君影荘日記

東京の片隅の、小さな家の日記です。

大サービス

2017-01-22 08:34:00 | エッセイ


この間、レストランカフェに行った。
飲み物を何にしようかなとメニューを開いたところ、目の端を通りすぎたワイングラスのワインの量にビックリ。
えっ、あんなにもらえるなら!と頼んでみたら、自分のところにもこれが来た。
アルバイト君が少し不慣れな様子だったので、そのうれしい副産物(^-^)。(こ)

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母に教えてもらったこと

2011-10-16 15:32:12 | エッセイ
母に教えてもらったこと
 小さい頃、私は母にピアノを習っていた。母もそんなに上手に弾けた訳ではない。小学校の頃、音楽の先生に習っただけと聞いていたから。でも、小さな子供に楽譜の読み方やバイエルの弾き方を教えるくらいはできたのだと思う。私にとっては、毎日ピアノの先生がいる、その点では厳しい環境であった。
 母との約束は、毎日必ず練習することだった。バイエルなどの教本を一曲ずつさらっていくのだが、その曲を毎日五回弾きなさいと。一人で練習すると、何回弾いたかわからなくなる。そこで母が考えたのが花のマーク。一回弾くと丸を書く。二回目が終わると丸の周りに小さな花びらを書く。三回目はその下に縦棒で茎。四回目、五回目は左右に丸い葉っぱ。練習のつまらなさは、花を完成させる楽しさに変わる。楽譜の周りは、いびつな花でいっぱいになる。そうなった頃には、その曲が上手に弾けるようになっていた。それは、とても大きな喜びだった。私は小さいながらも毎日続けるという忍耐力を体得し、また、その効果を実感する成功体験もしたのだ。継続は力なり。 何をやっても最初は全くうまくできない不器用な私にとって、それは、一番ためになる、そして自信につながる力だった。それが心の支えとなり、新しいことにチャレンジしたり、困難なことにも立ち向かえるようになった。今の私の礎になっている。
 自分にとっては当たり前のこの力、ただ続けるということが、他の人にとっては、案外難しいことらしい。母の教えてくれたことの大きさに改めて気づかされ、心から感謝するこの頃である。(ゆ)

写真は昨日実家に行った際に見つけた子供の頃、使っていたピアノの楽譜。少し大きくなってからのものなので、花マークの代わりに正の字も書いてかある。


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原点の器

2011-07-02 08:17:08 | エッセイ

 今から十数年前、窯元で器を買おうと、母と姉と一緒に笠間まで行った。当時、まかない付きの寮で一人暮らしをしていた私は、器を買う必然性はあまりなく、ほんの付き合いで行ったように思う。

 笠間に着くと、窯元らしい商売っ気のほとんどない、一軒のお店に入った。華美な装飾はなく、だからこそ毎日使えそうな、落ち着いた色、形の器が並んでいる。私は、その中で四角い銘々皿、二枚に惹かれた。地味なお皿が並ぶ中、絵が描かれていたのは、そのお皿だけだったように思う。砂色の地で、縁が少しベージュがかっている。一枚は、横二本の枝に、淡いピンクの梅の花がいくつか描かれ、もう一枚は、薄い藍色で露草のような草花が描かれている。今まで使ったことのなかった四角い形と、控えめなその絵柄が気に入り買うことにした。

 器を包んでもらい、お金を払ったそのとき、作家さんの奥さんであろうお店の人がこう言った。「もし良かったらこのお皿持っていってもらえませんか?」焦げ茶の七寸皿が棚の下の奥の方から出てきた。「これは作るのに結構な手間がかかり、釉も上等なものを使っている、いいお皿なんです。でも、最後、焼いたときにちょっとした焼むらができてしまって、売り物にならないと主人は言うのです。わからない程度のものなんですけど。」確かに私にはどこが駄目なのか、まったくわからない。「本当は割らなくちゃいけないんですが、どうしてもできなくて。主人に見つかると怒られてしまうのですが、使ってもらえたらと思って。」懇願するような感じで奥さんは言う。焦げ茶一色というわけではなく、生地のクリーム色がところどころ浮かび上がる微妙な風合い、上等なものなのだという感じは伝わってくる。  奥さんの言葉に押されて、というより、お皿の魅力に引かれて一枚もらうことにした。使ってみると、このお皿はたちまち威力を発揮した。ただトーストしたパンや、何でもないぺペロンチーノもこのお皿で食べると実に美味しい。ちょっと寂しかった一人の食卓もおしゃれな洗練されたものになる。器の持つ偉大な力を知った。

 この力を生み出しているのは、作家さんの妥協を許さぬ仕事に対する厳しい姿勢なのであろう。そして、その厳しさを知りながら、いや、そのご主人の苦労を知っているからこそ、どうしても割れなかった奥様の複雑な思いから、私は器の偉大な力を知ることになる。ご主人の満足のいくお皿は更なる力を持っているのだろう。意に背いて、このお皿を使っている点でご主人に対しては心苦しい思いもある。ただ、この焦げ茶のお皿のおかげで、器が「ただ単に食べるものをいれるもの」から、「食事を楽しむための愛すべき道具」に変わった。私の器好きはここから始まる。(ゆ)


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