
ホイットニー死去 ドラッグ、アル中、DVと闘った世界的歌姫
デイリースポーツ 2月12日(日)15時37分配信
「オールウェイズ・ラブ・ユー」など数多くのヒット曲を出し、米音楽界最高の栄誉、グラミー賞を6回受賞した米女性人気歌手のホイットニー・ヒューストンさんが11日、死去した。48歳だった。ロサンゼルス近郊の高級住宅地ビバリーヒルズのホテルの客室で死亡しているのを11日、警察当局が確認した。死因は不明。
CNNなど米メディアによると、12日の第54回グラミー賞の発表・授賞式に出席するためロサンゼルスに滞在しており、11日夜はグラミー賞のパーティーに出席するとみられていた。
滞在していたビバリー・ヒルトン・ホテルから911(日本での119番)通報があったのは11日午後3時43分。3時55分、死亡が確認されたという。広報担当者によるとホイットニーさんのボディーガードが遺体を発見したという。
ドラッグ(薬)にアルコール依存症、前夫ボビー・ブラウンからのDV…さまざまなものと闘い続けた世界的な歌姫が48歳の若さで逝った。
ホイットニーさんは2000年にはハワイで大麻を所持しているのが見つかり、訴追され、薬物依存症患者の更生施設に入った。02年には米テレビにコカインなどの薬物やアルコールの依存症に苦しんでいることを告白。04年には更生施設に入り、昨年5月には再びドラッグとアルコール依存症の治療のためリハビリ(更生)施設に入ったと伝えられていた。
03年には夫(当時)のボビーがホイットニーさんの顔を殴り頬や唇に裂傷を負わせた暴行容疑で逮捕、起訴された。ボビーはそれまでも麻薬所持や交通違反で数回逮捕されており、06年にホイットニーさんが離婚を申請。07年に離婚が成立するなど、トラブル続きの結婚生活でもあった。
ホイットニーさんは米ニュージャージー州生まれ。歌手ディオンヌ・ワーウィックはいとこ。子どものころから教会で歌い始め、10代からモデルとしても活躍した。1985年に「そよ風の贈りもの」で歌手デビュー。よく通る高音の歌声が人気を集め、「すべてをあなたに」などヒット曲を連発した。
アルバムやシングル、ビデオを合わせた売り上げは1億7千万枚に上る。
日本人にとっても、マイケルジャクソンの死と同じぐらいのショックがあったかもしれない。
デヴューは1985年『ホイットニー・ヒューストン』のアルバムだが、当然のように大ヒットした。
アレサ・フランクリンが名付け親で生母、ディオンヌ・ワーウィックがいとこ、母シシーもプレスリーのバックコーラスをつとめている。
11歳で聖歌隊のソリストにもなっており、栄光は約束されていたようなものだ。
美貌に恵まれた彼女はファッションモデルでもあったが、87年二枚目のアルバム『ホイットニー』はビツボード初登場一位で女性歌手としてははじめての記録である。
そして92年、ケビン・コスナーとの共演で『ボディガード』、主題歌の入った『オールウェイズ・ラブ・ユー』 は、4200万枚を売り上げている。
前年のスーパーボウルでの彼女の国歌斉唱はいまでも語り草だ。
2000年に大麻所持で捕まっってからはとくにつらい時期が続いたが、2010年には東京公演を皮切りにワールドツアーで復活したかと思われたが、あの強靭な喉も枯れ気味になることがあったとも聞く。
葬儀に、亭主のR&Bのボビー・ブラウンが駆けつけるかどうかはわからないが、本人への周囲の視線は厳しく、針のむしろかもしれない。
彼の暴力沙汰などで夫婦関係も醒め切っていたからだ。
しかし、ボビー・ブラウンだって、90年ごろは大人気だった。
88年のアルバムは1000万枚を記録して、日本でもその髪型や服装を真似る「ボビ男」がたくさん出たほどだ。
つまり人気者同士の絶頂期の結婚だったのだ。
だが、多くの芸能の天才たちがそうであるように、残念だが絶頂はそんなに長くは続かないのである・・・合掌!
CNNなど米メディアによると、12日の第54回グラミー賞の発表・授賞式に出席するためロサンゼルスに滞在しており、11日夜はグラミー賞のパーティーに出席するとみられていた。
滞在していたビバリー・ヒルトン・ホテルから911(日本での119番)通報があったのは11日午後3時43分。3時55分、死亡が確認されたという。広報担当者によるとホイットニーさんのボディーガードが遺体を発見したという。
ドラッグ(薬)にアルコール依存症、前夫ボビー・ブラウンからのDV…さまざまなものと闘い続けた世界的な歌姫が48歳の若さで逝った。
ホイットニーさんは2000年にはハワイで大麻を所持しているのが見つかり、訴追され、薬物依存症患者の更生施設に入った。02年には米テレビにコカインなどの薬物やアルコールの依存症に苦しんでいることを告白。04年には更生施設に入り、昨年5月には再びドラッグとアルコール依存症の治療のためリハビリ(更生)施設に入ったと伝えられていた。
03年には夫(当時)のボビーがホイットニーさんの顔を殴り頬や唇に裂傷を負わせた暴行容疑で逮捕、起訴された。ボビーはそれまでも麻薬所持や交通違反で数回逮捕されており、06年にホイットニーさんが離婚を申請。07年に離婚が成立するなど、トラブル続きの結婚生活でもあった。
ホイットニーさんは米ニュージャージー州生まれ。歌手ディオンヌ・ワーウィックはいとこ。子どものころから教会で歌い始め、10代からモデルとしても活躍した。1985年に「そよ風の贈りもの」で歌手デビュー。よく通る高音の歌声が人気を集め、「すべてをあなたに」などヒット曲を連発した。
アルバムやシングル、ビデオを合わせた売り上げは1億7千万枚に上る。
日本人にとっても、マイケルジャクソンの死と同じぐらいのショックがあったかもしれない。
デヴューは1985年『ホイットニー・ヒューストン』のアルバムだが、当然のように大ヒットした。
アレサ・フランクリンが名付け親で生母、ディオンヌ・ワーウィックがいとこ、母シシーもプレスリーのバックコーラスをつとめている。
11歳で聖歌隊のソリストにもなっており、栄光は約束されていたようなものだ。
美貌に恵まれた彼女はファッションモデルでもあったが、87年二枚目のアルバム『ホイットニー』はビツボード初登場一位で女性歌手としてははじめての記録である。
そして92年、ケビン・コスナーとの共演で『ボディガード』、主題歌の入った『オールウェイズ・ラブ・ユー』 は、4200万枚を売り上げている。
前年のスーパーボウルでの彼女の国歌斉唱はいまでも語り草だ。
2000年に大麻所持で捕まっってからはとくにつらい時期が続いたが、2010年には東京公演を皮切りにワールドツアーで復活したかと思われたが、あの強靭な喉も枯れ気味になることがあったとも聞く。
葬儀に、亭主のR&Bのボビー・ブラウンが駆けつけるかどうかはわからないが、本人への周囲の視線は厳しく、針のむしろかもしれない。
彼の暴力沙汰などで夫婦関係も醒め切っていたからだ。
しかし、ボビー・ブラウンだって、90年ごろは大人気だった。
88年のアルバムは1000万枚を記録して、日本でもその髪型や服装を真似る「ボビ男」がたくさん出たほどだ。
つまり人気者同士の絶頂期の結婚だったのだ。
だが、多くの芸能の天才たちがそうであるように、残念だが絶頂はそんなに長くは続かないのである・・・合掌!












