会いにゆきます』の土井裕泰監督が『春の雪』の妻夫木聡と『ラフ ROUGH』の長澤まさみをダブル主演に迎え、幼くして親を亡くした兄と血の繋がらない妹が、沖縄を舞台におりなす、切なくも美しい愛を映し出す。流れる普遍的な愛のテーマと心に響く主題歌、主演ふたりのさわやかな演技に思わず涙がこぼれ落ちる感動作。[もっと詳しく]
「テレビドラマの拡張」のような物語が、我が物顔にスクリーンを占拠し始めている。
別にテレビ(民放)出の、プロデューサーや演出家を、低く見ているわけではない。
また、フジテレビやTBSが、映画事業として制作委員会のトップに名前を掲げて、テレビドラマとの連動や番宣よろしく特報・予告編をバンバンとテレビを使って、スポットすることの是非を問うているわけではない。
けれど、厳しい視聴率競争と、お手軽な原作探し、下請けへの丸投げ体質、好感度スターへの依存あるいは使い捨てといった、ここしばらくのテレビドラマ事情を、知ったかぶりで言わせてもらえば、「テレビドラマの拡張」といった感じの邦画が、とても増えてきているような感じがして、「なんだかな」と一抹の寂しさを味わうのである。
この「涙そうそう」にしても、TBSの名物プロデューサーである八木康夫が製作の陣頭指揮をとり、同じくTBS演出の土井裕泰が「いま、会いに行きます」に続いての2作目の監督作品となっている。
脚本は、テレビ界で「天皇」ともされる倉本聡の「富良野塾」の愛弟子ともいえる吉田紀子。
「セカチュー」あたりからの一連の若手文芸あるいはミステリー作家の「愛」を巡る「物語」の映画化を指してみてもいい、あるいは「踊る大走査線」のヒットに気を良くしたフジテレビの亀山一家が次々と脇役をレジェンド化して、特別2時間枠なのか映画版なのか「どちらでもいいっしょ!」という感じで、シリーズ化していく流れをとりあげてみてもいい、もっといえば「実話」をもとにした難病あるいは障害要因に、立ち向かっていく本人や周囲を、感動物語として提出していく一連の作品群もそうだ、といってもいい。
堂々とした「通俗」作品群である。
「座布団シネマ」の怠惰な寝っころがり派である僕ではあるが、スクリーンでみる映像作品と自宅で連日消費されるテレビ番組との間には、たとえ、薄い境界膜であろうとも、厳然として「違い」が存在するんだ、という言い方をしてみたくなる。
個別のスタッフの優劣を問うているわけではない。
多くのテレビドラマの製作サイドにある基本のレシピのようなもの、「これじゃ話題にならない」「ここ、泣かせどころね」「スポンサーがちょっと」・・・といった思惑が現場を左右する空気のようなもの、それは、テレビの世界にとどめておいて欲しいという気がするのだ。
一体いつから僕たちは、映画の封切りにあわせて、そのテレビシリーズ版を見たり、スペシャル特番をみたりして、双方の出演者をつい混在して記憶してしまうような事態を、当たり前のように受容しだしたのだろうか?
映画館で開始を待つワクワク感は、どこに行ってしまったのだ?
2001年、那覇の公設市場、食材運びに忙しい洋太郎(妻夫木聡)。
今日は、島から妹カオル(長澤まさみ)が高校に通うため洋太郎のアパートに越してくる日。
洋太郎が8歳のとき、母光江(小泉今日子)が再婚したトランペット吹きの義父(中村達也)が連れ歩いていたのが幼いカオル。ほどなくして、義父は家を出て、母も病で死ぬ。
血のつながらない兄妹は、オバァ(平良とみ)に預けられたが、洋太郎はひと足早く那覇に出て、自分の店を持つという夢のために、そしてカオリの面倒をみるという決意のために、昼夜を問わず、懸命に働いていたのだ。
洋太郎はカオルを恋人恵子(麻生久美子)や友人勇一(塚本高史)に自慢げに紹介する。
あっという間に年月が過ぎ、カオルは大学合格を機に、洋太郎のアパートを出て、一人住まいを始めることになるのだが・・・・。
この物語はよくあるような、本土から沖縄に自然や人情や癒しを求めて、移住したり滞在したり旅をしたり、といったお話ではない。
沖縄という戦後の物語をとってみれば、決して珍しいシチュエーションではないのだろうが、家族を欠損している母と息子、そして父と娘が出会い、運命は血のつながらない兄妹を孤立させ、またそのぶんだけ兄妹の紐帯は深まり、その深まった紐帯が「近親相姦」に対する「擬似禁忌」を生み出していく・・・それだけの話だ。
もともと、1998年にBEGIN作曲、森山良子作詞で、誕生した「涙そうそう」。
「涙がとめどなく流れる。涙がポロポロ止まらない」という意味だが、森山良子は若くして他界した兄を想って作詞した。
2001年夏川りみがカバーして100万枚を超える大ヒット。紅白も数年続いて、この曲が定番のように歌われている。
その歌詞から着想を得るかたちで、シナリオが生成され、本作の映画化に至った。
ノベルズを読んではみたが、別に歌の感動に拮抗するわけでもなく、こういうお話が想像できますね、というレベルの、薄っぺらいお話にしか過ぎない。
しかし「一番深く想う人、その人との涙そうそう」というテーマは、誰もが多かれ少なかれ記憶の底に沈めているものであり、当然のように感傷を誘うことになる。
母から「カオルはひとりぼっちだからあなたが守ってあげなさい」と遺言のように言われ、忠実にカオルのために生きてきた洋太郎という無類に善である兄と、彼に全的な信頼を預けているカオルという健気な妹を、妻夫木と長澤はとてもよく演じている。
特に、「悲しくてどうしても涙が止まらないときは、鼻をつまむのよ」と母に教えられ、それを習慣のようにしてしまった兄妹の仕種、けれど、ラストの悲劇にあって、「泣きたいときは思いっきり泣けばいいさ」とオバァに言われ、号泣するシーンは、観客の多くが「涙そうそう」になりそうになるだろう。
2006年9月30日に、全国329館で上映開始、10月18日には観客動員150万人を突破した。
テレビ局の映画事業部としては、「してやったり」という思いであろうし、この上映館数はやはり、テレビ局というメディアを持つもののパワーであろう。
けれども、このスタッフたちはついぞ映画の世界に、それ以上を求めようとはしない。
僕には、それは、テレビの世界で育った者たちの資質あるいは馴れのように思われてならないのだ。
主人公の兄妹をめぐる俳優陣に豪華なキャストを配備しているが、なにひとつ、この兄妹に対して、異なる視線を提出してくれるわけではない。
ブーゲンビリアの花が咲き乱れ、シーサが陣取る島の家があり、猥雑な公設市場やクラブがあり、貧しげな那覇市の片隅のアパートがあり、エイサーの祭りのエネルギーがあり、伊計島の東海岸で撮影されたという真夏の抜けるような海と空の青があり、入道雲があり、厳しい台風もある。
そうしたシーンはけれど、結局、絵葉書のように、僕たちに並べて順繰りに提出される。
「きれいな絵が撮れましたね」「沖縄らしいカットですね」・・・それ以上でも、以下でもない。
ひとつのテレビドラマシリーズとして1クールの時間をもらえれば、周辺の人物たちの輪郭ももっと描けるでしょう、90分の枠に押さえるにはあれが精一杯ですよ、という声が聴こえてくる。それもまた、テレビ的な発想でしか過ぎないというのに・・・。
本当はもっともっと無数の「涙そうそう」が、たとえこの貧しい原作をもとにしたとしても、映画化されるのを待っているのかもしれない、と僕は思う。
無数の「未成」の可能性としての映像を経てはじめて、幸運にも、ひとつの映像が世に出ることになる。
そしてその僥倖に恵まれた映像作家や、スタッフや、役者たちが、結果として存在し、評価を受け取ることになる。
未成の無数の物語・・・それは、洋太郎とカオルの「性」をめぐる葛藤かもしれない。
ミュージシャンである父の身勝手な放浪のはじまりかもしれない。
母やオバァが海の向こうにある種の信仰のように思い描いていた母系の国かもしれない。
公設市場で三線を弾き出す女の物語かもしれない。
エイサーの祭りにこめられた琉球の時代からの怨みの伝承であるかもしれない・・・・。
けれど、消費される映画群の送り手たちは、「感動の押し売り」にも似たマーケティングをそこそこ果たせば、もう次の感動を探しだすことに汲々となる。
もしかしたら多くの観客もまた!
僕たちが映画から見たいのは、作品を通じてその背後にある無数の未成の物語を発見することであり、ついにはフィルム化されなかった物語を想像することなのかもしれない。
そして、監督をはじめとしたスタッフ&キャストの面々が、何にこだわり何を捨てたのか、あるいは捨てきれなかったのか、そのことを見極めることによって、無意識に彼らの想いを受け止めようとしているのかもしれない。
にもかかわらず、僕たちは、そうした「映画との対話」を意味なきものとされているような感じを持つことがしばしばある。
映画はただ、多くの観客に支持されればよい、勝つか負けるかだ、というしかない風潮のなかで。














それも偏ってて
映画検定とったど〜ってひとと同じ土俵で書いてると
文章も内容もアハハハ〜な出来なんですが、
ただ、好きか嫌いか、
自分の感性に合う合わないといういい方しか出来ず、
そういう意味では正直言うと
これだけたくさんの観客動員をたたき出したのは
自分には不思議で仕方ない・・という作品でした。
部分的に琴線にふれるとこがあるだけで
ドワ〜ッと泣くので
この映画ではラストのオバァのひとことにノックアウトでしたが
仮に映画そのものに感動できなくても
何か心に残してくれるものがあれば
それをブログで書けばいいかなと。
涙そうそう・・という歌から発展して作ったにしては
とってつけたようなアイテム(アルバム)があるだけで
なんかさめてしまい、
沖縄というイメージ、みんな穏やかで優しくて明るくて
なんでも「なんくるないさ」で笑って乗り切れるような
タイヨウの国見たく思ってるけど
それ良くも悪くも固定観念やって聞くと
映画というメディアがもたらす影響も怖いなって・・・。
まあ、僕も涙脆いほうだから、グスンとは来ます。映画の送り手たちもプロだから、そのあたりのツボは充分過ぎるほど、わかっているはずです。
でもね、その涙って一過性のもので、この映画を見終わったもの同士が、涙を拭きつつ、喫茶店でどんな話をするんだろう、と思うんです。
よかったね。可哀想だったね。画面がきれいだったわね。オバァの一言が感動するね。ふたりともいい演技ね。・・・それで?
という気がするわけです。
いいじゃん、それで。1800円の価値はあったんだから!っていわれると、そうですね、としか言えないんだけどさ(笑)
TBありがとうございました。
アメブロで「★試写会中毒★」を書いてますmichiと申します。
二日ほど前から、gooサンへ一切のTBができなくなってしまい、
更に、URLを載せてもエラーとなってしまうため(コメント覧へのURL表示もエラーになってしまいます 泣)、URLナシでこちらへコメントさせていただきました。
申し訳ありません。。。。
本作品、想像では、もっと兄妹の心の葛藤があるのかと思ってたんですが、
その辺りは以外にアッサリしていたなぁという感じです。
ラストでカオルが鼻をつままないで泣いていたのが印象的でした。
TBありがとうございます。
日本映画が今 勢いがある なんて思ってたら 柳の下のドジョウとばかりに 「涙」の大安売り、サァ〜泣け どう?泣けるでしょう? 純愛だよ〜知ってるゥ? 大きなお世話なんだよ!と 言いたい作品ばっかりです。
それでも 期待してしまいます、さてと 次は何を見ようかな?です。今後ともどうぞよろしく!
gooとアメブロは、結構、相性が悪くなることがありますね。
兄妹の葛藤なんですけどね。船で渡ってきた最初の日に、いきなり成長したカオルのドギマギして、アパートで無防備なカオルの短パン姿に怒ってしまう。結局、そこなんですね。成長のスピード!観客も、ドキっとするような撮り方をして欲しかったですね。
難しいところでね。
評判のいい映画ばっかりをみていても、つまらないし、ひどいだろうと思っても、思わぬ拾い物があったり・・・。
まあこれは、身銭を切って、時間を使って、経験し続けないと、どうしようもないけどね。
ありがとうございました。
素人目線のレビューで申し訳ありませんが、「デュエリスト」もトラックバックさせていただきました。
今年一番泣いた映画かもしれません。
当然ですが僕も含めてみんな、素人目線ですから。
それでいいと思います。
>halさん
ちゃんと泣けるということはいいことです。カタルシスになりますね。泣くぞと待ち構えているのに、泣けないのは、つらいですね(笑)
私はこの映画は主演俳優のふたりでどうにかなってると思いました。
そういうのも有りかなーと自分の中で許容したつもりでしたが・・・
kimion20002000さんの記事を読んで色々参考になりました。
観客ももうちょっと厳しくならなくちゃダメですよね(笑)。
映画ってある意味で言えば、スターが輝いているかどうかっていうところは大切だと思います。
そういう意味では、主役のふたりには、オーラを感じましたし、旬のスターだなと思わせられました。
「アンディの日記シネマ版」のこーいちです。
gooブログにはTB&URL付きのコメントはできないので
URLなしでコメントさせて頂きます。
僕は今年になってたくさん映画を観るようになった素人なので
えらそうなことは言えないのですが、最近ようやく
映画とテレビの違いが分かってきた気がします。
この作品も正直ドラマの延長にしか感じなくてイマイチでした。。
深みがなくて所々でウルっとくる程度、
どこがいいのかよくわかりませんでした(苦笑)。
でも世間ではウケてますし僕の弟も「泣けないことが分からない」
と言っていたので、感覚の違いに驚かされました。
せっかく劇場で観るのにこういう映画が増えると寂しいですよね。。
最近では「虹の女神」が映画らしくて好きでしたw
逆に言えばね、僕はあまりみないけどさ、いいテレビドラマってさ、芸術祭云々じゃなくても、結構、よく出来ていたりするんですよ。たとえば、「結婚できない男」なんてさ、とってもおもしろくて、テレビにかじりついて見ていましたよ。
だから、テレビはテレビで、大衆娯楽なんだから、お笑い芸人ばっかに占拠されずにさ、みんなが愉しめるドラマをもっと作ってよ、といいたいわけね。
コメントありがとう♪
>テレビを拡張したような「感動物語」が、
我が物顔にスクリーンを占拠し始めている。
うん、言わんとしていることはすごく良くわかります。
私はこの映画泣けなかった。
泣かせようとしているから、泣けなかった(苦笑)
これ、映画よりもドラマの方が良かったかも。
時間が足りない感じがしたし。
また、よろしくです♪
僕も、ときどき、テレビドラマスペシャルなんかみて、泣いちゃうほうだからな。そういうのでは、いいな。
「愛する人と死に別れる悲しい物語」ばかり作って何が楽しいんだろう。
「悲しいから泣ける」のではなく「感動し、心動かされるから泣ける」映画が観たいです。
温かい映画でしたが、確かにテレビでもよかったんじゃないか?
と思うような物語の掘り下げ方だったように思います。
映画化をドラマ化、ドラマを映画化、コミックを実写化などが最近目立ちすぎていて、
作り手もっと頑張れ!とついつい言いたくなってしまいます。
・・・といいつつ、Dr.コトーのドラマはこだわりが感じられていて好きなんですけどね(笑)
みんな、泣きたいし、笑いたいし、話題にもついていきたいし。
それ自体は、当たり前のことだと、思うんですね。
やっぱり、誰かさんじゃないけど、「感動した!」症候群という奴かもしれませんね。
>mapleさん
Dr.コトーが(同じ脚本家ですが)高視聴率を上げるのは、よくわかるし、良心的な番組だと思いますね。ああいう、ドラマが、テレビでもっと増えて欲しいと思います。
コメント、ありがとうございます。
私は涙そうそうでした
「感動しました。」・・・これって、本当どこかで聞いフレーズですね。
TV局って宣伝が上手だなと思います。
つい観に行きたくなってしまいますもの。
しかも 作り手の計算にまんまとハメられている事に気が付きながら・・・、
やっぱり泣いてしまいました。
みんなが、感動するということは、やはり、いくつかの普遍的な要素を備えている作品だからと思います。
映画館でみんが静かに感動にひたることは、一国の首相がパフォーマンスで「感動した!」などとわめきたてる事とは異なり、いい事だとは思います。
>オリーブさん
たとえば、この作品のいくつかの箇所で、胸がつまらなければ、情緒障害といわれかねないかも、しれません(笑)
ただ、どこか、「パブロフの犬」ではないけど、ああここで泣かされちゃうのいやだなあ、と思うことがあるんです。自分のツボにはまって、それぞれがそれぞれの体験と干渉する部分で泣くのはいいんだけど、さあ、なく場面ですよ、というのが、露骨に感じすぎるときなんかはね。
ここのところのTVシリーズ映画に、ちょっと辟易してきた、このガッカリ感はなにかしら?と思っていたことを、ばっさり書いてくださって、気持ちよかったです。
私もまたお邪魔したしますね。
とりあえず、レヴューするときは、公式サイトだけささっと覗くようにしているんです。当然、マーケット対象があるんですけどね、この「涙そうそう」の公式サイトみていてもね、甘っちょろく撫ぜているだけで、腹立たしくなってくるんですよ。
低予算で単館上映の映画でも、配給元が、一生懸命情報を伝えようとしているサイトがあるじゃないですか。感心するんです。でも、このサイトはね、とにかく映画館にこさせりゃいい、それ以上の情報は、観客は知る必要はない、みたいな送り手側の姿勢が透けて見えるようなつくりなんです。
個別のスタッフや役者さんや、撮影協力した地元の方たちは、一生懸命だと思うんですけどね。
「涙そうそう」は観てませんが、確かに最近日本映画の隆盛?というでしょうか、妙に作品数が増えていますが、粗製乱造という感もありますよね。とはいうものの、結局は観てみないと中身はわからないですね。でも、全部観るほど、時間もお金もない。そこが問題だ。
ここ1,2年の邦画の充実振りは、すごいです。
一時期、お子様映画と、Vシネマラインと、空疎な超大作主義と自己満足な表現映画がほとんどを占めていました。現在では、底辺含め、各界の表現者もコラボレートしながら、世界に出してもおかしくない作品が目白押しです。
とても嬉しいことです。
だから、逆に、中途半端な、テレビ主義に、なびくのが、抵抗があります。
血のつながらない兄と妹・・、というより兄と妹全般、兄にとって妹って聖域のような存在なのかしら?と思いました。
この映画では兄と妹のエピソードがどれも胸がつまるのですが、とくに好きなのは、妹の高校の入学式のシーン、妹の担任と兄との2者面談のシーン。
学歴のない兄が妹にだけはと思う気持ちがせつなくて・・あららら、思い出してまた涙出ちゃっいました・・胸がきゅうんです。
私もTV局主導の映画は「なんだかなぁ~」と醒めた目で観てしまうのですが、
私は家族を描いた作品が好きなので、この作品は素直に泣いてしまいました。
主演の二人の勢いのある演技も良かったけど、
麻生久美子の落ち着いた演技が作品を支え、リアリティを与えていたような印象を受けました。
僕は妹はいないんですけどね。でも、妹という存在には、憧れが会って、観念的には、まず、なによりも一義においてしまうのではないかと、思っています。
>BCさん
最初に、妹と出会ったときから、兄と妹の間にある、他人が入れない空気のようなものを感じ取りますね。このへん、女性は、するどく、嗅ぎ当てるんですね。
予定調和のようなラストは食傷気味でした。
泣けるや売れるといった事よりも、映画作品を作る姿勢が見えてくる作品に触れたいですね。
役者やショットは良いのですが・・・♪
たしかに、泣けるんですけどね。
でも、もうひとつ、ふくらみがないと思うんです。
役者さんのせいではないと思います。
これはメル友さんがいち早く観て「泣けた」と言った時点で「止めた」と思いました(爆苦笑)
あまのじゃく と自分でも思うのですが、どうも一連のお涙頂戴群の類かな?と・・・。
こちらを拝読して、やはり観ないでもいい映画の部類だったな〜と納得!f^_^;
感動したとおっしゃる方には本当に失礼な話だな とは思うのですが・・・(苦笑)
読ませて頂いて、ホント!溜飲が下がる思いが致しましたので、ついつい出しゃばってしまいました。(^_^ゞすみませぬ
泣いたり、通俗で感動したりするのは、嫌いじゃないんですけどね(笑)
ちょっと、テレビ局と広告代理店のメディアミックス展開に、まんま乗せられるのは、シャクにさわるんですね。
これも天邪鬼か(笑)
個人的にはこの映画はとてもよかったです♪
色んな意見があると思いますが、感じ方や、とらえ方は人によって全然違いますからね(^O^)
やはり人間誰でも面白そうな映画にひかれてしまいますからね(^^;;
そう、自分がどう感じるか、だけです。
人の意見は、フーンと思えばいいのです(笑)
好きな映画を体験するのは、とてもいいことですよ。
さすがkimionさん、言いたいことを全て仰ってくれました。
現象としてTV界が映画界を席捲しても構わないですが、きちんとしたものを作ってくれないと結局映画のレベルは下がり、観客のレベルが下がる。観客のレベルが下がれば映画のレベルの下がる。悪循環です。
私も泣き虫ですから相当おざなりの作品でもつい涙がポロリということもありますが、本作でも<死>の扱いが余りにもひどい。観客も<死>という現象を観るだけで機械的に感動してしまうのでは能がないでしょう。
いい、役者も揃えているんですけどね。
なんか、製作態度が、透けて見えるんですね。
TBコメント有り難うございました.
おっしゃることはよく判ります.
僕も別のジャニーズ系のタレントが主演の映画で,「映画を舐めるな」という毒舌を吐いたことがありました.
でもこの映画は個人的には好きでした.
その辺なかなか微妙なところなのですが.
一般映画と較べれば、質は高いと思いますし、感情移入はしやすい映画だと思います。
確かにお話は薄っぺらかったですね。妻夫木と長澤まさみは非常に魅力的だったので何とか最後まで見れましたが、他のキャストだったらと思うと…
あっ、ちなみに僕も泣けなかったです。(笑)
観客動員を考えれば、このぐらいの深度の作品のほうが、計算しやすいのかもしれません。
kimion20002000さんのおっしゃる
「TVの拡張」については同感です。
なんか、この作品が、そうした風潮のピークであったかもしれません。ベタさ自体を否定するものではなく、そのてつきが、うんざりとするんですね。