喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

故郷を抱いて生きる明徳おっちゃん

2016-09-23 | ふるさと
 3年前の平成25年9月21日。
 大阪に住む中野明徳おっちゃんの長男の結婚式があった
父と母夫婦での予定だったが、母に代わり私が父と一緒に行くことになった。

 父がもっとも慕う明おっちゃん。
 平磯出身の明おっちゃんは、父の二歳上の従兄弟。
中学を卒業し、同じ平磯出身で工務店を経営し成功していた河野武市さんのもとへ弟子入り。
3年の弟子入り、奉公。

 その後就職して3年経ち、弟の日三夫さんが二名津中学校を卒業するのを待ち、
母シゲと日三夫さんをに大阪に引き取った。
 たいへんな苦労と努力の末、暮らしの基礎を築いた。



 明おっちゃんは、けがと病気のため、結婚式への出席が危ぶまれた。
でも体調が大丈夫な段階まで参列するとのこと。



 式場に到着し、明おっちゃんの控え室を尋ねる父。
ドアを開け、中に入ると正面に車椅子に座っていた。
 私たちの姿を見ると、明おっちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣き、涙をぬぐった。
うれし涙なのか、くやし涙なのか。
たぶん両方だろう。

 同時に父の目からも涙がこぼれた
言葉を交わさなくても、心から通じ合っている2人。






 その後、式、披露宴と進んでいく。
そして披露宴も終わりに近づいた頃、明おっちゃんについに限界がきた。
 私たちのテーブルを後にする車椅子に乗った明おっちゃん
「おっちゃん元気でな。」
と手をにぎると、それまで以上に涙を流された。
 奥さん、親戚、家族、新郎新婦、新婦の両親、そして私の父に見送られ会場をあとにした。




 みなさんそれぞれの思いが痛いほど伝わる。
父だけは控え室までついていき、しばらくしてからもどって来た。

 2人は、故郷平磯や生家の話で盛り上がっていた。
明おっちゃんが故郷を離れて60年が経つ。
おっちゃんの中には、故郷の山や海、人は変わらずあるのだろう。




 人はいつも故郷を抱いて生きている。
人のつながりは血縁・地縁そして思いでつながる縁などさまざま。
そんなつながりが少しずつ薄っぺらくなっているような昨今。
 明おっちゃんは、故郷平礒やそこに暮らす人たちへの思いをますます強めている。
切ないほどの思い。

 故郷を離れている懐かしの人とまた会いたい。


                 岬人(はなんちゅう)

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