
芦野宏さん死去 紅白10年連続出場 シャンソンブームをけん引
スポニチアネックス 2月7日(火)11時45分配信
シャンソン歌手で日本シャンソン協会会長の芦野宏(あしの・ひろし、本名羽鳥広=はとり・ひろし)さんが4日午前8時57分、間質性肺炎のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。87歳。
東京都出身。葬儀・告別式は親族で済ませた。後日お別れの会を開く。
東京芸大声楽科を卒業後、1953年、NHKラジオ番組に出演しシャンソン歌手としてデビュー。歌や司会、ドラマ出演などラジオ、テレビで幅広く活躍した。NHK紅白歌合戦に10年連続で出場、故越路吹雪さんらとともにシャンソンブームをけん引した。「ラ・メール」「ミラボー橋」「幸福を売る男」などがヒットした。
90年紫綬褒章、96年勲四等旭日小綬章。著書に「パリの空の下」など。
芦野宏を知ったのは、紅白歌合戦であった。
デヴューは僕の生まれた年である1953年であるが、55年から10年連続紅白歌合戦に出ていた。
ということは僕の小学生の時までなのだが、その頃まではまだ僕も家で毎年紅白歌合戦を見ていたのである。
芦野宏が出てくると、うちの母などはぞっこん聞き惚れていた。
芦野宏は56年には早くもパリのオランピア劇場でアジア人初の出演をしている。
日本のシャンソンブームは50年代後半からだが、立役者は越路吹雪、石井好子、そして芦野宏だと思う。
シャンソン協会の石井好子のあとの二代目理事長を引き受けたが、95年には渋川にシャンソン館を創設し、もちろん初代館長となっている。
こちらはまだ行ってないので、立ち寄って彼の「ミラボー橋」なんかを久しぶりに聞いてみたいものである・・・合掌!
東京都出身。葬儀・告別式は親族で済ませた。後日お別れの会を開く。
東京芸大声楽科を卒業後、1953年、NHKラジオ番組に出演しシャンソン歌手としてデビュー。歌や司会、ドラマ出演などラジオ、テレビで幅広く活躍した。NHK紅白歌合戦に10年連続で出場、故越路吹雪さんらとともにシャンソンブームをけん引した。「ラ・メール」「ミラボー橋」「幸福を売る男」などがヒットした。
90年紫綬褒章、96年勲四等旭日小綬章。著書に「パリの空の下」など。
芦野宏を知ったのは、紅白歌合戦であった。
デヴューは僕の生まれた年である1953年であるが、55年から10年連続紅白歌合戦に出ていた。
ということは僕の小学生の時までなのだが、その頃まではまだ僕も家で毎年紅白歌合戦を見ていたのである。
芦野宏が出てくると、うちの母などはぞっこん聞き惚れていた。
芦野宏は56年には早くもパリのオランピア劇場でアジア人初の出演をしている。
日本のシャンソンブームは50年代後半からだが、立役者は越路吹雪、石井好子、そして芦野宏だと思う。
シャンソン協会の石井好子のあとの二代目理事長を引き受けたが、95年には渋川にシャンソン館を創設し、もちろん初代館長となっている。
こちらはまだ行ってないので、立ち寄って彼の「ミラボー橋」なんかを久しぶりに聞いてみたいものである・・・合掌!













この人の歌、NHKみんなのうたで聞いた気がします。改めて聴いてみると心から明るい声で、日本語がきれいですね。
うちの亡くなった母が、芦田さんのシャンソンに聴き入っていた姿を思い出します。