サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 06151「同じ月をみている」★★★★★☆☆☆☆☆

2006年06月04日 | 座布団シネマ:あ行

土田世紀の同名人気マンガを、巨匠深作欣二監督の息子として知られる深作健太が映画化した感動作。心に深い傷を負った主人公たちにふんするのは、本作が俳優復帰作となる窪塚洋介、香港の若手実力派ナンバーワンのエディソン・チャン、モデルとしても活躍中の黒木メイサ。アジア屈指の若手演技派の共演により、完成度の高い作品に仕上がっている。さらに情感あふれる映像美が、男女の切ない恋愛模様を盛り上げる。[もっと詳しく]

ミンナニデクノボートヨバレ ソウイウモノニ ワタシハナリタイ

もともと原作の漫画家土田世紀は、僕のもっとも好きな表現者の一人である。
1969年秋田生まれ。デヴュー作は、高校を出て、バイク欲しさの懸賞金目当てに応募した作品である「未成年」で、月刊アフターヌーン四季賞を受賞した。
処女作に作家の資質のすべてが内包されるとよくいわれるが、土田世紀もそうである。
劇画タッチで、泥臭く、社会の底辺に蠢く人間達の、魂の叫びを作品に叩きつけている。
格好いい英雄(ヒーロー)は登場しない。学歴もない。世渡りも下手だ。善意はいつも損な役回りとなる。貧しい状況が、あらたな貧しい人間を再生産していく。そこに待ち受けるのは下層社会や裏社会。ちょっとした隙に「悪」が入り込む。その「悪」も巨悪でないところが哀しい。不幸な人間が、不幸な人間を、落し込める。
だけど、彼の描く無名の主人公は、ださくても、無教養でも、無力でも、無類の善意と無償の優しさを発揮する。

 

土田世紀の描く人間模様は、いまの個人化された超資本主義の感性などどこにもない。「なんだべ、あれは」とたぶん六本木ヒルズをいぶかしむ。
別に批判をするわけではないし、無視するわけではない。
都会のホストクラブという特殊世界を扱った作品もある。
売上至上主義のマンガ出版社の世界を扱った問題作もある。
けれど、どんなに虚飾の世界であろうが、消費社会の先端であろうが、土田世紀が興味があるのは、そこに蠢く無名の者たちである。断じて、記号としての現象ではない。

土田世紀の作品は、数多い読切作品から、「編集王」「俺節」「永ちゃん」「鯱」そして実話原作の「夜回り先生」など、僕はたぶんすべて読んでいる。処女作から、マイナー劇画誌に書かれた作品まで、忠実に追っている漫画家は数人に満たない。
正直にいえば、僕は、土田世紀の作品が、自分のつぼに嵌りすぎて、苦手なのである。
「ここだべ。あんたもここを信じているんだべ」と、土田の作品は、僕に語りかける。
「そうだよ、だから、もう、泣かせるなよ」と、僕は答える。
浪花節とか、情念とか、ロマンチシズムとか・・・いかようにも、いわせておけばいい。
だけど、本当はそういうことではない。
もっと、人間が持っている根源的なところ、人間が人間である最終の場所、ヒューマニズムというものも拒絶される位置。
僕は、土田世紀が、ペンを走らせながら、泣いている姿そのものを幻視してしまう。

 

同じ月を見ている」は、文化庁メディア芸術祭優秀賞を受けたらしいが、そんなことはどうでもいい。
僕は、勝手に、この作品を、「戦後の物語作品の最高峰」と思っている。
この単なる劇画を読みながら、僕は何度、感涙したことだろう。感傷かもしれない。センチメンタリズムかもしれない。
しかし、本当は、そういう涙ではないとも思う。もっと、魂の根源、遥かな記憶の根源を揺さぶられたのではないか。
この作品が、映画化されること。私的な事件以来の
窪塚洋介の本格的復帰作であること、また「バトルロワイアルⅡ」では、父深作欣二の急死のあとを次いでメガホンをとり、本格的にはこの作品が監督第1作となる深作健太が担当すること、アジアの若手俳優で成長著しく日本でも人気が高いエディソン・チャンが、主役のひとりを演じること、を聞かされていた。



原作と、その原作を元に映画化された作品は、別物であるというのが僕の持論である。
小説表現のなかに、どのように映像を喚起する表現があろうと、また、映像表現のなかに、どのように小説の言葉の引用があろうと、それぞれが異なった批評の対象であるべきだという考え方は揺るがない。
だからいつも、「原作が生かされていない」「勝手に改竄している」「これでは、作者への冒涜である」といった類の批評に出会うたびに、そんな単純なものではないと、僕は映画の擁護に回ることが多々あった。
にもかかわらず自分の原則にしていることがひとつだけある。
原作の持っている主題を、発展させたり、独自の解釈をすることは当たり前だ。しかし、主題を表層的に借りて、物語をなぞる事は意味がない、と。
簡単なことなのだ。それは、わざわざ、原作作品を、映画化するに値しないということなのだ。
結論からいえば、残念ながら、この映画は、まさに、「映画化するに値しない」出来である。



心臓の病で病弱な杉山エミ(
黒木メイサ)。エミの病を治すために医者になろうとする熊川鉄也(窪塚洋介)。貧しく差別されているが、人の心を読み取る力と絵の才能がある水代元=ドン(エディソン・チャン)。
10歳に満たない3人が出会い、子供としての黄金期を過ごす。
もともと病弱で友達もいなかったエミや、自分自身は勘定にいれない資質を持つドンにとっては、疑いようもない黄金期はそのまま続く。
しかし、「普通」の子である鉄也は、成長するにつれ、ドンに距離を置くようになる。

ある日、鉄也の火の不始末で山火事がおこり、エミの家が焼失し、エミの父親は焼死する。犯人とされたドンは、少年院に送られる。
何年か経過し、ドンが少年院を脱走したという知らせが二人に入る。
医者になった鉄也は、山火事の真実を知るドンを自分への脅威と妄想し排除に向かう。エミは、捕まったドンに「人殺し」呼ばわりをしたことを気に病んで、ドンと会いたいが、鉄也の拒絶に途惑う。
ドンは、ただ、映画では、婚約をするふたりを祝福したい、原作では20歳になるエミとの約束を守るために、絵を届けようと脱走したのだが・・・。

この物語の主題は、エミ、鉄也、ドンの三角関係ではない。
たしかに、鉄也は、「火事」をおこし、ドンに罪をかぶせ、かつエミに真実を話せない、ということで、ドンに逆恨みをして、エミにもドンを忘れるように強要する。
しかし、ドンは、エミも鉄也も恨んではいないし、逆にふたりの幸せを願っている。
ここでは、三角関係などおこりようもない。
ただ、鉄也の妄想をベースとした脅迫症じみた狂気に、エミもドンも振り回されるだけなのだ。



ドンは、自分を勘定にいれず、人の哀しみをただただ感知する。
相手がよくなれば、自分は何も受け取らず、黙ってその場を離れる。
エミの手紙があったから、ただ祝福を伝えようと、あるいは約束を守ろうと、登場するだけで、ドンは、愛すべき相手が、心の中に生きていて、少しでも幸せに生きてくれていたら、それ以上は望まない。なんの執着もない。

映画では、金子優作(
山本太郎)という鉄砲玉のヤクザを登場させる。
逃亡中のドンが偶然、出会ったに過ぎないが、ドンの愚鈍なまでの無私性にふれて、自分を取り戻していく。
原作では、はるかに、この優作の存在は、大きく取り扱われている。映画では、ストーリー展開の、重要だがひとつのファクターを占めるに過ぎない。なぜか?
予告編にあるように、制作サイドはこの映画を、エミ、鉄也、ドンという3人の哀しいファンタジーにしたてあげたかったからだ。観客を想定して、やくざ社会の影をうすめたかったのかもしれない。

黒木メイサの学芸会のような素人演技に腹を立てているのではない。
また、窪塚洋介の回復途上の痛々しい復帰劇にイチャモンをつけているのではない。
もちろん、どう頑張ってもかっこよすぎるエディソン・チャンには、ドンがもつ奇蹟のような「愚鈍さ」は表現できないよ、というつもりもない。

 

ひたすら、深作監督はじめスタッフに、この土田世紀が渾身ふるって描き出したドンという人格が、表層的にしか理解できていない、と思うばかりなのだ。
何度も言う、映画は原作をどう解釈しても許される。しかし、なぞらえるだけでは映画にする意味はない。

ドンという存在は、エミや鉄也が幼い時、宝石のように大切なものとして、無意識に感受されていたはずなのだ。
疎遠になったしまったあとの、感受性の回復の契機さえあれば、宝石はまた宝石としてあらわれるはずだ。
しかし、ドンは、不可避的に、エミや鉄也以外にも、もっと深い絶望や不幸に等しく立ち会うように宿命づけられている。
人間としての最低の存在、誰にも愛されない存在、すべてを敵とするしかない存在、虫けらのような憐れな存在であったとしても。
つまり、誰かではなく、みんなの幸せを、等しく願うという場所にドンはいる。
ドンとともに同じ月を見ているのは、エミや鉄也だけではない。
ドンは、彼が描いた絵のように、自分は月になって、月を見るすべての哀しさを引き受ける菩薩のような位置にいる。



エミは、忘れかけていたドンの優しさをもう、手離さない。
鉄也もドンに許しを請い、自らの原罪をエミにも打ち明け、再生することができた。
死んだ金子優作もドンのおかげで、殺される前に人間に立ち還った。
原作には、他にも、ドンの魂に感化された何人かのエピソードが綴られている。

原作では、優作を組織の命令で殺した非道なチンピラは、樹海に入り込んだドンやドンを追う鉄也をも殺害しようとする。
崖っぷちで鉄也と揉み合う中で、ドンが現れ、鉄也を救う。チンピラは、崖下に落下する。
そこからが本当に土田世紀が描きたかったことなのだ。
信じられないことに、ドンは、そのチンピラを助けに、崖下に飛び込み、落命する。
そのドンのドナーで、チンピラは命を救われる。
生き延びたチンピラは、刑務所の中で、改心し、作業のかたわら、ひとつの絵を彫り上げる。
それは、かつて、エミと鉄也を祝福するために、ドンが描いた絵の構図そのままに、月をみる二人であった。
この服役者は、ドンのその絵の構図を知るはずはないのに。
刑の執行(おそらく死刑)を翌週に控えたチンピラは、面会者に、刑務所の中で丸暗記したある詩人の詩を、恥ずかしそうに、詠唱する。
「今度・・・なんかにうまれてくるんやったら・・・わ・・・忘れんとこ思って・・・」



宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズ
サウイウモノニワタシハナリタイ

ドンはまさしく「デクノボー」であった。
この、「デクノボー」の存在の比類のなさこそ、エミや鉄也やそのほか多くの人たちを、惹きつけるものであった。
自分を勘定せずに、相手のことを思う気持ち、そこに世界の哀しみが集中する、その受苦を一身に浴びてなお穢れぬ魂を、土田世紀は提出したかったのだと思う。
ドンの子役の少年も、エディソン・チャンも、「デクノボー」であるドンを直感的に感受して演じていた。それは、この映画の唯一といっていい美点だ。
あえて言う。誰に遠慮したのか、もともとこの物語を映画化する技量がなかったのか・・・。
深作健太は、一から出直すべきである。



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38 コメント

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TBありがとうございました!! (めい)
2006-06-05 22:36:18
TBありがとうございました。

私は原作のほう読んでないんです。

やっぱり原作のほうが全然いい作品のようですね。

ぜひ読んでみたいです。
TBありがとうございました! (sati)
2006-06-05 22:46:00
記事を読ませて頂いて・・・

もう一度ドンちゃんの素朴で無垢で天使のような

心に触れる原作をぜひ読んで見たいなぁ~と思いました・・!
コメント多謝 (kimion20002000)
2006-06-06 10:20:54
>めいさん



僕はいつも、原作と映画は別物ですから、というんだけど、この作品だけは、ぜひ、原作を読んで欲しいですね。とても、いいです。



>satiさん



大げさなんですが、僕は、ドンの造型に、トルストイの作品なんかを想起してしまいました。
こんにちは。 (hi-chan)
2006-06-06 15:29:38
TBありがとうございます。

自分のレビューを読み返してみたのですが、エディソンが生で観れた嬉しさで、全然冷静に映画を観てないようです(苦笑)。

今、思い返してみると、思い出すのは、山本太郎とエディソンのシーンが好きだったなとか、映像が綺麗だったなという事くらい。

その映像が綺麗というのも、自然の風景が綺麗とかではなく、作られた綺麗さ(主にCGとか)だったような気がします。

kimion20002000さんは、原作にとても思い入れがあるのですね。力のこもったレビューに感服しました。

確かにストーリーをなぞるだけなら映画化する意味はないですよね。最近は原作のある映画がたくさん作られているので、今度からそういう事も踏まえて映画を観たいと思いました。
hi-chanさん (kimion20002000)
2006-06-06 16:17:45
コメントありがとう。

僕が、青筋たてて偉そうにいうことでもないんだけどね(笑)

本当は、blogで漫画家についてやりたいんだけどね。



まずは、土田世紀とさそうあきらだろうなあ。
TB&コメントありがとうございました (koppy)
2006-06-06 23:51:46
TB&コメントありがとうございました!



kimion20002000さんの、解説に、なるほど~と思ったり、

うまくいい表わされるなぁと感心しきりでした。

また、映画のほうにも触れておられ、興味深く拝見させていただきました。

解説は、どこまでを書くべきか難しいところで、私はネタばれができるだけ少ない方向で書きますが、kimion20002000さんのように、徹底的に解説されるのも、気持ちがよく、いいなぁと思いました。

大変参考になりました。

これからも覗かせていただきます。
koppyさん (kimion20002000)
2006-06-07 01:07:32
コメントありがとう。

新作映画についてね、テレビや新聞でネタをばらしてしまうのは、よくないよね。でも、blogというのは、違うと思う。自分から、見に行くメディアだからね。

普通、見る前にblog見る?サイトで内容確認はあったとしてもね。だから、みなさん、「ネタバレ注意」といって、気を使ってらっしゃるけど、そんなの、僕はbォgでは、必要ないと思う。
TBありがとうございました (ミチ)
2006-06-08 00:34:06
こんばんは♪

私は原作を知らないのですが、とても熱の入った記事を拝見するととても思い入れが深くていらっしゃいますし、なかなか良さそうな作品ですね。

映画は単体としてみてもちょっと深くなかったような気がします。

やはりドンちゃんという人物は描くのが難しそうです。
ミチさん (kimion20002000)
2006-06-08 09:13:08
コメントありがとう。

ちょっと、思いいれ、強すぎたかな?

エディソン・チャン頑張っていたけど、日本人俳優なら、誰がいいんだろうねぇ?
こんばんは。 (Hitomi)
2006-06-11 19:40:29
先日は、TB&コメントありがとうございます。

ドンちゃん役のエディソンくん、その昔日本に留学してたこともあったらしいのでまた日本映画にも出演してくれると嬉しいです。

若手不在といわれている香港映画界で注目されている若手俳優の一人なので次回作も非常に気になります。

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