日々徒然なるままに

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思えば叶う

2017-07-23 22:12:19 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日は、暑いは暑いでも、案外曇り空でしたので、そこまでがんがんに暑さは感じませんでしたね。
というより、これまでが暑すぎた?
とはいえ、今日は暦の上では大暑、これから八月七日の立秋を迎えるまでは一年で一番暑い時期といわれているようです。
その暑さもですけれど、先日九州で豪雨災害があり、まだ大変なころというのに、今度は秋田等の東北で同じような酷い被害が出ているようです。
何故、このように日本を地震や豪雨が襲うのか、なんとも心が痛む思いです。
早く収束してほしい、そう願います。

そんな今朝は、こんな感じのお日様、どことなく電柱にぶら下がっているようにも見えますね。

                                
                                 


最近、いえ前からそうなのかもしれませんけれど、思っていることは直に現実化するというのが、自分自身が感じていることです。
以前にも同じようなことを書いたかと思いますが、思ったり、或いはその思いを口にすることで、そのことが実際にそうなるということです。
しかも、その速度、感じる度合いが段々と早くなってきているように思います。
自分の場合は、良いにせよ悪いにせよ、何かの事について考えると、同時に頭の中でその事自体を映像化もしているように思います。
こうなればいいのに、ということばかりを考えていればいいのですけれど、どうも自分の場合、ともすれば、こうなるとどうしょう、とつい
悪い方へ考えてしまうことが多いようで、それも後で考えると、あれ、これってこんなことになると困るなと思ってたよな、ということが結構あるように感じます。
いけませんね;。
これもかなり以前の話ですけれど、自分が車を乗る際に、どうも事故りそうだな、と頭の片隅で考える時がありました。
その時は、今思うと、こうなったら嫌だとか大変だというその状況そのものを先取りするようにして、いわばシミュレーションするように頭の中でその事を作り出していたのでした。
つまり、車に乗るたびに、あれ、危ないな、どうかな、と自分で自分に無意識に自己暗示を掛けてしまい、結果的にはそのような現実そのものを自分で引き寄せていたように思います。
そうなった後で、ああやっぱり自分の思っていたようにアクシデントは起こるんだ、もしかして自分には予知能力があるのか?などとおかしな方向へ自分の考えを引っ張っていき、自分で自分のことを秘かに、これはすごいぞなどと自画自賛していたのでした。
はっきり言って、馬鹿です。
なんのことはない、そうなるように自分で自分を仕向けていたに過ぎません。
自分の思いを現実化しただけの事でした。
こんな例を挙げるときりがないくらい、出てきそうです。
                                 

そうかと思うと、良い方へ事を思っていると、それはやはりそのように叶うということも自分で感じております。
こちらは、また古い例を挙げてみると、自分でもどうかいな;な話なのですけれど、振り返ってみて面白いことでしたので、書いてみたいと思いす。
それこそ、結婚して間なしの頃のことですけれど、この頃から夏になると暑いねぇ、といいながらよく夜にあちこちをドライブしておりました。
そう、以前も申しましたが、何かにつけ夫婦で車に乗ってはフラフラしておったわけです;。(子供出来てからじゃなく、前からでした;)
そんな頃、よく行っていたのが、まだ広島空港が観音にあった頃、駐機している飛行機を見るのが何故だか面白く、元はといえば主人が乗り物全般
が何でも好きな性質だったようで、暑さにことかけては、毎晩のようにその辺りまでうろついていたのでした。
そんなある晩、いつもは飛行機を眺めては、特になにがあるわけでもなく帰るのですが、その時はふと自分が柵の向こうに停まっているその飛行機を見ながら、その柵にしがみついて
「飛行機、乗りたいーーーっ!!」
とまるで子供みたいに叫んでおりました。
まぁ、話はそれだけのことなのですけれど;。
その姿を隣で煙草を燻らせながら見ていた主人は、コイツ大丈夫か?と、呆れていたようでした。
しかし、そんな風にして叫んで後、それこそあんなバカなことをしていたのも忘れた頃に、急に仕事で飛行機に乗る仕事が舞い込みました。
その頃、お腹には息子がいたのですけれど、搭乗出来なくなる八ヶ月かもう少し前くらいまで、月に一度か二度の頻度で飛行機に乗っておりました。
後々、その頃の事を思うと、あの乗りたいーーっと叫んだ時は、心底自分がそう思っておりましたし(ふざけてなんてなかったんですよ、本気でした;)、ですけれど、一回だけそうした後はそんなこともコロッと忘れて日々を過ごしていたのでした。

思いを実現化するには、自分でそのことを現実のように思い描いて、そして次にはそのことを忘れること、そういわれます。
やがて、それは現実として自分の目の前に現れるとされています。
確かにそうだ、とそう感じております。

もう一つ、これも恥ずかしい話ではありますが、別の例を挙げてみます。
結婚する前、ある会社に就職し、その研修として一日だけ、その当時の所長と共に新幹線で本社へ出向きました。
中途採用ということで、研修といってもその本社をぐるりと見て回る程度で済み、夕方にはまた新幹線で広島へ戻って来ました。
その帰路の車内で、どうしたものか、本当ならば今日見て回ってきた本社のことに思いを馳せてもよかろうものを、車窓から景色を眺めながら、自分はひと様の役に立たせて頂ける者になりたい、必ずそうさせて頂きたい、そうなれる人間になりたい、と不思議なほどのこみ上げるような気持ちが沸いてきて、一人座ったそのシートで涙まで出てきていたのでした。
何故、その時にそのような心境になったのか自分でも不可解なほどですし、たまたま所長とは離れて座っていたので、そんな人目も憚らぬように泣いている自分を見られることも幸いにしてなく、結果的には良かったのですけれど、本当にどうしてそんな風に思ったのか今でもわかりません;。
その会社であっても社会貢献は出来るわけですし、そのように考える方がむしろ当然なのですが、その会社での自分ではなく、もっと大きな視点での自分の行いのようなものを、その時には感じていたように思います。
結局、その二年後には今の主人と知り合い結婚し、今の神主という仕事に就くことになったわけですから、もしかするとこの時の自分の心から湧き出たような思いが、引き寄せた結果だったのかもしれません。
ただし、これはあくまでも自分がそのように思ったまでの事ではありますが。


                                  

こう書いてきながら、案外自分で思いを現実化させてきていたんだと、今また感じております。
ただし、それには本気で、心底その事のみを思うこと、実現しないんじゃないかとかのマイナスな思いは一ミリも持たないこと、そうして思った後はそのことは一旦、心の中から忘れ去っておくこと、これが大事なのでは、とも思います。
反芻するようにして思い続けることも大事かもしれません、ですけれど、そうすると今度はそこへ色々な別の思いも付加価値?のようにしてくっつけることになってしまい、最初の純粋なこうしたい、こうありたい、の気持ちや姿からは少し離れてしまうのかもしれない、そうも思います。

思うことは、はっきり言って自由です、誰にも邪魔されません、第一お金も一切かかりません、なんせ自分の頭の中、或いは心の中の事なのですから。
ならば思いっきり、自分のなりたいような自分になりきってみること、それが一番なのでは、とも思います。

               
                                  

フフフ;、どうやら自分が文章を書くと最後はどうにも演説モード?になるのでしょうか;。
力説してますね、毎度ながらすみません。
それでも、こんなブログへのお付き合い、いつもありがとうございます。
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