森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

杖で歩く

2006年11月15日 | 随想・雑文

両手両足にテーピング。両手が殆ど使えず、右足には全く力が入らない。ひとたび横たわると起き上がるのが大変だったが、一週間もすると右足を引き摺りながら、杖を頼りに動けるようになった。

そうなるとじっとしていられない性分が目覚める。週末以外の日、家族は学校や親の介護で皆不在で、監視はいない。駅前の図書館や、新聞を買いに外に出かけ始める。新聞に「明治神宮野球大会」の大学優勝戦にW大学が出るという記事を見つけた。仕事を休んだ普段日に野球見物。こんなことは生涯二度とできまい。何としても行きたくなった。もう少し回復したら杖を頼りに仕事にも行かねばならないので、階段だらけの駅の移動に慣れておく必要もあった。それで、思い切って電車に乗って東京に出かける事にした。

生憎の曇天、雨が降り出しそうだったが、完全防寒のいでたちで使いすてカイロをポケットに入れて出かけた。右足を引き摺り、杖に頼っていると腰の左側が痛くなり、長くは歩けない。休み休みゆっくりと歩く。階段は手摺に頼り、上りも下りも一歩ずつ。人々に追い抜かれる。気にせずにゆっくりと歩を進めていると、町や駅の光景、人々の動きが良く見える。今まで目が留まらなかった物が目に入る。異国の地を初め て歩く時のように、一つ一つの光景が新鮮に見える。信濃町からはタクシーに乗りバックネット裏の入口前につけてもらった。何とか時間までに球場にたどり着いNec_0200 た。入場券を手にして中に入って愕然とした。球場は階段だらけなのだ! しかも階段の一段一段がやけに高い。バックネット裏の席にたどり着くまでが一番しんどかった。ハンディキャップのある人も観戦できるはずだから、どこかにエレベーターとかがあるに違いないが、見渡す範囲にはなかった。高校の決勝戦が長引き、大学の部の試合開始が遅れていたので、試合には間に合った。試合が始まって暫くすると雨がぱらつき出した。皆、屋根のあるバックネット裏の三階に移動を始めたが、Nec_0198_1杖に頼っている者にはとてもそんな高くまでは行けない。移動せずにぱらつく雨の中で暫しじっとしていると雨は小降りに。が、また降りだし、今度は本格的に降り始め辺りが濡れて光りだした。W大学の打線も湿っていて殆ど打てない。応援も盛り上がりきれず、寂しい試合だったので、早々と球場を去ることにした。

Nec_0194 帰りがけに「神宮外苑いちょう祭り」を、ゆっくりと通り抜けた。イチョウはまだ青々している。雨が降り始めた普段の日。たくさん出店が出ていたが、誰も歩いていない。傘は持ってこなかった。雨をしのぐように木陰から木陰に移動。木陰で枯葉を踏み、どんぐりを拾う。杖を頼りにゆっくりと神宮の森を抜けた。

この日の体験で、杖で歩く人、体が不自由な人、がんばって歩いている老人、そんな人達にもっと優しくなれると思った。

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過剰な行動-災難の連鎖

2006年11月05日 | 随想・雑文

「二度あることは三度ある。」

今年三度目の災難にあった。自分の不注意と無謀な行動。自分を情けないと思い、何故に斯くも災難が続くのか怖くなっている。

夕闇の荒川河川敷で運動中の事故。右膝のお皿骨折、右爪先骨にひび、左脛骨折、右手掌裂傷と骨折、左肘剥離骨折。

転倒後も掌の出血を口で抑えながら強気で歩く。すっかり暗くなった東の空には満月Nec_0210。 が、明かりは霞む。

この後、突然右足が動かなくなり土手の上に倒れるようにしゃがみこむ。軽い失神。甲州ミズカキ山で転倒し救急ヘリで救出されたときと同じ喪失状態。あの時は左肩を骨折していた。

「またか? いや、そんなバカな!」 呼吸を整え、なんとか立ち上がり歩こうとするも、立ち続ける事ができず、再びしゃがみ込み土手に横たわる。もう、起き上がれない。寒さと事故の大きさに体がガタガタ震えだす。

そして、救急車。再び病院へ。今年2度目。前回は、父の葬儀の直後に起こった夜明けの椎間板ヘルニアによる、左足激痛と麻痺。

半年あまりの間に、怪我で救急車2度と大腸憩室炎での緊急入院。救急車の体験も初めてだし、病気で入院するのも初めて。一体、どうしたんだ・・・。いずれの怪我も、明らかに自分の過ぎた行動が原因だ。憩室炎も今までのリッチな食生活の結果なのだと思う。全て、「身から出た錆」なのだ。

 

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ノスタルジー

2006年11月04日 | 随想・雑文

ペアレンツデーとかがあるというので、愚息のキャンパスに行った。

言ってみれば父兄会。大学で? 愚息が成績悪い学生の親だけが呼ばれているらしいとか言うので、成績が芳しくなさそうなことは想像し得るが大学でもそんなこと始めたのかと不思議に思いながらも、行ってみた。ちょうどその日は、「早稲田祭」「理工祭」もやっているとのことで、久しぶりに我が青春のワセダに触れてみたい気もした。

来春から学部の構造が大きく変更されることと、学科における今後のテーマ、学びの環境、就職は引く手あまたである、と言うようなことの説明があった。成績の優劣についての話はなかったが、地方から来られたらしきご夫婦も散見され、成績が気になっている様子を察した学科の学年担当教授が、卒業が難しそうなご子弟のお宅にはその旨通知が出されますが、多分まだどなたにも届いて居ないでしょうから、ご安心下さいと。P1030379

学部説明会の終了時間に合わせたように応援団のデモンストレーションが始まった。

生協を覗いたらワセダグッズのコーナーがあり、父兄の方々がオミヤゲにするのかレジが長蛇の列。私も名前入りブックカバーとドイツ製ペンセットを買って娘のオミヤゲにした。かつてホームカミングデーに行ッた際に座布団帽のミニチュアを買って息子のオミヤゲにした。息子を同窓生にしたいと思った。そして、実現した。そして、娘も・・・。が、今は違う方向を考えているようだ。P1030382

P1030383 本部キャンパスに向かう途中、穴八幡坂下の「三朝庵」に寄った。云百回とその前を通っていたが入ったことはなかった。天麩羅ソバと熱燗。ワセダOB・OGらしき年配の方々が、それぞれのノスタルジーに浸っている。

P1030387 その晩、合唱サークルの合同コンサートがあるというので、近くP1030395 の教会のホールに行った。混声合唱団、コールフリューゲル、グリークラブ等、伝統ある名門合唱団に混ざって息子の属する「早稲田合唱団」が登場。この合唱団も60年の歴史があるそうだ。観客は殆ど各合唱団のメンバー。それに若干の父兄らしき観客が混ざる。

3時間ほど青春の熱気に包まれ、この若者達の歩んでゆく道、人生、日本、世界を思う。自分にもあったひたすら前へ、未来へ向かっていた時代。30年以上経っている。でも、つい昨日のように思う。楽しいこと、夢に満ちた日々、挫折してとことん落ち込んだ時期、世界を飛び回り感動した月日。30年はあっという間だった。

青春のノスタルジーに浸った一日が終わり、夜風に襟を立て高田馬場への道を歩く。甦りかけた思い出の炎が、冬を予感させる夜風にすっーと消され、雑踏を歩くいつもの自分に引き戻された。

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